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ハレもケもハレ16 : 結婚式は誰のために

お付き合いをしている彼と同棲を検討し始めたのをきっかけに、人生とは?結婚とは?家族とは?を考え始めた今の心境を書き綴ることにしました。
結婚してからも変わらず、「ふたり」の選択におけるあれこれを好きに書き綴っていこうと思います。
お好きなところだけつまみ食いしていただけると幸い。


最近は結婚式についていろいろと考えがちです。
今回はその走り、「そもそも結婚式をどうするか問題」について。

( 過去になったところから書いていくので、ゆっくりしばらく続きます🐢 )

🕊


結婚して年が明けた。
入籍した日はあんなに暑かったというのに、週明けには近年稀に見るほどの大寒波が訪れるらしい。月日の流れる早さに驚いてばかりいる。

婚約、家探し、引っ越し、両家顔合わせ……と、膨大なタスクをスプレッドシートで管理して2人で動かしていく1年が終わったと息ついていたけれど、年が明けたら明けたでまだ残っている決め事を思い出した。


「新婚旅行と結婚式、どうしようか?」


そう、新婚旅行&結婚式どうするか問題である。


あまりにも平穏に日々が流れていくものだから忘れかけていた。それぞれ職場に聞いたところ、どうやら入籍から1年以内しか特別休暇なるものは取れないとのこと。となると、そろそろ考え始めなくてはならない。
ということで、考えることにした。

新婚旅行はなんとでもなる。それに、このご時世になる前は比較的フットワーク軽くあちこちに各自行っていた2人である。ホテルや交通手段を調べるのはわりと慣れっこ。こちらはどうにかなりそう。

となると、問題は結婚式である。


そもそもどこから話し合いが始まるかというと、「結婚にまつわる何かをするか否か」からなのだ。
ここにも書いていた通り、積極的に結婚式がしたい!!!!!という気持ちはお互い無かった。参列側はいくらでも喜んで、というスタンスまで一致した上で、それでも尚、自分たちが圧倒的主役!たくさんの参列者!という気持ちは皆無だったのだ。

繰り返しになるが、参列側は楽しい。ほんとうに楽しい。そして嬉しい。前撮りの写真の時点からこちらまでそれはそれは幸せな気持ちになる。
だから、どんどんやってほしい。ただ、自分たちが真ん中になると話は別だ。それに特段憧れがある訳でもない我々が友人や職場の方をお呼びして行う1番オーソドックスな結婚式!を挙げたとて、疲弊するのは目に見えていた。決め事は少なければ少ないほど良い。選択肢があればあるだけ自分たちは困るタチなので。


とはいえ何もしないのもねえ、という話になり、写真くらい撮りますか、という方向性になった。いわゆるフォトウェディングである。結婚指輪を作ってくださった方も、このご時世になってからそういう方が増えたと仰っていた。
調べてみるかあ、と重い腰をあげ、2人でフォトウェディングについて調べることに。


……したはいいものの、フォトウェディングですら選択肢が多すぎて慄いた。

フォトウェディング、こんなに主流になってたの????????

後から知った話だが、件の感染症の影響でここ数年、フォトウェディングの需要はかなり高まっているらしい。もともと大規模な結婚式を執り行っていた式場が比較的安価に行えるプランを始めたり、フリーのカメラマンが個人で始めたり、というケースもあるそう。
だから、「写真が撮れたら」「せっかくなら家族とも写真が撮れるといいよね」「スタジオ!みたいなところよりはチャペルみたいなところだと尚いいね」
と、自分たちなりにかなり絞ったつもりでいたけれど、そんなのどこでもやってくれることだった。



写真は撮れる。
( そりゃそうだ、フォトウェディングだもの )

家族とも写真が撮れるところは多い。
( とはいえ、これはプランによって様々だった。最後に1枚、はいポーズ!みたいなところもあれば、ドレスやタキシードを着ずに家族写真を撮るようなところもあった。それはちょっと違うんだよな……とページを閉じること数回。ここが1番検討事項の中で絞りやすい項目だったかも )


チャペルはもちろん、大手式場や文化遺産など、撮れば思い出になるであろう箇所は想像を超えるほどあった。
( 実際、雅叙園で写真を撮るとなると、もうそれはそれは式を挙げずともメモリアルだろうな……という話をした。あとはかつて2人で行ったことがある国立科学博物館で写真が撮れるのはかなり魅力的だった。 )

ソッと2人してパソコンを閉じる。
そして一旦お茶を飲むことにした。
話し合いをするときは、温かい飲み物と甘いお菓子をセットにするのは、いつのまにか定着した我が家のルールである。
そしてどちらからともなく、ポツリ。


「決めるの、こんな大変なの…………?」


ねー?!?!?!と強く共感する。こんなはずではなかった。選択肢を狭めたつもりでフォトウェディングを選んだし、実際これでも選択肢はかなり減ったほうだろう。それでも自分たちが思っているよりも大変だった。


そして原点に立ち返る。

わたしたち、なんでフォトウェディングを撮りたいんだっけ?


かつて彼が話してくれたことを思い出す。

「もともと兄弟揃って天邪鬼で、写真を撮られることが本当に嫌だった。だから入学式とか卒業式に写真撮られるのもいやだったし、観光地で撮られるのが嫌で拒否してたら母親にめちゃくちゃ怒られたことがある。

それはもうほんとどうしようもないんだけど、今となっては申し訳ないことしたなってやっと思うようになった。って言ってもじゃあ、さあ撮ろう!とは思えないんだけど……。根本は変わってないし変えられないから。でも、結婚式みたいな節目じゃないと撮ろうと思えないと思うんだよね。


だから、あなたが『家族と写真を撮る機会も欲しい』って言ってくれたのに全面的同意。
あと、別に押し付ける訳じゃないけど、結婚式ってなんだかんだ花嫁とその親のためみたいなところは結局あると思うんだ。もちろんそれだけじゃないんだけどさ。誰が主役かって言われたら、そう思う。」


そうだ、思い出した。
もちろん自分たちのために、というところはあるけれど、でもそれだけじゃない。

わたしはきっと、「前向きに」「きちんと」両親から卒業したいのだ。ここまで育ててくれてありがとうという気持ちと、ちゃんと幸せになるから見ていてね、の気持ちと。
上京する前日、「死ぬまでにあと何回会えるんだろうって思うの」と言いながら涙していた母の気持ちに対して、地元に帰るという形で応えることは多分できない。けれど、幸せだから安心してと形にすることはできるかもしれない。

「……ここ、どうだろう?」

前向きになれた気持ちで開いたページを一通り眺めて、彼に声をかけた。








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