記憶

生活の光

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最近の記事

まなざし

デジタルカメラを買った。2年ほど前のことだ。その時既に休職をしていて収入が減った私にとって大きな出費だったけれど(その後仕事は続けられずに退職をした)どうしても必要な出費だった。生きていくために必要だった。 ◇ 限りなく死に近づいた夜が幾度もあった。私は毎晩暗い部屋で布団に潜りひとり打ちひしがれていた。希死念慮は衝動のようなものではなく、自分のなかの自然な流れとしてゆるやかに、しかし確かな絶望感を伴ってそこに存在した。 そんな夜を繰り返しある晩、その苦しみの頂点に達した

    • 小さな願い

      2022年を迎え、年明け早々に引っ越しをした。 ずっと住まいを別の場所に移したいと思っていた。「ようやく」「念願叶って」そんな言葉がしっくりくる。 ◇ 築30年過ぎの2DKで生活を始めた。築年数相応の年季が入ったアパートで、その少し古びた感じや内装の雰囲気がとても気に入っている。新しくぴかぴかではない感じが、今の自分にすんなりと馴染んでくれた。 朝になると昇ってきた太陽の光が部屋に差し込んでくる。ここ最近、日の光がありがたいなあと思うようになった。文化としての太陽信仰も

      • 望郷

        私が生まれ育った土地は、豊かな自然に恵まれている。大きな川が悠々と巡り、清らかな水が流れる。冬は厳しく冷え込み、雪はしんしんと積もり、世界は一面真っ白になっていく。 ◇ 故郷の景色を思い出す時、まず目に浮かぶのは雄大な山々だ。盆地であるこの土地は、見渡す限りの大きな山々に囲まれている。この土地で外の景色を眺めるとき、視界から山が途切れることはなく、遠く遠くまで高い山脈が連なっている。 山は美しい。 季節の巡りとともに、山の色は移り変わっていく。緑が生い茂った青々しい山、

        • 光を放つ

          私はこの世界に生まれてからというもの、両親からの愛情を十分に受けて育ち、友人や周囲の人々に恵まれていた。時には悩み、苦しむこともあったけれど、それはあくまでほどほどの辛さであって、健やかな人生において乗り越えるべき課題であった。いつも目の前にあることに真剣に、あるいは夢中になって取り組んだ。泣いたりした日もあったけれど、多くの日が楽しく笑顔に溢れる毎日だった。 それはとても幸運で、とても幸福なことだった。 ◇ 25歳の夏だった。 突然のことで何も分からない。けれど、自分の

        まなざし

          マインドスケープ

          最近、心の中に海があるような感覚が生まれた。 その海はその時々によって様子を変えて、同じ姿を見せることはきっと一度も無いんだろうなと思う。 ◇ その夜、私は死の淵に立っていた。 今までも何度も生と死をさまよっている感覚はあったのだけれど、その日はとびきりだった。一日の終わりに差しかかった部屋は真っ暗だった。自分の意思とは関係なく呼吸してしまう身体や、何も考えたくないのに湧き出てくる思考が私を苦しめた。インターネットで「自殺」と検索し、机に突っ伏して、あるいはベッドでうず

          マインドスケープ

          生活の光

          わたしは生活が好きだ。 朝、白い光に包まれた部屋の中で目が覚める。大きな窓にかかったつやつやのカーテンや、柔らかい布団や、ベッドシーツや枕カバーは全部真っ白で、それらはみんな静かに朝日を反射している。 いつでも部屋の窓を開けるのが好きで、朝一番もどんな季節でも、起きるとまずベッドサイドの窓を全開にする。わたしはアラームを掛けずとも毎日早朝に覚醒してしまう。だから、窓から見える景色はいつもしんとしていて、まだ街は眠っているみたいだ。 寝ぼけたまま朝の、少しきれいな感じのす

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