一番好きな人の話

彼とはいわゆる合コンってやつで知り合った。
色白で鼻筋が通っていて、第一印象は「顔が好きだ」だった。

一度だけ彼と映画を観に行った。
当時話題ではあったけれど、とても後味の悪い暴力的な表現のある映画だった。
初めてのデートにしては最悪のチョイスだと思う。
けれど、そのあと飲みながら彼と映画の感想を語った時間は最高だった。
映画、音楽、価値観。
長い間合わなかったピントがぴったり合ったかのように、話し出してすぐに2人だけの世界に入り込めた。
いつかルーブル美術館に行ってみたい。そんなありきたりの願望でさえ、彼と共感したとたん、これって運命なんじゃないか、と思ってしまった。

いろんな人と出会ったけど、あの感覚は今でも忘れられない。
というか感じたことのない、不思議な感覚だった。

この瞬間、私は大学生のときに受けたとある倫理学の授業を思い出す。そこで、「人間はもともと手足が4つずつある生物だった」という神話を知った。あるとき、全能の神ゼウスがその人間を2つにパックリ分けてしまったという。
だから私たちは、今もたったひとりの自分の片割れを探してさまよいつづけるんだ、と。
なんてロマンチックな考え方、と当時まだロクな恋愛をしてこなかった私はうっとりして聴いていたけど、もしかして彼が、私にとっての片割れなのかもしれない。そう考えるほど、心地いい時間だった。

でも、残念ながら、彼から紳士的な好意は一度も受けなかった。
言い方を悪くすれば、求められてるのはカラダだけだった。
彼のことが本気で好きだったからこそ、私は頑なに拒み続けた。

そんなとき、彼と出会った合コンにいた他の男の子に告白された。
タイプではなかったけど、優しいし、デートのお店のセンスはいいし、なにより私への好意が感じられた。
私は、相手に一週間待ってほしいと伝え、その次の日に「カタワレノカレ」へ電話をかけた。

「あの夜は、なんだったの?私のこと、どう思ってるの?」

震えてしまう声を押し殺すように、小さな声で尋ねた。彼は外にいるようだ。まわりがうるさい。

「なにって…なんでもないよ、一時のーーーー」

そこから先は覚えてない。記憶から消えるくらい、その言葉ショックだった。

「私…あなたの友達と付き合うことにしたから」

負け惜しみのように聞こえたかもしれないといまなら思う。でもそのときの私は、彼を引き止めたくて必死だった。彼は一瞬息を詰まらせながら、でもすぐに。

「まじか……おめでとう」

少し笑いながら、そう言った。
嘲笑なのか、驚愕なのか、それとも…。

「じゃあね」

泣きそうだった、でも泣いたら認めることになるから絶対に泣きたくない。ここで泣いたら、私が好きなのは、あなたなんだと言ってしまいそうだった。

電話を切って、やっぱり少し泣いた。

ここで素直になれば、もしかしたら彼も、好きになってくれたのかもしれない。いや…でもきっと傷つくだけだろう。

ゼウスの話が忘れられない私は、その神話を思い出すたびに彼のことも同時に考え、彼のことを思い出すたびにゼウスの神話のことを考えるのだ。

これが、私の一番好きな人の話。

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