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渦中から君へ9

人間とはなんなのか?

久々にやってきた公園で遊ぶ君を見ながら、考えていた。
どんよりとした曇り空のせいもあってか、人はかなり少なかった。君はほとんどの時間をHotaru Combinationという名前のついた複合遊具で遊んだ。その遊具にはすべり台3つのほか、ネットを登るやつとか雲梯みたいのとか吊り橋みたいなのとかがいろいろついている。君は階段を上ってすぐ近くのすべり台を滑り降りたり、吊り橋を渡ってから別なすべり台をすべったり、いろんなバリエーションを楽しんでいた。とくに驚いたのは、前に来たときには到底できそうもなかったネットを登る遊具に果敢に挑み、最後まで登り切ってしまったことだ。
来るたびに君は新しい遊具に挑戦し、攻略する。
誰がそうしろというわけでもないのに、すでに遊んでいる遊具に飽き足らず、より難しいものに挑戦しようとする。
何が君を駆り立てるのか。
ぼくがそこで支えなければ、君はすでに落ちて死んでいる。
そんな死のリスクを背負ってまで、なぜ難しそうな遊具に挑もうとするのか。

君はHotaru Combinationと書かれた看板に描かれている絵を指差し、「てんとうむし」と叫ぶ。しかしそれはホタルなんだよ。そう教えても君はしばらくして再び「てんとう虫」と指差す。たぶん赤と黒で描かれているからなんだろう。

明日からは限定的に保育園に復帰することにした。
ぼくも本業を段階的に再開したいし、幸い市内では新たな感染者がしばらく出ていない。みおさんとの協議の結果、まずは月曜日だけ預けることにした。すると君は登園用の手提げを見つけ、さっそくそれを手に持って玄関へと駆け出した。保育園に愛着を感じてることはよくわかった。

ぼくは先日からKindleに入れたテッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」を読み始めたのだけど、さっそく冒頭の短編「バビロンの塔」が衝撃的な面白さだった。
バビロンの塔ってつまりはバベルの塔のことなんだと思うんだけど、リアリティラインの設定がまず独特だった。「天まで届く」とは言うけれど、人が造った塔が本当に天まで届いてしまって、丸天井を掘り進めていくという話。よくそんなこと思いついたなって思うし、どうオチをつけるのかと読んでいるとその結末にうならされてしまった。ほかの短編も楽しみでならないのだけど、そもそもなんでこの短編集を読んでいるかと言うと、表題作である「あなたの人生の物語」を原作とした映画「メッセージ」が好きで、しかもその原作が短編だと聞いて読んでみたいと思ったからだった。

「バビロンの塔」は旧約聖書におけるバベルの塔のポイントである言語について突っ込んだ内容ではなかったけれど、映画「メッセージ」は突如地球に出現したヘクタポッドの言語を解読することが主人公たちの大きなミッションとなる。彼らの言語を解読し、彼らが何を伝えようとしているかをつかもうとする過程がスリリングであり、切なくもある。しかもこの作品も女児を持つ母親の話であり、劇場で観たのは君が生まれる前だったのだけど、いま見返すとより胸をえぐられる話なんじゃないかと想像する。

君は今日も言語を獲得すべく、新たな単語を口にし、単語と単語をつなぎあわせる。しかし、それも実に不思議なことだとぼくは感じる。
他のあらゆる動物がそうであるように、人間も喋ることに必然性があるわけじゃない。なんかしらんがぼくもこうして喋っているし、それで周りにいる人々とコミュニケーションをとっているけれど、ほんの2年前に生まれてきた君にそれを強いているつもりはない。なんとなく話しかけてはいるけれど、喋れ喋れと呪文を唱えているわけでもなければ、強要しているわけでもない。
それでも君は一つずつ単語を習得し、それらをつなぎ合わせることをやめようとしない。
パパ、ママ、ばあば、くまちゃん、アンパンマン、こっち、ヤダ、いくよ、おはよう、起きて、あける、バイバイ、さかな、おはな、ボール、わんわん、にゅうにゅう、バス、ジュース…
日に日に増えていくそれらの単語は、どうして君の口を動かし続けるのだろうか。どうして君をコミュニケーションへと駆り立てるのだろうか。

ただ産み落とされただけの存在が、ただつるんとそこに留まってもぞもぞしているだけで終わるわけではないから人間なのだな。
人間の本質はとにかく「動」。パスカルさんも『すべての人間の不幸は、部屋に一人で静かに座っていられないことに由来している』と言ったそうだが、子どもを持ってその意味するところがより深く理解できた気がする。

いずれにせよぼくは人間という存在をより深く理解したいと思って生きてきたし、その意味でも君が育っていく過程を見ていくことは本当に楽しいと感じるわけだ。

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