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夫の島には違う果物が生えている

家庭内に漂う雨雲は、いつも突然やってくる。ひゅう、と吹いて急に冷たい雨をパラパラと連れてくるみたいに。

洗面所で夫とふたり、歯磨きをしていた時のことだ。付き合っていた頃からなぜか我々には、歯を磨くときにお互い声を掛け合うという謎の習慣がある。この日もいつもと同じように誘い合って洗面所へ行き、いつもと同じようにわたしが前、夫が後ろと、鏡の前に縦一列になって歯を磨いていた。

少し動いた夫に対して、「あ、ごめん退くね」と場所を動く。

「いいよ」

「? なんで?」

首を傾げるわたしに夫は表情ひとつ変わらない。

「うん」

う ん っ て な に ?


なんならその前の「いいよ」もよく分からない。そこからさらに動く気配もないし。実は最近こういう、おざなりな相槌が多くて気になっていた。なので努めて明るく、でもハッキリと告げる。


「うんもいいよも、なに?どういうこと〜?もー!最近そういう相槌多くてさみしいよー!」

「え、ごめん、全然無意識だった。てか、なんでって聞かれても、とすら思ってた」

そんなことある?

えぇ。とその場では笑って流して、でも歯磨きを終えた後、夫がポツリと「そういうこと多いのはよくないね、ごめん」と改めて反省する。それに合わせてこちらも反省した。言葉が足りなかったのは、こちらも同じだ。それから、二人で答え合わせ。

「あなたが声かけてくれたさっきのやつ、どういう真意だったの?」

「わたしは、あなたが動く様子だったから、鏡見えないだろうし邪魔だろうなと思って。それで『退くね』って。だし、いいよって言われたけど変わらないから、え、なんで?見えなくない?っていう意味で。」

「あぁ、なるほど。僕はそれでいうと、何も困ってなかったのに退くねって言われたから分からなくて。いや、いいよってつもりだった」

「「そういうことかー!」」

二人して合点がいった。


まず前提として、我々は身長が30cm違う。つまり同じ鏡を見ていても、見えている景色はまったく別なのだ。わたしからしたら「この角度だとわたしが邪魔で鏡見えないだろう」と思うし、夫からすると「何も困ってないのにな、はて?」である。
だからこそ、「あ、ごめん( わたしが邪魔で鏡使えないよね ) 退くね」だし、「( いや、何も謝られるようなことはないけど、まあ ) いいよ」なのだ。
さらに言えば、「( 見えないから困るであろうに、 ) なんで?」であり、「( え?だから何も謝られることはないのに許すも何もなくない?てかなんでって聞かれても? ) うん」である。

お互い言葉が足りなさすぎる。あと我々は見えてるものが物理的に違いすぎることをもう少し思い出したほうがいい。基本的に夫婦ふたりでの生活はとても穏やかで、それでいながら毎日が修学旅行の夜みたいに楽しい。けれど稀にこうして「お?やんのか?」という、ほんの少しだけピリ……とした雰囲気が立ち込めることがある。そういうときは大体、お互いが自分の物差しで相手を測っている。

「あなたはわたしじゃないのにね」

「こうも一緒にいて一緒のこと考えてると、つい忘れちゃうんだよね」

そんなことをよく話す。結婚してまだ2年とはいえ、こちとらまだ27年しか生きていないのだ。そんな中で一番お互いが自分のことを知っていると思っている。だからこそ、ついふとした時に自分の物差しを相手に当てて「なんでこうなった?」と思ってしまうのである。よくないね、気をつけようね。



話は少しズレるけれど、任天堂から出ているゲームに「どうぶつの森」というものがある。

わたしの大好きなゲームだ。DSで遊んでいた頃から始まり、最新版のSwitchに至るまでプレイしている。住民であるどうぶつ達が集う島( 昔は「むら」だった )で、住民たちとおしゃべりをしたり、魚を釣ったり、化石を掘ったり、花を育てたりするゲームだ。絵に描いたようなスローライフ。

急に何の話かとお思いだろうけれど、夫と話しているときに、ふと思ったのだ。

「あ、そっか。我々は違う島から今こうして合流したんだもの。同じ果物が生えてるとは限らないのか」と。


あつまれどうぶつの森( 以下、「あつもり」と呼ぶ )の島には、果物の木が生えている。自分の島の初期フルーツはさくらんぼ、りんご、オレンジ、モモ、ナシのどれか一つだ。それに加えてヤシの木だけ、海岸沿いの砂地に生える。自分の島に生えるフルーツは選べない。他の果物は、DS版の頃なら違う果物の木を持つ友人と通信をして交換するしかなかったし、Switch版でも同様の方法を使うか、他の島に行って得るしかない。

家庭生活、ひいては人間関係も同じだと思うのだ。
人は皆、自分の島のことしか知らない。他の島の人と交わるまで、「みんな島にはオレンジがある」と思って疑うことはない。だって、自分の島にはオレンジの木があるから。他の島のことを知らないから。
オレンジができる島も、さくらんぼができる島もある。そこに優劣や正しさ/誤りの区別はない。ただ、「違うものが生える島だった」というだけ。


人との関わりも同じだ。
普通こうでしょ、と思うから正しいと思っていることがズレると困惑する。夫婦関係のように、ふたりにとって最善の策を取り合う信頼のうえで成り立つ関係だとしても、だ。お互い良かれと思って動いたことが、「なんでそうなった?」と思うことに繋がることだってある。単純な良し悪しでは計れないし、夫婦になったからには「価値観の違いだね〜」で終わらせられないこともあるので難しい。

けれど、夫婦だから向き合いたいと思うのだ。
「違っていて面白いね」「そういや別の人間だったね」と言いながら、時々そんなふうに歩み寄って生きていきたい。あつもりと一緒なんだよきっと、と言ったら夫は笑っていた。

「違う果物が生えてるからしょうがないね。そちらの島はオレンジでしたか。」

「そうなのよ、我が島ではこれが主なんですわ。」

そんなふうに話をして、ふたりで一つの心地よい島を作るのだ。そこにはきっと、オレンジもリンゴも生えている。ふたりでいれば、2倍豊かだ。






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