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きっと今夜は、7年前の夢を見る

せかねこさんの「ほむら先生は多分モテない」の最終巻を読んだ。

高校教師のほむら先生と、そんな彼に恋をした女子高生の蓮見さんの漫画である。

ちまちまとTwitterで拝読していたのだけれど、どうしても最終巻が気になって仕方なくなり、Kindleで購入した。0:00になった瞬間読めるのをいいことに、やることを済ませて時間が来るのを待った。でも落ち着かなくて、一旦スキンケアを挟んだ。それくらいには、どきどきしていた。

読み終えたのが0:30過ぎ。そこからこのnoteを書いている。ちなみに明日は仕事である。さらに言えば明後日は7:30出勤である。でも読んだし、書いている。


!以下、作品のネタバレを含みます。




きっと2人は結ばれるのだろうな、というのは勿論分かっていた。どこぞのララランドよろしく現実の美しさを綴るものではなく、あくまで夢を見られるお話だと思っていたから。けれど、それまでの過程は読んでいて苦しかった。

「なんで私達、先生と生徒なんだろう。なんでもっと普通に出会えなかったんだろう」

蓮見さんの言葉に、胸がシンと痛んだ。

「いつか絶対こうして( お互いを選ばなくて )良かったって思う日があいつにも来るよ」

ほむら先生の言葉に、心の奥がカチリと鳴った。砂を噛んでしまったような音。この揺れる心に、覚えがあった。


高校生の頃、わたしもこの漫画さながらに高校の先生に片思いをしていた。逆立ちしても赤点以外が取れないほど死ぬほど苦手だった数学の先生だった。

背があまり高くなくて、真っ黒に日焼けしていて、ひょろりと細い人だった。いつも意地悪で、でも面倒見が良くて、几帳面な字で数式を書いてくれる先生だった。 yの書き方が独特で、下ばかり長くて縦長のそればかり指でなぞっていた。もう7年も経ったのに、今でも良く覚えている。ほむら先生と同じように「セクハラになるから」と指一本生徒には触れない人だった。いつもボールペンの頭でカツカツとわたしを押した。

卒業式の日、その2年後の高校の同窓会、それから1年後、高校に遊びに行った時以来、先生には会っていない。好きですなんて口が裂けても言えなかった。でもきっと、先生は気付いていた。と、思う。

叶った恋より伝えられなかった思いのほうが残るとはよく言ったもので、高校を卒業してもう7年が経った今でも、たまに先生の夢を見る。上京すると伝えたとき、「東京の人になっちゃうんだね」と話していた、あの日の顔を何度も夢に見た。


選ばなくて良かったとは思わないけれど、好きでいられてよかったとは今でも思う。わたしの高校時代の、大事な大事な思い出だから。


この漫画を読んで、あの頃叶わなかった気持ちがやっと成仏したように思えた。叶わなくて当然だったし、ごくごく一部の友人にしか言えなかったけれど、それでもわたしは先生を好きになれてよかった。叶わなかった気持ちは、かわりに蓮見さんが叶えてくれた。

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ここまで書きながら寝落ちたけど、先生は夢に出てこなかった。そういうところも含めてあの人らしいと思った。

卒業式の写真をひさびさに見返して、拳ひとつ分空いた隙間に意味を見つけた。わたしが先生と、「生徒と先生」だった距離間の分だった。( 自分の顔が今の数倍パンパンでドン引いたのはここだけの話 )きっとそれすらいい思い出としてこれからは思い出せる。


ほむら先生、蓮見さん、7年前のわたしの気持ちを救ってくれてありがとう。せかねこさん、これまでお疲れさまでした。


きっともう、先生の夢は見ない。


















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