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だから、明日も向き合いたい

そういえば僕、もうすぐ退職するんすよ〜と、後輩の男の子が言う。まるで明日休みなんすよ〜とでも言ったかのような、軽い口調で。

「……え、いつ?」

「実は今年中で」

「え、今年ってもうあと1ヶ月ないじゃん?!」

「そうなんすよ〜」

「え、本当に言ってる?!?!」


業務終わり、カルテを入力すべくパソコンに向かっていた時のことだ。パラパラと入力していた手が止まる。それで、なんて?退職???

「作業療法士、続けるの?」

「やー、もういいっす。仕事自体は楽しくなくないって訳じゃないけど。やっぱり、給料が。4年間勉強してコレ?って。これが何年も積み重なって、周りの友達と差がついていくと思うとしんどいから、なら早めにって。先が無いなと。」

「なるほど……」

変わらず飄々とした口調で彼は言う。元のフロアに異動する形で戻ってから早半年と少し。こうして間接業務の合間にチラホラ話すことはあれど、一緒に患者さんを担当したことはない。それゆえに深く何かを共有したことはないだけに、初耳だった。
だってあなたまだ、1年目でしょうに。


年末にポチポチと書き綴っていたのですが、
結局間に合わぬまま下書きに眠らせてしまいました。

年は明けてしまったし、いつもと着地点は変わらず
「しんどいけど仕事好きやし頑張るか〜」以上の
ことは何も続きませんが、年末に綴っていた
自分の中での覚え書きとして
寛大なお心で読んでいただけるとうれしいです。

🪴

5年目くらいまでには1000万稼げるようになりたいっすね〜と話す彼の言う「5年目」がまさに今の自分である。残念ながら、わたしの年収はその半分にも満たない。


そうか、と帰りながらふと考える。
「先が無い」のか、この仕事は。この職場は。

彼のやる気が云々、モチベーションが云々を問いたい訳では決してない。それに、正直言っていることはあながち間違いとも言い切れない状況ではある。国家資格ゆえに患者さん方からも「結構貰ってるんでしょう」と仰っていただくことが多いけれど、現実問題、一般企業で働くまったく別の仕事をしている高校時代の同期のほうがうんと稼いでいる。そのわりに、ある日突然今までの生活を奪われた人たちと向き合う仕事は、割に合わないと正直思うことはある。


わたしはなんでこの仕事を続けているのだろう?



もし1年後に死ぬとしたら、何をしていたいか?そんなことを考えることがある。自己啓発本なんかでよく目にする問いかけで、人は死を意識すると本当にやりたいことが見えてくるのだという。もちろん家族と過ごす時間を云々、今まで会えてない友人たちに会う時間を云々、そういうことは浮かぶけれど、そういうことではなくて。何をして残りの日々を生きたいと思うのか。

そんなふうに考えたとき、やっぱり浮かぶのは今の言語聴覚士という仕事だった。

もしかすると今の職場である必要はないかもしれない。それはうっすらとずっと考えていることだ。いつかのタイミングで次のステージ、違う環境に身を置くことは常に考えているし、10年後も同じ場所で仕事をしているかと言われたらそれは違うような気がしている。けれど、この仕事を辞めたくないなとは思う。

お元気で、と手を離した後何年経てども定期的に思い出す患者さんが何人かいらっしゃる。忘れかけていた頃、夢に見る。

夢の中でもその患者さんは話せない。実際、わたしがあの方の声を聞いたのは、本当にごく僅かな「えっ」「あっ」「はい」くらい。それでもわたしがベッドサイドにお伺いすればガバリと体を起こしてモゾモゾと起き上がり、わたしが冗談を言えばふふふ、と笑う、お食事中の様子を覗きに行けば「終わったから食器下げて」とでも言わんばかりにわたしの手元にお盆ごとスライドさせる。そんな方だった。あの方がご退院してから、もう何年経ったのかしら。

新人の頃に担当した方からいただいたお手紙は今でも名札ケースに忍ばせている。お名前も言えない、文字を書き写すことすら出来なかった方が書いてくださった手紙。文字はやっぱり少しだけ歪で、てにをはが整っているとは言い難い、短い手紙。けれど「本当にお世話になりました」だけはしっかりと書いてある。何もかも投げ出したくなるたびに読み返す。思い出すのはこれだけではない。
この手紙。あの手紙。患者さんやご家族からお手紙をいただくことはそう多くない。関わる多くの方は言葉を上手に操れなくなった方なのだ、手紙を満足に書ける方ばかりではない。それでもご本人が他のスタッフと、時にはお一人で、時にはご家族が書いてくださったお手紙をいただくたびに有り難くて有り難くてたまらない気持ちになる。ようやく春がきたような気持ち。冬を超えた花のすべてが咲くとは限らないけれど、ちゃんと芽吹いて咲く花もある。

「やさしい声といつも素敵な笑顔で私達家族にも接してくださるあおいさんが担当で、夫は幸せだったと思います」

「最初はどうなっちゃうんだろう、と思っていたけど。あれやこれや色んなことを考えてプログラムを考えてくださるあおいさんのおかげでここまで良くなりました!」

そのどれもが嬉しくて、もう幾度となく読み返している。勿論良い方向に向いた方からいただくものばかりだから、その裏にはそれ以上に望んだ生活が取り戻せなかった方々がいらっしゃる。
仕事を失った方、お家に帰ることが叶わなかった方、食べたいと話していらしたお寿司や餃子を食べるまでに至れなかった方。5年も経てばもう少し上手く円滑に仕事ができるものだと思っていたけれど、まだ至らないことのほうが多すぎる。悔しい。歯痒い。情けない。自分の力量云々だけではどうにもならないことや、社会のどうしようもないことを知ってしまい、新人の頃の純粋無垢な気持ちだけで向き合えないことだって正直増えた。

4ヶ月毎日ご一緒している患者さんに「あなた誰、知らない」と毎日振り解かれる手に、「足が動けば家に帰れるからあなたのリハビリは要らない、帰れ」と振り払われることに疲弊し、それどころか慣れてしまいすらしている。仕事が楽しくない日もザラにあるし、帰りたいよ〜と布団の中で嘆く日も夢の中ですら患者さんと揉めていてどんよりと起床する日もある。それでも、なんだかんだ好きなんだよなこの仕事が。



仕事の昼休み、売店に向かっている途中であおいさん、と呼び止められて振り返ったら、かつて担当していた患者さんだった。ご退院してもなお通院でリハビリを続けていらっしゃる方で、部署が違うゆえにもう担当はしていない方。ここにも綴った、今年ご一緒した数多の担当患者さんの中でも、特によく覚えている方である。

「今年1年、本当によくお世話になりました」

「わざわざありがとうございます!こちらこそお世話になりました。……そっか。ご一緒してたの、今年でしたね」

「そうですよ〜あの頃があるから今があるので。本当にお世話になりました。ありがとうございます!」

「こちらこそ、ありがとうございました!良いお年を」

「あおいさんも、良いお年を!」


書き綴っていると、思い出す。ご一緒していた2月頃、「今年が終わる頃には、少しでも良い気持ちで暮れが迎えられるように一緒に頑張りましょう」と話していたのだった。もうそんなふうに季節が巡ったのだ。もちろん大変なことは多いだろう。けれど少しでもあの方にとって、良いこれからが待っていてほしいなと思う。

うんざりすることだって沢山起きるけれど、もうちょっと頑張ってみるかな、2024年も。




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