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ブラジルとアメリカ、本来は出会わなかった曲たち - クラリネットジャズ紹介9

9回目はPaulo MouraのMood Ingenuo (Pixinguinha Meets Duke Ellington)

もともと独自の文化を持っていた地域に西洋文化が侵入してきて、加えてアフリカの文化も入り混じり……という歴史の混沌からも予想されるように、ブラジルは独自の音楽の渦を持っている地域である。それは、ジャズを生んだアメリカと似ているが非なる渦であり、その二つの渦は相互に影響を与え合ってきた。Paulo Mouraは、そんなブラジルにおいて様々な音楽に通じたクラリネット・サックス奏者だった。彼は演奏家としてのキャリアを交響楽団から積みはじめるが、同時期に産声をあげたボサノヴァの作品も多く残している。それだけではなく、サンバ・ショーロ・フォホーといった、ボサノヴァの前からあるもっと様々なブラジル由来の音楽もやるし、アメリカで生まれ発展していったモダンジャズも一通り演っている。このアルバムは、そんな下地を持つ彼だからこそ残せたような、少しめずらしいテーマの作品だと思う。

アルバムのテーマに据えられているのは、デューク・エリントンとピシンギーニャ。ジャズの父といわれる音楽家は数多く居るけれど、デューク・エリントンは間違いなくそのひとりには数えられるだろう名作曲家である。彼は「エリントン楽団」とともに、様々な彩りを含み込むスタンダード・ナンバーを数多く作曲・演奏し、ビッグバンド・ジャズの流行と発展を牽引した。一方でピシンギーニャは、ショーロ を完成させたブラジル音楽の父、ともいわれる名作曲家である。ショーロは、西洋のクラシックやダンスの音楽、アフリカのリズムの影響を受けて19世紀のブラジルで成立した、即興を含むポピュラー音楽である。チャカチャカしたリズムでとてもご機嫌に、憂いなんてないようにも聴こえるのに、どこか心を締め付けるような切なさをふくんでいるような音楽だと思う。ピシンギーニャは自身もサックスとフルートの演奏家として、数多くのショーロのナンバーを作曲した。

この二人は、どちらもPaulo Mouraのちょうど一世代上ぐらい、19世紀の最後に生まれ怒涛の20世紀を生きた、アフリカ系のルーツを持つ作曲家たちである。生没年もたった1年違いである彼らがそれぞれの地で、様々な文化が重なり合いたたかいあう渦の中に生きる者として生み出したポピュラー音楽たちがある。MouraとアメリカのピアニストCliff Kormanが、本来の時間軸では出会わなかったそれらの音楽に橋を架けようしてできたのが、この「Pixinguinha Meets Duke Ellington」と副題をつけられたライブアルバムである。二人の曲をそれぞれ演奏しているのと、それらのメドレーをひとつ、そしてMouraとKormanのオリジナル、というセットリストが展開される。

クラリネットで演奏されているのは一部だが、そのうちEllington-pixinguinha Medleyは、このアルバムの中心となる作品だと思う。頭5秒のクラリネットで、これは聴いたことがない音楽、でも懐かしいものな気もする、と瞬時にメドレーの世界に吸い込まれてしまう。エリントンの「Satin Doll」から、ビッグバンドで演奏される時のようなスウィングジャズの踊れる安定感を脱色し、同じ色合いでひとり海辺に立って唄うような歌へと再構成する。だからといって、スウィングの弾みは消えることなく、エリントン楽団の一聴してわかるぞわっと来るような和音もそのままである。それなのに、アメリカではない場所の風が明らかに吹いてくるようなメドレーが幕を開ける。Satin Dollがコードを閉じるところにすっと入り込んでくるのがピシンギーニャの「Lamentos」。明らかに曲のビートは変わっているのに、両曲の節回しになんとなく通じるところがあるのが浮きたつようで、なぜか違和感がない。つづくエリントンの「In a Mellow Tone」は、ご機嫌なジャズという感じで、リズムとコード進行に身を任せて音に遊びが入る。そして遊びはそのままに、すこしコードに憂いを持たせて、それはピシンギーニャの「Ingênuo」になる。そのように「Sophisticated Lady」「Rosa」「Carinhoso」などを通りすぎ、最後は「Satin Doll」の風が吹いて、それがショーロのリズムとすっと溶けて終わる。

ジャズの弾むリズムや粘るビート、ショーロの爽やかな風やすっと伸びて上下に駆ける旋律、どちらの音楽にも(どちらの音楽と分け隔てることなく)クラリネットの飾り気のないのびのびとした唄いがあることによって、不思議な統一感が生まれている。揺れやかげりをあらわすことができる勢いを持った笛としての側面が、ジャズでもショーロでも同じようにつかわれていて、だからこそこの二人の作曲家が出会った世界線もあったような気がしてくる。

ジャズとブラジル音楽は互いに影響を与え合って発展してきたことはいうまでもない。しかし、モダンジャズとボサノヴァの関連は取り上げられることが多いイメージがあるが、ここに取り上げられるエリントンとピシンギーニャの曲たちは、その直接交渉が盛んになるのとは少し異なるところに位置している(それぞれが互いの地の音楽から影響を受けた可能性は大いにあるが)。このメドレーでは、本来の時間軸で直接的には出会わなかった二人の偉大な作曲家を「曲」と「演奏する身体」を通してPaulo MouraとCliff Kormanが出会わせよう、語り合わせようとしている、そんな試みに聴こえる。

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