人に期待しない方法
「人に期待しなければ心が楽になる」とよく聞く。本当にその通りだ。相手に何も期待しなければ心は傷つかないし、不満を持つこともない。トラブルに発展することもないだろう。心は自由になり、人間関係はうまくゆく。まさに無敵、最強の心理である。ただ一点、極めて困難という点に目をつむれば。
そう、期待しないことは難しい。他人に甘ったれた期待をかける自分を律するのは至難の業だ。いくら期待を抑えても結局じわじわと甘えは染み出てくるし、一度甘えを許されたらそれが当たり前になるのが人情だからだ。
かといって「人間はみな冷たい」とか「どうせ何もしてくれない」とか極端な方向に舵を切るとそれはそれで傷つかないための予防線になってしまう。予防線は過度な期待の裏返しでしかない。では、本当の意味での期待しないとは何だろうか。どういう心理状況を指すのだろうか。今回はそこのところを考えてみる。
結論から言うと、人に期待しないとは「どんな発言・態度も人の勝手」ととらえることだ。憲法で規定された表現の自由のように、どんなに冷たく残酷な態度もその人の自由ととらえることだと俺は考える。
例えばつらい時、傷ついた時、多くの人は優しい言葉を期待するだろう。家族や友人、恋人に対し慰めや励ましを期待すると思う。それが自然である。
しかし、これが思い通りにならなかったらどうだろう。優しく包摂してくれると思っていた家族から攻撃される。恋人から罵倒される。友人から人格の否定をもって迎えられる。そんな目にあったらどうだろうか。そんな時、人は傷つき、なぜ自分を受け入れないのかと文句を言い、相手を恨むだろう。殺意さえわくかもしれない。
しかし、そこであえて「何を言おうと他人の自由」「そういうこともある」と構えること。自分が勝手に期待し、思い通りにならずに勝手に傷ついただけのことであると意識すること。それが「期待しない」方法であると俺は考える。そうすれば相手に不満をぶつけることもなく、人間関係がぎくしゃくせずに済み、心は自由になる。わかってもらえただろうか。
こんな「ぼくのかんがえたさいきょうの~」を考案したのも、俺が傷つくことに病的なまでに神経質だからだ。
俺は人に優しさを期待して勝手に傷つくことが怖い。思い通りにならず恨みをつのらせるのが怖い。その臆病で自意識過剰な性格を看破され批判されることが怖い。全ての他人が怖い。
だが、その恐怖を麻痺させ、ゾンビのように全く傷つかないトリックを考えた。それは、あらかじめ全ての人から期待を引きはがすことだ。もし傷ついて助けを求めても、罵倒されるかもしれない。非難されるかもしれない。めちゃくちゃに攻撃され、弱った心にトドメを刺されるかもしれない。そういうこともある。最初からそう考えて他人と接すれば、どれだけ手ひどく傷つけられたとしても、致命傷は負わなくて済む。
実際、その方法はうまくいった。ある時、仕事上で弱みを見せた俺はこう面罵された。
「お前なんか仕事のできないポンコツで、性格も悪く、メンタルも脆弱、容姿もひどい不細工だ」と。
その時、俺はこう思った。
(そういうこともある。本当のことを言ってくれてありがたいなあ)と。
それが痛みを避けるための一時的な自己欺瞞であることは言うまでもない。本当のことを言われて(心から)喜ぶ人はいないだろう。しかし傷つくことを避け、相手を恨むことを回避できたことは事実だ。こうしているうちに大事な何かを消費しているような気がするが、それは気にしない。
傷つくことが怖いって人はこういう考え方もあるから自己責任で試してみてネ。
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