なぜ「成功したいならメンヘラを辞めないべき」なのか
「メンヘラは悪いこと」
「メンヘラってめんどくさい」
こんな解釈が蔓延している世の中。
しかし、人生で「勝ち組」になりたいならば、メンヘラ的思考を捨てる必要はありません。
なぜなら、恋愛におけるメンヘラ的思考には、人生やビジネスにおいて成功を収めるために必要な要素が数多く詰まっているからです。
メンヘラは心の病気か?
私の中では、メンヘラは大きく2つに分けることができると考えており、ここでは以下のように分類します。
恋愛メンヘラ:恋人の行動・言動に対して悩むメンヘラ。
日常メンヘラ:人生全体に関して悩み、日常的に病むメンヘラ。
今回は、主に前者の「恋愛メンヘラ」に関するお話です。
「メンヘラ」と聞くと、悪いイメージが浮かぶと思います。
「めんどくさい」とか「重い」とか。
その認識は、本当に正しいのでしょうか?
そもそも、「メンヘラ」の定義って難しいですよね。
「恋人が”めんどくさい”と感じたらメンヘラ」くらいの、やんわりした感じの言葉。
もともとネットスラング(インターネット上で使われる言葉)ですから、それほど明確な定義も設けられていないでしょう。
一応調べると、メンヘラの定義は「心に病気を患った人」とのこと。
仕事の不満や将来への不安から、精神を病んでしまう人(上記における「日常メンヘラ」)は、これに当てはまる場合もあるでしょう。
しかし、恋人を独り占めしたいとか、他の異性との関わりに嫉妬心を抱いてしまうのは、果たして「心の病気」なのでしょうか?
これらは、人間としての正常な欲望・感情の範囲だと思うのです。
単に、「恋人が居ても尚、他の異性とも遊んで歩きたい」という思考の人が、恋人の独占欲を鬱陶しく感じ、「メンヘラ」の一言で片付けようとしているだけではないでしょうか。
しかし、二人の人間が「付き合う」場合、それまでの関係と何も変わらないのでは、「付き合う」という形式を取る意味がありません。
互いを特別な存在として認め、「”恋人”として一途に愛し合いましょう」という約束こそが、「付き合う」という関係性の意義でしょう。
恋愛において「浮気」という概念があるのも、「恋人が居るならば一途であるべき」という考え方が前提として掲げられているからですよね。
「恋愛メンヘラ」は、恋人として当然の感情・欲望に素直なだけではありませんか?
「恋愛メンヘラ」の人は、約束・契約を律儀に守る、真面目で正義感の強い人が多いと言えます。
「付き合う」という形式・契約を守り、「恋人」としての理想の関係性を追い求める。
その中で現状と理想のギャップに苦しみ、どう解決すれば良いのかと悩む。
恋人に対して独占欲を抱くことは当然の感情であり、それに関して悩むのもまた、健全な人間の思考であるはずです。
そして、「恋愛メンヘラ」の思考には、人として大切にすべき「人生・人間関係の基本」が詰まっているのです。
倫理観・正義感の源は?
メンヘラ的思考の根幹にあるのは、「人の嫌がることはすべきでない」「人を傷つけてはいけない」という、”人としての基本”とされる倫理観や正義感です。
「自分は、自分がされたら嫌だから他の異性と遊ばない・連絡しないのに、なぜ相手は、恋人である自分が嫌がることを平気でするのか」
嫌だと伝えても尚、行動を改めようとしない恋人の無神経さに腹を立てるのです。
他者の、しかも”愛すべき恋人”の嫌がることをするとは、「人として」どうなのかと。
では、この倫理観や正義感は、何から来るものなのでしょうか?
その答えは
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