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第二話 戦争証跡博物館にて 2019年4月のベトナム・ホーチミン旅行記 二日目その1


旅行先での朝食は宿泊先で取ったほうが色々と捗る

早起きは苦手な性質だが、旅行の時は自然に爽やかに自然と目が醒める。
6時に起きて身だしなみを整えて、朝食ビュッフェへと洒落込む。

客室だけ見ると高級ホテルとは思えないのだが、前述の通りガワのエントランス部分だけはキッチュな仏式コロニアル様式、という見栄を張った造りのホテルであるため、エントランス部分に隣接し外から見える朝食会場は立派な造りであり、供されるビュッフェも中々豪華。
フォーや生春巻き、お粥等の典型的なベトナム料理に加え、べーゴンエッグ等の西洋料理やベトナム特有の果物類も充実しており、満足行く朝食を取ることができた。

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基本、毎度Sとの旅行では、行動の自由を制限されることを理由に、朝食無しプランで宿泊することが殆どである。(あと宿泊費を抑えるためというのもある)

毎度、地元の人間が利用する屋台やローカルな食堂で朝食を取ろうとするのだが、実際問題、宿泊施設以外で土地勘の無い旅行者が満足のいく朝食を取ることが実際は難しく、大抵はコンビニ(もしくはそれに準じる施設)で軽食を買い食い、酷い時は観光地の売店にあるスナック菓子類で済ませざるを得なかったことが殆どであった。

空腹の状態で異国の朝を歩き回るのは相当ひもじい。
過去の反省を踏まえて、今回は朝食付き宿泊コースを選んだのが、これが大正解であった。
変に旅慣れた人間を演じることなく、土地勘の無い所に泊まる際は躊躇せずに、多少の出費はあったとしても、宿泊施設でちゃんと朝食を取ろう!
過去の失敗から学習できている我々は偉い !
(10回ほど失敗しているので多少はね)


最初の目的地は戦争証跡博物館。

ベトナムで戦争といえばあのベトナム戦争。
ここは世界史に残るこの悲惨な戦争を後世に伝えるための博物館である。

歴史好きというのもあるが、特にベトナム戦争についてはNHKの戦争の世紀第9章・ベトナムの衝撃を数十回も繰り返し視聴し、関連書物も相当読みふけった自分としては是が非とも訪れなければならぬ場所であった。


ホテルから博物館まで約2kmとそれなりに距離はあったが、昨晩訪れたブイビエン通りの反対方向に位置しており、道中でタオダン公園と呼ばれる巨大な公園もあることから、散歩がてら徒歩で向かうことにした。
朝食もしっかり取ったのでエネルギーも十分にあるしね!

朝のホーチミン散歩。広大な公園を歩く

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外に出てホーチミン初めての朝。

熱帯特有の生臭さと甘さが混じる湿気がムワッとするのが何とも心地よい。
日本では決して味わえない、快感とは決していえないこの独特の臭いに触れると気持ちが昂ぶる。

数分歩き、タオダン公園のあるエリアに到着。道路が広く、周囲には大きな木々が立ち並ぶ緑が多い場所であるので都内で例えるなら神宮外苑周辺と雰囲気が少し似ている。​

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ここは地図の上では広大な敷地であり、中々インパクトがある場所だと思うのが、どういうわけかガイドブックにもあまり記載がなく、ネットでもあまり情報がない場所。

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敷地は結構大きいのだが、あまり情報が無い


公園を散策。随所随所で運動器具が置かれており、器具を利用して運動をしている地元民がチラホラ見られるのが興味深い。
しかし傍から見ている限りでは、ちゃんと運動器具を有効に使っているとは思えない、極めて低い負荷でダラダラダラダラ器具を動かし、単にやった感を演出しているだけに思える。

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そんな彼らに混じり、僕の煽りに応えて懸垂を披露するウェイトトレーニングガチ勢のS。だらだらと効果のない運動を続ける地元民と、ストイックに鍛えなければ決して出来ない懸垂運動を続ける旅行者のSのコントラストが何とも面白かった。

運動施設以外にも子供用の遊具や、花々が飾られているイベント会場のようなものもあり、都心のど真ん中にあるオアシスのような印象を受けた。わざわざ外国から来て観光する場所ではないのだが、ホーチミン市民に愛されている重要な場所であるように思えた。

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戦争証跡博物館にて 写真撮影に勤しむ地元民

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歩くこと30分、戦争証跡博物館に到着。
道中は建物らしき建物、特に商業施設らしき物のは殆ど見受けられなかったが、どの場所であっても、歩行者や訳もなく佇んでいる人が必ずいるのが不思議でならない。経済発展著しい場所は兎にも角にも人が多い、ということなのだろう。人は力だ!

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道中見つけた油そば屋

博物館内部は、予想はしていたが、白人観光客が大多数を占めていた。
それもバックパッカー街に屯するような不良白人はおらず、お行儀の良い良識にある年配の方、家族連れが多かった。

特に印象深かったのは松葉杖や車椅子で博物館を訪れる傷痍軍人と思わしき白人男性が複数名いたこと。
当時、サイゴンと呼ばれたこの場所に送り込まれ、北ベトナム軍やベトコンとの戦いで名誉の負傷を遂げた元米兵であろう。
どのような気持ちで彼らはここを訪れているのだろうか。


入場料を払い門を潜ると、まず目に付くのはベトナム戦争時代に鹵獲した米軍の兵器類の数々。戦車、ヘリコプター、軍用機、高射砲等などが立ち並ぶ野外展示場。

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そこでは数多くの来訪者が兵器の前で記念写真 or セルフィーに興じている。
外国人観光客はそれなりに節度を持って写真を撮っているのだが、
地元民ははしゃいだ様子でスマホをパシャパシャ。

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ベトナム人はスマホ撮影が大好き、と何処かで聞いたことがあるのだが、戦争という負の遺産を体感させるこのような場所で、笑顔で戦車砲にぶら下がったり、滑稽なポーズをとって何やら騒ぎ立てるのはどうなのだろうか。

だが過去の事は、例え自身の歴史に密接な繋がりがあることであったとしても、あまり気にしないのがベトナム人気質なのかもしれない。
他国の人間が、しかも彼らと敵対した米国の同盟国である異国人の我々がああだこうだ上から目線で断じるのも大変失礼な話ではある。

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野外展示場の外れの方には、南ベトナム政府に捕らえられた北ベトナム兵捕虜や南ベトナムの政治犯やベトコンが罪人として送り込まれた流刑地の刑務所を再現したエリアがあり、実際に使われた処刑器具や、拷問器具だけでなく、実際に虐待を受けた捕虜・罪人たちのむごたらしい写真が展示されており、背筋が凍るような恐怖を感じる場所ではあった。

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今にも泣き出しそうな悲痛な顔をして展示物を凝視している老白人夫婦等、神妙な面持ちになる我々外国人を尻目に、このような場所であったとしてもベトナム人たちはやたら陽気で、何やら騒ぎ立てながら拷問器具やギロチンの前で記念写真をキャッキャッ撮っている連中が少なからずいたのには度肝を抜かされた。

実際に痛ましい経験をした被害者とその子孫たちが、このような場所で不謹慎とも評されるであろう態度を取っている。
この国の人々のマインドは複雑怪奇である。掴みどころがなく、決して敵に回してはならない。

だから米兵と雖も彼らを屈することができなかったのだろう。

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博物館の館内にて

館内は3階建。外から見るよりかなり広く感じる。
各展示に番号が振ってあり、番号を追って展示を見学する仕組みになっているのだが、動線はしっかり整備されており、無駄に歩くことがない造りに設計されている。加えて各々の展示自体も時系列がしっかりしており、それぞれテーマも特徴的。学芸員の気合が感じられる。


展示内容はベトナム戦争で実際に使われた兵器類とその犠牲になった人々の写真がそれぞれのテーマに沿って展示されている。
ベトナム人だけではなく、米兵の悲惨な写真も多く展示されており、フラットな印象を与える。

展示写真はどれも見ていて胸が潰れるものばかり。特に枯葉剤の被害に関する展示は極めて痛ましい。嗚咽を漏らす情緒豊かな白人女性もいた。流石にこれらのエリアでははしゃぐ地元民はおらず。重く、冷たい空気があたりを支配する。


興味深かったのは最後の展示エリア。世界からの応援、というテーマであり、世界各国の反戦活動に関する資料が展示されていた。当時の共産主義陣営だけではなく、当事国である米国含めた西側諸国の資料、第三世界やパレスチナ等、当時の貴重な世界各国の反戦活動の様子を数多く見られるの一堂に会しているのは興味深い。

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珍しいホーおじさんと毛沢東の握手写真

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ゲバラではなくカストロ?なのがちょっとおもしろい


自分が日本人ということもあるが、日本語で書かれた展示品が非常に印象に残った。

調べた所、日本共産党の党員や当時の学生運動に深く関わった方が数多くの資料を寄贈したようであるが、ゲバ文字で書かれたビラ、ベ平連の反戦広告、フルセット完備しているのではないかと思わしき膨大な数の赤旗など、日本語展示物がこれでもかと密に展示されていた。
(だが肝心の日本語展示は写真を撮り忘れるという失態を犯している)

一通り見学を済ませると、当然のことながら重い気持ちに包まれる。
一旦気持ちを入れ替えるため、併設されたカフェで一服しようと試みたのだが、同じことを考える人が大多数を占めているようで結構な広さのカフェは満席で、並んでいる人すらいる始末。


並んでまで喫茶したい、とは思わないタイプなので、次の目的へ進もうと思ったのだが、ちょうどこのタイミングでスコールに襲われる。


バケツをひっくり返したようなスコールを人生初体験。

雨の日も基本的に傘をささずに歩み続けるイングランド方式を普段取っているのだが、数メートル先も見えない程の滝のような雨量が降りしきる状況では流石にそんな訳にもいかず、全く身動きができない。

だがこの異様な光景は日本では決して体験できないため、旅行者として非常にテンションが上がる。

我々以外の外国人観光客も皆同じ趣のようであり、楽しげな目で降りしきる豪雨を見ており、親に無理やり連れてこられて陰惨な気分にさせられた子ども達は、ここぞとばかりにルンルンと目を輝かせ、スコールのシャワーを浴びようと外に出て親に怒鳴られているなど微笑ましい光景が見られた。

だが一方、日常敵に何度もスコールを経験している地元民にとっては、あらゆる活動を止めさせられる不愉快な驟雨でしかなく、大人から子供に至るまで憮然とした態度を取り、皆一同に絶対に雨に当たらない館内の奥地に避難。

恨めしそうにスマホを弄りながら時が過ぎるのを待っていた。屋外展示物で不謹慎なほどはしゃいで写真を撮りまくっていた人種とは思えないほどの活力の低さ。雪国の人間が大雪に対して臨む態度に実に良く似ている。

思わず動画を撮影したが、レンズ越しでは雰囲気を伝えるのが難しい

この種のスコールは暫くすれば止むものではあると知っているのだが、10分ほど待っても全く止む気配はない。
最初は物珍しいものとして愛でていたが、時間の限られた旅行を雨で遮られるのはあまり良いことではない。
Sと相談し、次の目的地であるホーチミンの華人エリアであるチョロンまでGRABでさっさと移動することにした。

スコール中は追加料金がかかり、車も捕まり辛いとは聞いてはいたが、運良く数分でマッチング。

折りたたみ傘が意味を為さないレベルの滝のような豪雨の中を走りながら車に乗り込み、博物館を後にした。

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