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人格を否定されたと感じても、あなたの存在はゆるがない。

はい、ごめんください。コスギです。
ちょっと自分語りになってしまったのですが、傷つきやすい自分を変えたいと思っている方の参考になれば幸いです。

長くなったので先に結論を言ってしまうと、傷つきやすいのはただの生き方のクセです。あなたにはあなたの人生を選ぶチカラがちゃんとあるので、「他者からの否定を養分にしている」というクセに気づいて、自分の生き方を選ぶだけです。

とはいえ、変わろうと思って変われるなら苦労しませんよね。だから、無理に変われとは言いません。変わろうとも言いません。ただ、この文章を読んでいるあなたがいるということは事実なので、誰がなんと言おうと、私は無条件にあなたの存在を肯定します。

人間って、生きるために産まれてきたんですよ。

死ぬのが面倒だから、生きていただけ

今でこそ平穏で好奇心にあふれた楽しい日々を送っていますが、私の過去は劣等感にまみれて、毎日がつまらないと感じていた人生でした。

「どうせ」が口癖でした。
「死ぬのが面倒だから、生きていよう」というスタンスでした。

まだ小学生だった頃、父親から「(ガラスは割れやすいから)雑巾になれ」と言われたことを覚えています。「雑巾なら多少汚れたって気にならないし、破れにくいし、しぶとい」的な意味だったような。違ってたらゴメンお父さん(68)。

ひどいことを言われたという印象はなく、子どもながらに「そうは言ってもねえ……」と、受け止めていたようです。

とにかく、簡単なことで傷つきやすい子どもでした。

心理学を学んでから自分の子ども時代の無意識だったところを掘り起こしてみると、小学生時代は傷つくことを恐れて相手の優位に立とうとしてのだなあと振り返ります。それをこじらせた中学生時代は集団心理が理解できなくて孤立し、非常識なこともたくさんやりました。

幸いなことに友達がいてくれたのは本当にありがたくて、その頃のヲタクとも言えるべき活動は今の仕事にも役立っています。友達って大事。偏愛ってだいじ。彼らがいなかったら、私は私を出せないまま、たぶん緩やかに死んでいたとすら思います。

傷つきやすいのは、自分の存在を認めてほしいから

人間は生きるためにオギャーと産まれてくるので、本来「自分は死んでもいい」なんて考えることはありません。

ですが、大きくなっても自尊心が低く「私って、生きていても意味ないな」とちょくちょく考えたことがある人は、幼い頃に養育者から自分の存在を否定されたと受け取った可能性が高いです。たとえば「この子がいなければ、私はもっと自由だった」といったメッセージを非言語で受け取っています。

コミュニケーションは受け取り側が結果を決めるので、養育者の何気ない態度は、良くも悪くも人格形成にすべて取り込まれ、生きるための戦略を左右します。

私の場合、幼い頃は祖父母に養われていて母親と過ごした記憶がほとんどないので、「私はいらない子なんだ」と受け取っていたのかもしれません。

「言うことに従っていれば、認めてもらえる」
「何事も一生懸命やれば、認めてもらえる」
「お姉ちゃんとして我慢すれば、認めてもらえる」
「男の子らしく振る舞うほうが、認めてもらえる」

そんなふうに、たくさんの条件をつけて自分の存在を認めてもらおうとしていました。しかしいつしか私は「自分を否定すればそれを否定してくれるから、相手に自分の存在を認めてもらえる」という、ねじれた立場が一番効果的であることに、味をしめてしまったのです。

だからこそ「傷つきやすい」というのは自分の存在を認める手段だったので父親から「雑巾になれ」と言われても、まったくピンとこないどころか、割れやすいガラスであることが私の戦略だったのです。

更に、母親からは「お前はダメだからちゃんとしろ」と言われ続けていました。自分を否定されることで存在意義を得ていたのに、無条件に否定されたうえ、ちゃんとしていなければ自分を認めてもらえない。「ちゃんと」しているつもりが相手の要求に届かず、更に否定されるというダブルバインド。これはどうやらトラウマとなっていたようで、大人になってからも「ちゃんとしなさい!」と頭ごなしに言われると、思考が真っ白になって身体が硬直することがありました。

一応、うちの両親のことをフォローしておくと、悪意があったわけではないとわかっています。特に母親の場合、娘に向けた言葉は自分への戒めでもあったのだと思います。離婚しているので「私がちゃんとしてこの子達を立派に育てなければ」と思いつめていたのでしょう。気さくでしたがマジメな人だったので。

そのような過去の自分や親からの呪いと決別できたのは、夫のおかげです。自分を否定しなくても、そのままの自分を認めてくれました。相当こじらせていた私でしたが、ようやく、自分は無条件に存在しても良いのだと認められるようになりました。

・・・なーんてことが、全部無意識レベルの話だったということに気づいたのは、心理学を知ってからでした。なんとなくそうなんだろうな、と思っていたことが論理的に言語化できたので、そりゃもう、衝撃でしたよ。

自分が取り込んだものに気づくことから

もしかしたら、過去の私と同じように絶望感で生きていて、そんなに肯定してくれる人がまわりにいない……と思われたら、少なくとも私はあなたの存在を無条件に肯定します。ここまで読んでくれてありがとう。

オトナって結構、コドモなんです。

自分の考えだと思っていることは、実は養育者の考え方を取り入れただけだったり、すでに覚えていない子どもの頃の決断だったりするので、なんだかな〜と思うことがあったら、「これって親の考え方を取り込んでるだけかも」とか「小さい頃の決断を今も持っていても仕方ないな」とかに気づくことからはじめてみてください。そして、別の尊敬できる人の考え方を取り込んだり、自分で人生を選ぶ力をつかってみてください。

人格を否定されたと感じるクセを変えたいと思ったら、「この人は本当に私の人格を否定しているのだろうか」と俯瞰することで、自己を取り戻すことができます。

本当に人格を否定してきているのなら、そのまま受け取るのも受け取らないのもあなた次第ですし、別に否定しているわけではないなら、自分のクセに気づけた第一歩です。気づくのって、教えられてできるわけではないですから。

生き方って、表情とか態度に染み付いちゃうので、私の第一印象がすごく真面目そうででおどおどしているのは30年以上絶望感で生きてきたからなんですが(いや今でも真面目ですよ?)、将来は明るいおばあちゃんになれたらいいなあって。