独り言。

 やりたいことも無く、いや、あると言えば膨大にあるのだが、その為のエネルギーが余りにも不足しているので、独白の場所として、友人の取組から思い付きでここを選びました。
 現状、職場を離れて四ヶ月を超えました。医師より「適応障害」という診断を受けたのが始まりで、そこから医者を移ると、「その症状は鬱病だ。」と言われ、己を見つめ直す時間だけが積み重なり、通院を重ねるたびに、「本来、鬱病患者は朝気力が起こらず、暗くなるにつれて気力が湧くものだ。これはノイローゼの症状が近いですね。」という言葉も頂き、最早自分が何なのか分からなくなっているのが六月十四日十六時三十九分時点での私です。

 今何をしているかというと、恥ずかしながら「Sorrow」という題を名付けたSpotify自作のプレイリストにて、哀愁・悲痛(時に「前向こうか」という曲を数曲織り交ぜてはおりますが)な曲をシャッフル再生で流し、完全に自分の世界に浸っています。リンクを貼っておきますので、興味があれば。

 仕事をしている時、多忙さ故「辛い」「苦しい」と思うことは多々ありました。しかし、時に関係が悪化しようと、人と繋がっていたのは紛れもない事実です。私は自分の限界を勝手に見定め、折れ、仕事から隔離され、休養を取る選択をしました。それが間違っていたとは思っていませんし、もし当時の私と同じような状態の親愛なる存在と呼べる人がいたならば、間違いなく当時助言してくれた愛する(変な意味ではなく、ね)友と同じ言葉をかけたでしょう。
 結果として三月末まで、それが延長し五月末まで、そして八月末までと、思っていた以上に長期間休む羽目になってしまいましたが、「仕事」に対する情熱が回復していることは確かです。それは職場で私を「仲間」と呼んでくれる上司のお陰でしょう。

 私の中で大きな変化があったのは、五月、いや、四月末頃でしょうか。私が二十歳の時から交際し、結婚を視野に入れるまでの大切なパートナーが、家にいる時間が長すぎるが故に欠点ばかり見るようになってしまい、将来が闇に包まれ、決別することとなったことが始まりでしょうか。
 疑問形なのは、私の中でもはっきりしないからです。果たしていつから幸福な家庭を作ることが闇に包まれたのか、私自身にもわかりません。ただ、親しい三人に相談し、答えは出ました。
 そしてその後、数年間自分の中で押し殺し隠し続けた恋心を、良い結果が絶対に貰えないだろうと承知の上で伝え、そして予想通りの結果を受け止めました。
 短期間にこれだけ心に負担がかかるような行動に出るべきではない、ということは私自身が一番自覚していたと考えています。しかし、元々感情的で衝動的な私はそれらを抑えることができなかったのです。

 そして私は、これもまた逆効果な衝動でしょうが、iPhoneから携帯ゲームとSNSを、LINEを残して全て削除しました。Twitterに関しては職務多忙で離れ切っており、未だに仲良くしてくれた人には申し訳ないという気持ちを残しながらも、その世界に想い人がいることが耐えられず捨てる形をとりました。
 Instagramに関しては、正直消す必要はなかったかもしれません。ただ、幸せを、喜びを多数で共有し合う環境が妬ましかっただけなのでしょう。完全に「衝動」です。

 それらを削除して気付いたことは、自分がiPhoneに触れる時間が極端に減ったことです。YouTube等の動画も見る方ではありませんし、音楽を聴く時と引越に必要な連絡、両親に借りたものや予定の確認以外、「自分から」iPhoneを触ることはほぼなくなりました。

 最近という程最近ではありませんが、私は人を何かに誘うことがとても苦手なのです。乗ってくれれば嬉しいのですが、親しみが浅い人間程、こちらから声を掛けることは滅多にありません。
 断られてしまうことに対する落ち込みと不安、断らせてしまうことへの申し訳なさ、それらを考えるととてもとてもこちらから声を掛け辛くてたまらないのです。
 あと数日で二十七歳にもなる図体ばかり大きな大男が、何たる情けなさ。ただ、それが本心です。紛れもなく。増して、私は今、仕事をしていません。家で怠惰に自己探索に耽るのみの人間が、社会の為に働き、疲弊した人を自己満足の為に誘うことなど、恥ずかしくてできたものではありません。
 私を友と呼んでくれる人の中に、「S」という男がいます。一番付き合いが長い親友です。彼は私を見捨てませんでした。私と似た、理論派より感情派の男だと勝手に思っていますが、とにかく優しく、自分から何の躊躇もなく誘えるのは彼ですね。

 引っ越してから私を苛み続けるのは「孤独」でした。四年近く同じ天井の下で暮らした女性は、趣味に没頭することが多く、家にいても近くにいる時は食事と睡眠くらいでした。それでも、私が独りではないと思わせてくれるには十分くらいな存在でした。それを自ら断ったことに、相手も含めて後悔はありませんが、この孤独は想定外でした。

 暗い話ばかりになっていますので、少しばかり明るい話を。
 今まで三日坊主が擬人化したような愚男でしたが、三週間ほど自分で決めた筋トレが続いているのです。朝六時前後に起き、散歩し、決められた場所で嗜好品の中で最も愛する煙草を吸い、二千から三千歩散歩しながら身体をほぐし、腕立て十回、腹筋と背筋と二キロのダンベルを両手に持ってハーフスクワットを十五回、そして最初と最後に体幹を四十五秒。たったこれだけのトレーニングと呼んでよいかすら怪しいメニューですが、八日間絶食したため、相当筋肉が落ちてこれが限界です。笑
 今まで夜更かししてまで楽しんでいたゲームを楽しむ余力すらなくなり、自然と早寝早起きができるようになりました。朝の散歩で近所のおじいさん・おばあさんと交わす「おはようございます」が、何と心地の良いことでしょう。自然と孤独が紛れていきます。家にいても、本を読むか、最低音量のイヤホンとアイマスクを着けて惰眠を貪るか、煙を吐くかくらいしかありませんから、外に出て放浪するのも心に優しい手段だったのですね。
 そして、朝日のありがたみを人生で最も感じている毎日です。ここ最近は季節柄曇りばかりですが、朝日によって私の原動力は回復して動けていると心の底から思います。

 現在、十七時二十七分。そろそろ夕方の散歩の時間です。時折暇潰しにここで独り言を吐き散らかそうと思います。十六日には、もしかしたら私を使ってくれる人が仕事を与えてくれるかもしれません。十七日には、私はひとつ歳をとります。予定通りに事が運べば、そこには例のSが同席してくれることでしょう。十八日には、妹が来ます。これまた親愛なる友・Tも来てくれます。彼の心の整理がつけば、高校時代に苦難の連続だったバスケ部を力を合わせ、時に衝突し、そして共に乗り越えたMも来てくれるかもしれません。予定が埋まることは、今の私にとって至上の喜びです。私を友と呼んでくれる人がいる以上、今は息をして心臓を動かすことで手一杯の私ですが、一秒でも長く息をしていこうと思います。

 さて、十七時三十二分。プレイリストを「Increase your sense of self-affirmation」に切り替え、日課の散歩と筋トレに励むこととします。気が向いた時に、またここに独り言を書きに来るかもしれません。誰が読むかなんて知ったこっちゃないし、読んでくれる人がいるとも思いませんが、これが目に留まった人は、私の暇潰しに、どうかお付き合い下さい。

 だらだらと申し訳ございません。ここまで読んでくれた方、お付き合い頂き誠にありがとうございました。

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