【まくら✖ざぶとん】⓵⓻⓪『選手生命』

ちょいとちょいと、ちょうど節目百七十席目にやってきたのはこれまた節目の誕生日、今年も節目がちここぞとばかりの我が事語りを繰り広げる記念日まくらの一席でござい。

誕生日も本当にめでたく祝福されるべきなのは自分で数えられないうちと自分で数えきれなくなってから、まれた瞬間からへのカウントダウンこと秒読みならぬ月読みがはじまるのだから加齢とはに近づくことにほかならず、は紙一重ではないにせよ裏表、なんて具合に歳を重ねるほどに固まっては移ろっていくのが死生観。

人間は二度ぬ、とはよく云われるところだが、三十余年目の誕生日を迎えたこの人生で失う最初のこそほかでもなく選手生命競技レベルのコンペティション・アスリートとしての命はとっくのとうに落としちゃいるが、お次は趣味レベルのレクリエーション・プレーヤーとしての命

スポーツ自体は走れなくならない限り続けられるには違いなく、運動能力=アジリティが落ちても総合技術=アビリティを高めればいいともよく云われるものの、アジリティアビリティ云々ではなく此度の選手生命に関わるのは絶対個性=アイデンティティ、自分を自分たらしめてきたプレースタイルを表現できなくなったらそれはひとりの選手そのもの。

サッカー作家の語感が似てる通り蹴り球でも書き物でもプレースタイルは一緒、文字面の見栄えと読み心地にこだわる言葉遊びを百七十席やってきたこのまくらも然り〈キャッチー&トリッキー〉、トレードマークステップワークボールタッチはそれそのまま韻を踏む文体頭を働かせりゃいくらでも韻は踏めるけど体が動かねばいくらなんでもステップは踏めぬわけ。

どれだけを鍛えても焼け石に水で弱体化を遅らせるのが関の、能力向上までは望めぬ付け焼きの筋トレで目指す現状維持はつまり延命措置。衰えたのはフィジカルだけでなくメンタルも然り、負けず嫌いで闘争心に満ちたフットボーラーから勝ち気に劣る協調心に長けたグッドルーザーへの転換は角が取れて丸くなった証、ひたひたと近づく選手生命危機ならぬ死期ひしひしと自覚するばかり。

ただでさえ死期が近づいていた選手生命に追い打ちをかけたのがコロナ禍、行きつけのフットサルコートが休止休業となるや背に腹は代えられず、新しい生活様式を作るべく各地で営業再開した八ヵ所に遠征するや次々と再会したのは八ヵ人ンヵ月ぶりに会う人にもンヵ年ぶりに会う人にもかけられるのは同じセリフ、「〇〇(行きつけのコート)の人ですよね」、標高こそ低かれど一ヵ所でのさばり続けたお山の大将冥利に尽きること。

そうそうその通りお山の大将冥利に尽きても実力が伴わなければ裸の王様経年劣化していることをちゃんと自覚もしていたが、「(動きが)落ちた」という視線のみならず言葉まで浴びせられる始末、せめて自分より上手な相手に言われたかった「全盛期はスゴかったですよね」…!!

えー、「一字千金」という故事ことわざもありますが、【まくら✖ざぶとん】を〈①⓪⓪⓪文字前後の最も面白い読み物〉にするべく取り敢えず①⓪⓪⓪作を目指して積み上げていく所存、これぞ「千字千金」!以後、お見知りおきを!!