五 出荷グランプリ

 晋作がイスズのエルフに乗り込んだのは午後六時を回ったくらいだった。いく絵たちは午前中にトウモロコシを箱詰めする作業を終わらせ、午後は他の畑の除草作業に出ていた。晋作に昼食のカレーライスを差し出しながら、いく絵はエルフの鍵を晋作の胸元に投げつけた。
「いいわね?出荷だけは行ってちょうだいね」
 晋作はカレーライスを食べながら、相変わらずじっとテレビを見続けていた。
 晋作は若い頃、出荷グランプリで優勝したことがあった。
 それはバブル期に県西卸売市場の主催で行われた。市場から数百メートルほど離れた畑で箱詰めされたハクサイを素早くトラックに積んでゆき、それを市場に用意された集荷のためのパレットに並べてゆく。その速さと美しさを競うものであった。
 おそろしく大掛かりで、生産性の全く感じられない大会であった。当時、その大会には五十人近い農家のエントリーがあり、三日がかりで全員の記録が取られたのであった。
 畑にはハクサイが四つ入った箱が百ほど並んでおり、エントリーした農家は二人一組になってその箱をトラックに積んでゆく。そしてそのハクサイの箱を市場まで運び、そこに設置されたメインステージにその箱を一つ一つ降ろしてゆく。いくつかの歓声が上がる中、箱と箱が重々しくぶつかり合う音が市場の高いトタン屋根に反響した。
 荷台から地面、あるいは地面から荷台へと移動するときの体さばき。いかに華麗に荷台から飛び降りるか、あるいはいかに俊敏に荷台へと駆け上るか。またその動作が全行程の中にいかに自然にとけ込んでいるか。そういったことも得点に大きく加味された。
 晋作が参加したのは第二回の大会だった。第一回の覇者、玉藻耕造はこの大会のためにトラックを四台所有し、日々練習に励んできていた。晋作より四つ年上の三五歳は、黒光りするその筋肉と頭に巻いた赤いバンダナ、そしてアフロっぽいそのパーマから「東洋のランボー」の名を欲しいままにしていた。
 対する晋作はどう見ても普通の農家だった。筋肉をひけらかしているランボーとは対照的に、晋作は長袖のシャツを着ていた。大会は二月の開催であり、根っからの寒がりであった晋作にはランニング姿など拷問にしか見えなかった。
 そもそも晋作は出荷グランプリなどになんの興味もなかった。市場が地区ごとに参加者を募っていった結果、晋作にその地区の部会長さんからの圧力が及んだというだけのことだった。もっともランボーのようなやつは例外的で、参加者の九割くらいは晋作同様、部会からの要請でしぶしぶ参加しているだけなのだった。
 それでも参加者たちの家族と部会の仲間たちの応援があり、やきそばや豚汁などの露店も出ていたため、大会は大いに盛り上がったのであった。
 そんな中、晋作は見事に優勝を果たした。
 晋作は自分の家のハクサイの出荷に忙しかったため、一日目の午前中に自分の記録が取り終わるとさっさと帰宅し、それきり大会のことなど完全に頭から消えていた。三日目が終了した夜、家にいる晋作の元に電話があった。
「やっと出ましたね」
 市場の大会担当者の木田からの電話だった。木田は優勝が決まった午後三時から二二回も大畑森の電話を鳴らしていたが、晋作たちは仕事中で外にいたのだった。
「晋作さん、優勝ですよ!おめでとうございます!」
 翌日、出荷のために市場を訪れると、大きなトロフィーを渡された。そして副賞として競技にも使用したハクサイ百箱が渡された。ハクサイは全選手によって何度も何度も箱の中で振り回され続けたため、どれもボロボロに傷んでいた。まさにハクサイを収穫中の晋作の家には字義通り腐るほどハクサイがあり、現にこうして三百以上のハクサイの箱を出荷するために持ってきたところなのだった。
「これは玉藻さんとこのハクサイなんですよ。大会のために提供してくれたんです」
 木田はにっこりとそう言ったが、そんなことは晋作にはどうでもよかった。
「だったら、そう言って置いてきてくれればよかったじゃないの。なんで律儀に持って帰ってくるのよ」
 言われるがままにランボーが育てたというボロボロのハクサイ百箱を持って帰ると、いく絵は不快感を露に言った。
「ほら見てみなさいよ。ほとんど腐ってるじゃないの」
 箱を覗き込みながらいく絵は鼻をつまんだ。たしかに晋作にもにおいが届いた。仕方なく飼い犬のラッツに与えるとラッツはハクサイの葉っぱを犬小屋に敷き詰め防寒用に使おうと試みたのだったが、腐敗したハクサイのにおいに堪えきれず、結局は別な犬小屋を購入しなければならなくなった。
 トロフィーはそのまましばらくエルフの助手席に入れたまま放置されていたが、やがてランボーの手に渡ることになった。
「玉藻さん、結果に納得がいかないらしいんですよ」
 数日後、再び出荷で訪れた市場で木田がそう言った。それを聞くまで、そもそもなぜ自分が優勝できたのかという素朴な疑問さえ晋作は抱いていなかった。考えてみれば、あれほどやる気満々のランボーなどにどうして自分が勝てたのか、たしかに疑問ではあった。なにせ晋作は特別なことをしたわけではなかったのだ。
 なんか申し訳ないような気がしてきた晋作は木田に自分の記録を教えてもらった。木田が事務室に行って引っ張りだしてきた記録表によると、ランボーは三八分二二秒で出荷を完了させていた。それに対し、晋作のタイムは四分二秒だった。
「まあ、たしかに晋作さんのタイム、速すぎるんですよねえ」
 そう言って木田は笑った。晋作の実感としても、四分なんてことは絶対にありえず、四○分以内にゴールできたかどうかも怪しいところだった。参考までに他の選手のタイムを聞くと、二番目に速かったのがランボーなのであり、その次に速かった村田という選手のタイムは四六分三三秒、その次の大滝選手のタイムは四八分五二秒だった。
「いやあ、晋作さん、ダントツじゃないすかあ」
 そう言って木田は笑った。晋作は自分の優勝が誤審に基づくものであることを確信したのであった。
「あ、でも準優勝は村田さんですよ」
 そう言って木田は次に各選手の芸術点の表を見せてくれた。要するにタイムと芸術点を合わせた点数で優勝が決まるらしかった。それによると晋作の芸術点は十四、村田の芸術点は二十、大滝は十六であった。
「ハハハ。玉藻さんは四点ですよ、四点。ハハハ」
 木田はそう言いながら笑った。だが晋作にはなぜそこまで芸術点に開きが出るのかが解せなかった。
「いや、こんなもん、社長のさじ加減ですからね。だって玉藻さん、あんなヘンテコな格好して、気持ち悪いじゃないすか。ハハハ」
 晋作は心底、ランボーが気の毒になった。それで数日後、ランボーから脅迫の電話を受けたとき、晋作はトロフィーをランボーに譲る約束をした。
「つまり、おぬしは優勝したのは私だと認めるわけだな」
 電話の向こうでランボーがどすをきかせるので、晋作は住所を聞き、翌日にはそこにトロフィーを送ったのであった。
 バブルが崩壊してしまったため、その第二回の大会が最後の大会となった。おそらくトロフィーはそのままランボーの家に置かれているのだろうが、それを知る術はなかった。
 ほんの数年の間に一気に周辺の市場の統廃合が起こり、県西卸売市場も瞬く間に取り壊された。跡には巨大な駐車場を持つパチンコ屋ができた。駐車場はいつも満員だった。
 晋作はようやく座椅子からはい出し、エルフのエンジンをかけた。急いで窓を開けてすっかり溜まった熱気を外にかき出した。荷台にはきちっとパレットの上に載ったたくさんのトウモロコシの箱が透明のラップにくるまれていた。
 トウモロコシを市場に持っていけば、フォークリフトに乗った従業員がパレットごと大量の箱をトラックから地面へと運んでくれる。苦労して荷台から地面に降ろす必要もない。これではランボーも自慢の筋肉を持て余しているだろうと晋作は想像した。
 闇がせまってきている方向を目指して、晋作はゆっくりとエルフを走らせた。

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