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目が肥えるとは違和感を感じること

どうやらそうらしいです。じゃあ違和感とは何なのか。

違和感は目標との差だと思うんです。
例えば自分の描いた拙い絵と神絵師の整って迫力のある絵を
例えば鏡で見た自分の姿と美男美女の写真を
例えばこの書いた日記と人気ブロガー輝かしい文章を
例えば録音した声と声優さんの生き生きとした演技を
それらを比べた時に出る、あぁもっと!という感覚

これらを比べた時に必ず生まれる物足りなさと悔しさで心は折れ泣きたくなってこの世から去ってしまいたいなんて思うほどに辛い経験もしますけれど


SNSでいいねやRTそしてリプライなどもらって楽しそうに創作している人たちを見ながら何の成果も得られなかった自分の創作と比べてみる。足りない
経験も興味をもつ数も深さも、考えも
でも足りなさを知ったから足りない部分は次に足したら良い
比べたものが良ければ取り入れて、そうじゃないなら今を貫く
そうやって良いものって生まれて行くからその経験が多い方が良い目になる

それでも目が磨かれたところで上手くアウトプットできるわけではないんだけど、創作って単純にアウトプットされた絵とか声とか文章だけじゃなくって、それをどうフォローするかっていうのも含まれててそっちの方が大事だったりする。褒めれば続ける、続ければ経験する、経験すれば上手くなる。

だから目を磨いてできたことを探して褒めて、さらにアウトプットしたもので誰かが笑顔になるように努力してみる。誰かの感情を動かせたら勝ち。良いとこ見つけられても勝ち。差が言葉にできたら勝ち。アウトプットできた時点で比べられるものが目に見えてるから勝ち。何に勝つのかは知らんけど

ふと手にとった配色手帳に使ったことない意識したことない綺麗な配色があったら次に使えるからラッキーだし、昔読んだけど本棚の肥やしになっている本を読み返して面白い言葉があれば超ついてる。ラジオとか動画を見て笑わずにいられないものを見られたら最高にハッピー。好きはすぐそこにある


違和感をかき集めて作ったものを振り返るとその違和感を忘れてたりして、また取り入れてみる。昔の感性と変わっているから良いものと思えなくなったりする。心理学者のジェームズって人も感情とか記憶とか感覚は絶え間なく変わって行くものだっていってるし多分そうだと思う。

だから移りゆく中でできるだけ綺麗でできるだけ楽しくてできるだけカッコいいとこに居たいな。目的は明確に目標はぼんやりとが良いってゲーミフィケーションの本に書いてあったからそれを信じて、ボケッとした目標に向かってのんびり違和感を克服するって目的をプチプチ潰して行きたい。

近くのモーテルにあるカレー屋さんのチーズナンを食べたのだけどホカホカで良い食感でチーズの溶け具合が絶妙で適度なしょっぱさがあって美味しい。同じモーテルに違うチーズナンを売ってる店があるらしいから今度はそっちへ行ってみよう。

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