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リトリックさのかけらもない文章ですが。読んでいただせたら幸いです。在し日の思い出や今の…

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リトリックさのかけらもない文章ですが。読んでいただせたら幸いです。在し日の思い出や今の気持ちや気づきを綴りたいと思います

最近の記事

大学での出会いに感謝🥲

大学に入学してから、これまでと違って毎日たくさんの人と出会う日々の連続でした。 私は大学に知り合いが1人もおらず、コミュニケーションが大の苦手という絶望的状況からスタートしました。 「名前は?」「出身は?」「趣味は?」「入りたいサークルは?」 話題は大体同じなのに、初対面ということもありありきたりの会話をするだけで疲れる💦 4月はバイトもサークルもしてないのに毎日緊張の連続でした。 埼玉から離れた不安も残りつつ、京都での新しい出会いに高揚する日々。なんやかんや楽しい

    • 【第五回※文字ほんまに多い】イジメと鬱が奏でる「狂気」の受験期(後編)

      前編では僕の受験直前期までをお送りしました。 今回も長文になりそうですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。 私は受験の直前期、スランプに陥ってしまう。 スランプの理由は明白で、直前なのに過去問の得点が下がっているからだ。 最初は、またもとに戻るだろうと思っていたが、焦りからか普段のパフォーマンスを発揮できず、次第に過去問を解くこと。勉強すること自体が辛くなり勉強しようとすると次第に涙がが出てくるようになった。 人間というより自分はちょっとスランプが起きてしまった

      • 【第四回※文字ほんまに多い】イジメと鬱が奏でる「狂気」の受験期(前編)

        時は高校3年時。 私はこれから先感じることがないだろうと思う地獄へと何も知らずに足を踏み入れてしまいました。 3年生のときにクラス変えがありました。私達の代は学校を途中でやめてしまう人が多く、学年160人のうち私が知る限り20人は校舎を後にしていました。 先生方も気が狂ってしまったのでしょうか。あろうことか僕の3年時のクラスが「イジメっ子」と「不真面目な奴」で固めあげてしまったのです笑 もちろん私は「不真面目な奴」に分類され、女子すらいない監獄にぶち込まれることになり

        • 【第三回】生まれてはじめて本気になれた

          今回は第1回、第2回とは違った自分が本気になれた話をします。 私は高校2年生の4月に埼玉の河合塾に入塾しました。入塾時の偏差値は33。高校の偏差値も45くらいでしたので、はじめて授業を受けた7月に「自分はこの教室の中で1番アホなんやろなぁ」と思ったことは記憶に新しいです笑 ※4月入塾ですが、コロナにより授業が無かったため7月まで何もしてません 河合塾に入り、変化が訪れたのは確か9月でした。新学期から受講していた英語の先生が変わり、1番下の英語のクラスに河合塾の大人気の先生

        大学での出会いに感謝🥲

        • 【第五回※文字ほんまに多い】イジメと鬱が奏でる「狂気」の受験期(後編)

        • 【第四回※文字ほんまに多い】イジメと鬱が奏でる「狂気」の受験期(前編)

        • 【第三回】生まれてはじめて本気になれた

          【第二回】あまりにも虚無すぎた時期

          前回が長すぎたので今回は短くまとめられるようにします。 今回は私の高校1年生時と2年生時について綴ろうと思います。 タイトルにもあるように私の高校生活の最初の2年間はあまりにも虚無でした。20年の短い人生を振り返っても最も何もしてないし、これからもそんな時期は訪れないだろうという自負があります。 まず部活に行っていない。中学生時代は全員どこかしらの部活に入らなければならず、運動部だったので部活がテスト期間を除いて毎日ありました。当時、教員の激務さが報道される前でしたので

          【第二回】あまりにも虚無すぎた時期

          【第一回】在りし日になりつつある高校時代を思い出してみる

          私は埼玉出身の大学3回生です。現在は京都の大学に通っており、中学まで埼玉。高校は東京の高校に通っていました。 最近刺激に満ち溢れていた高校時代を忘れつつあると危機を感じているので今のうちに高校時代の思い出を記していこうと思います。 第一に、県外出身者である私が東京の高校に進学したかについて話します。私の通っていた公立中学校は同じ市内の中学校と比べ少し治安が悪いが概して普通の公立学校でした。しかし、進路において県内の同じ公立中と違う点があります。それは東京に近いがあまり、東

          【第一回】在りし日になりつつある高校時代を思い出してみる