見出し画像

イライラがどこから来るのか探ったら、呪いが解けていなかった話。

私は姑と同居していて、嫁姑問題ネタには事欠かないのですが、この暖かくなってきた時期に勃発するネタがあります。それは、布団干し。

夫と息子の布団だけは優先的に干されて、娘を含む女性陣の布団に関しては4回に1回といったところでしょうか。私は花粉症の症状が明らかになってから、この時期ほとんど干さないんですけども。

布団を干すかどうかというのは大した問題ではなく、この時期によく投げつけられる言葉があります。

「誰かさんが何もしないから、私がやってるんだ」
「何様のつもりだ、まったく!」

と、面と向かってではなく、聞こえるように大声を出すもの。ここ数日は特に夫の帰りが遅く、姑の話を聞いてくれる相手がいないため、なおさらストレスが溜まっているのでしょう。なお、認知症ではなくて、通常営業です。

それにしても、これを言われると心がざわついてイライラして、できるだけ存在感を消そうと同じ部屋にいる時間を極力減らす行動に走ってしまうのですが、このイライラはどこから来るのか、交流分析的に探ってみたんです。

イライラして疲れたので、セルフカウンセリングしてみた

怒りは本来「現在」の感情なので、長時間続くものではありません。それを引きずっている理由を探すため、セルフカウンセリングしてみました。エンプティチェアの応用で、脳内で言いたいことを言い合うだけです。

姑「アンタがやらないから私がやってるんだ」
私「日中は仕事しているので、お義母さんみたいにマメにできないんです」
姑「じゃあ土日にやればいいじゃない、部屋にこもって何してるんだか」
私「私にもやりたいことがあるので、ほっといてください」
姑「………(言葉が出ない)」

相手の言葉が出てこなかったので、ちょっと方向性がズレたかもと思ってもう一度やり直し。

姑「本当はアンタがすべきなのに、何もしないで」
私「夫は別にお願いしていませんし、私がすべきとも思っていません。本人たちにやらせればいいし、なぜ娘に関してはしないんですか?そうやって上下関係をつけるのが許せないんですけど」

お、いいぞ、出てきたぞ。なるほど、私は上下関係が許せないんだな、と感じながら、姑の言葉を待ってみる。

姑「私はずっとこうやってきた。女は頭が良くても家の仕事ができないんじゃなんにもならない」
私「今は時代が違うので、お義母さんの思うとおりにはできません。お義母さんではないので」
姑「だからアンタはダメなんだ。いくら言ってもできやしない」

このあたりで、過去のフラッシュバックというか、思い出したことがありました。母親に言われた、

「お前はダメなんだから、言われたとおりちゃんとしなさい」

という言葉。またここに戻るのか……と思いながら、脳内カウンセリングを続けます。今度は母と、おとなになった私。

母「お前はダメなんだから、言われたとおりちゃんとしなさい」
私「何がダメなの?私は私なりに生きてきた。それを認めてほしい」
母「その考えでお義母さんも怒っているんだから、お前が間違っている」
私「だからといって私はあなたたちのマネはできない。私の生き方を否定しないでほしい」
母「言われたとおりにできないモンが、生意気なことを言ってるんじゃない」
私「もう私は子どもじゃない」
母「親子関係は崩れないんだから」
私「だからといって、親は子の人生を制限する権利も義務もない」
母「そういう生意気なところがダメなんだ」
私「私は私の人生を選択している。私には、あなた以上に私のことを大切に思ってくれる人がいる。私は自分の人生をその人たちと楽しみたいから、もう邪魔しないでほしい」

なんてところまで考えて、それでも母の言葉はなかなか変わらずに堂々巡りで否定してくるので、思考を切り替えることにしました。

自分の親に殺意を向けられると、こうなる

交流分析の理論には、「禁止令」という考え方があります(詳細は省きますが、深いので機会があればちゃんと扱いたい)。

私は、禁止令の中でも一番重い「存在するな」を持っています。だから、自殺を一度も考えたことがない人が本当にいるのを知って、相当驚きました。

この「存在するな」は、小さい頃に親戚?の家に預けられたり、祖父母によって育てられたことが大きく影響しているのか、おそらく「親にとって、私の存在は邪魔だったんだろう」と感じたために生まれたのかもしれません。だから「私がちゃんとしていれば、親は私のことを必要としてくれる」と考えるようになったのでしょう。

実際、子どもの頃は(自分で言うのもなんですが)手のかからない、素直でとてもイイコでした。勉強もできたし。長女であり、5つ下にいる弟の姉としてのふるまいも求められていたので「子どもであるな」という禁止令も持ってしまったと感じています。

この「存在するな」が決定的になった(と思う)のは、ある程度大きくなってから……中学生くらいだと思うのですが、母親に包丁を向けられたことがあるんですよね。子どもを産んだ責任が親にあるなら、社会に出さない責任を取るのも親だ、的な言葉とともに。その前後は覚えていないのですが、きっと私のトラウマになっているんでしょう。

このときの母親は、おそらく離婚してしばらくしてからのことなので、本人も情緒不安点だったんだと思います。だから、娘に殺意を向けたことを責めるつもりもないし、世の中の親は云々というつもりもありません。にんげんだもの。それに、受け取る側の問題ですから。

まあ私はそうしてずっと、「お前はダメ」という呪詛とトラウマによって、親から存在を否定され続けていたんです。だから一番重い「存在するな」を否定するために、「子どもであるな」によって存在できていたのです。

つまり「もう大人なんだからほっといてくれ」という懇願は、「子どもであることを認めてしまうと、私は存在する価値がなくなってしまう」と怯えてるのだな、というところまでつながりました(他の禁止令もありますし、禁止令に対抗する「拮抗禁止令」もありますし、拮抗禁止令はストレングスファインダーに通じるのでオモシロイのですが、また今度)。

姑の言葉によって「禁止令」が刺激されていた

嫁姑問題に戻ると、姑の発する

「誰かさんが何もしないから、私がやってるんだ」
「何様のつもりだ」

は、私の「子どもであるな」という禁止令をまっとうできていないぞと責められており、それはつまり「私は存在する価値がない」と変換されるものでした。

だから過剰に反応してスルーできず、その場から逃げたくなるのですが、「そんなことはない!」と対抗している気持ちがイライラに現れているのでしょう。たびたび言葉を変えて全否定されることも少なくないのですが、良く生きてると思います。過去に本気で自殺しかけているので、その経験があるから生きていられるのもあるかもしれませんが。

そんなわけで、「死ね」「生きたい」が葛藤しまくるので、相当疲れます。

じゃあどうしたかというと、やっぱり母親とのやり取りに戻りました。欲しかった言葉をもらうんです。

母「そうだよね、お前ももう40過ぎたんだしね」
母「色々失敗することもあるかもしれないけど、お前の人生だしね」
母「私は、お前たちがいてくれてよかった」

そう考えていたら涙がにじんできたので、もう一歩だなと思って、できるだけ過去の記憶を思い出すことにしました。実は、1歳未満のころからの記憶があるんです。

目の前でくるくる回っているメリー?に手を伸ばしている場面。
歩行器で2階の部屋をぐるぐる歩いて楽しかった場面。
父親の布団に潜り込んで、背中合わせで眠った場面。
塾?が終わっても母親がなかなか来ないのを待っていた場面。
母親が残していた、私が生まれたときの日記。

私は間違いなく、望まれて生まれてきたのだと信じることができたあたりで、昨日は眠りにつきました。

そして今日、これを書いています。
昨日、どんなことを感じていたんだっけと思い出しながら。

こうやって考えてみると、相変わらず、コミュニケーション心理学のネタには事欠かないですねえ。交流分析を広めたいと考えている人は、少なからず同じような経験をしているのではないかと思います。

私はこうやって、たびたび自分の存在価値がゆらぐ事が多いのですが、それでもこの環境に身を置いているのは、「全肯定したいし、されたい」という思いがコーチングの原動力になっていると認識しているからかもしれません。

ストレングスファインダーで表れる資質は、どんな人生だったとしても、その人らしく生き抜いている証ですから。だから今後もっと深めていきたいし、交流分析の理論も広める立場を目指しています。

呪いが解けるのは、まあ一生かかるでしょうけど。おかげでこうやって心理学とかコーチングとかできているので、人生は捨てたもんじゃないよって話でした。