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いつの間にか、『もものかんづめ』のまる子に追い付いてしまった。

さくらももこさんのエッセイを初めて読んだのは、小学校1年生の頃だった。おばあちゃんの家に遊びに行ってタイミング悪く中耳炎になり寝込んでいたわたしに、叔母さんが「子ども用の本がうちにはないんだけど・・・」となんとか読めそうなものを自分の本棚から見繕ってきてくれた。それが、『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の三部作だった。久しぶりに読み返して、自分が『もものかんづめ』時のさくらももこさんの歳に追い付いてしまったことに気がついた。はじめて読んでから20年間、わたしにとっては人生のほとんどが、きっとどこかで「まる子」に影響を受けている。

子どものわたしから見た「まる子」

貸してもらったさくらももこさんのエッセイを、わたしは痛い耳を引き摺りながら夢中で読んだ。叔母さんは「わかるの?」と言っていたが、わたしはいたく三冊とも気に入ってしまったようで、これが欲しいと駄々を捏ね、まんまと譲ってもらうことに成功したのだった。

叔母さんの「わかるの?」は至って真っ当な疑問である。『もものかんづめ』は、さくらももこさんが25歳の時に刊行されたエッセイ集で、そこには「ちびまる子ちゃん時代」の話もあるにはあるが、高校生〜刊行当時のお話がメインで、当時6歳だったわたしが「共感できる」要素は多分ほとんどない。感情がわからないだけでなく、描かれる出来事本体もわからないことのほうがきっと多かった。わからない話は適当に飛ばして読んでいたんだろうが、その後何回も読むうちに自分の語彙と経験が追い付いていくので、いつからわかるようになったか定かでない話が多い。それはそれとして、民間療法の数々はもちろん、銭湯、ビートルズ、週刊誌、お見合い、インド旅行、”ぐうたら”すること、などなど、それ以降の人生でよくよく考えれば初出はここだったかなぁ、という概念は結構たくさんある。しかしそれ以上にわたしにとっては、「言葉の意味はわかるけれどはじめて聞く種類の話」をたくさん読んだことが大きい意味を持っていた。

「心配をかける姉」や「写真」に出てくるお姉さんの話、「父ヒロシ」や「メルヘン翁」といった家族の話、「引っ越し」「おさるの住む家」にある当時の旦那さんの話、「ミーコの話」や「フケ顔の犬」といった飼っていた動物の話など、さくらももこさんの家族語りには、今見てもちょっと毒っ気のある話が多い。それは、”家族=大切!絆!”というキラキラした種類の話にしかまだ触れたことのなかったわたしにとって、なんとなくひっかかりになった。家族に対しても、周りの出来事に対しても自分に対しても、ちょっとシニカルに距離をとっているような話は、わたしにとって「言葉の意味はわかるけれどはじめて聞く種類の話」で、少々意味のわからない言葉が出てこようが読んでいて心地よいものだった。

それから小学校のあいだ、幾度となくこのエッセイたちを読み返した。相当回数読んでいたけれど、「好き」なのかどうか、どこがおもしろいか、とかは自分で説明できなかった。それに、年端もゆかぬ子どもが毒っ気交えたエッセイを読んでいるのはなんとなくおとなウケが悪い、ということぐらいは承知していたし、それに対抗する説明術ももっていなかったので、誰とも三部作の話をすることはなかった。

世界との関わり方は「まる子」に教わっていた

「まる子」、もとい、さくらももこさんのエッセイは、社会のルールにも自分の感情にも、過剰に振り回されることのない語り口で綴られていると思う。周りに対しても自分に対しても、ちょっと距離をとっている。でも「まる子」は決して世界を突き放して見ているわけではない。だから、距離をとっていることで冷たく感じることはなく逆に心地よい。それが子ども心にもなんとなく感じ取られて、よりこのエッセイに夢中になってしまっていたのだろうと思う。

三冊目『たいのおかしら』に収録されている「二十歳になった日」というエッセイが昔から好きだった。それは4ページちょっとの短いお話で、二十歳の誕生日をひとりで知らない街をまっすぐ歩いて過ごしたことが書かれていた。ただ歩いて休んでまた歩いて、お誕生日のケーキを買って歩いて、家に帰るというまさに「歩いただけで表面的には何事も起こらなかった」話である。しかし、このお話では「まる子」がどうやって世界と関わっているかがシンプルに描かれてもいる。「二十代はひとりで歩いてゆく年代になる予感がしていた」という彼女は、二十歳の誕生日にひとりで歩いてみようと決断し、その決断によって偶然出会った出来事をオープンに受け入れて、自分の感性を最大限に使ったやり方で幸せに満たされる。ひとりになる決断をして、ひとりで決断を背負うしかない状態での世界へ干渉する。そして世界から自分がうけた影響を観察して、心が動いた瞬間を見逃さないで味わう。決して世界を突き放すわけではなく、そこには決意と諦めがあり、そこから生まれる優しさとか幸せとかがある気がした。読んだ当時にそんな言語化をできていたわけでは決してないけれど、こうやってしていたら、見たことのない世界でもなんとなく歩いていけそうだなと思っていた。

このお話が好きで、小学生のころは、「ひとりでまっすぐ歩く」ことも、「歩いて見たものを書く」こともどちらも何回かやってみた。でも、結局はどちらもうまくいかなかった。お散歩して幸せになることはできても、きっと「ひとりで歩いてゆく決意」がうまくできなかったから、なんとなく思った通りの結果にならなかったのだろう。わたしはこの「まる子」になりたくて、本当に二十歳になったときにはこれをやろう、と心に決めていた。(本当に二十歳になったタイミングやひとり立ちのタイミングなどは結局バタバタしてしまい、「まる子」にはなれず終いであったが。)彼女の世界との関わり方のスタイルは、まだまだ知らないものだらけのわたしにとって、一つのあこがれであり、指針になった。

三部作には、このような描写の作品もあれば、ドジったエピソードを笑い飛ばすような話や、どうしようもない状況を「(まる子の口調を借りるならば)まったく、どうしようもないねェ」とただ受け入れるような話もある。でも、それらの出来事を受け止めるさくらももこさんのスタイルはどのお話でも変わらない。降ってきた出来事に対してなんとか折り合いをつけながら、自分の心が動く瞬間を観察して、そんな自分と環境の両面に適宜ツッコミを入れながら生きていく。わたしはエッセイに登場する「まだ遭遇していないがいつか経験するかもしれない出来事」の話を眺めながら、そんなふうに生きていけば大丈夫なんだな、とぼんやり考えていたように思う。

「まる子」に追い付いてしまったわたし

気づけばうっかり25歳を過ぎ、『もものかんづめ』刊行時のさくらももこさんの年齢に追い付いてしまった。さくらももこさんはこの時点で漫画家デビューし、エッセイ本を執筆し、インドに旅し、結婚しており、アニメをつくってもいる。わたしも、エッセイの中の出来事について共感できることも増えたし、「経験はしたことあるから重ね合わせて楽しめる」ことも増えた。一方で、小学生の頃見ていた「これからもしかしたら経験するかもしれないこと」のうちのいくつかは、「わたしはもう一生経験しないであろう出来事」になっていった。

2018年にさくらももこさんが亡くなられたというニュースを聞いたとき、三部作のなかの「まる子」のお話とわたしの人生は違うものだったんだな、と分かりきったことを改めて気付かされた気持ちだった。降ってきた出来事には相変わらず振り回される。でもそれらになんとか折り合いをつけながら、頭の中に「キートン山田のナレーション」を召喚しつつやっていくしかない。自分の世界に折り合いをつけられるのも、自分の感動を観察できるのも、自分しかいないんだから仕方ない。そこには今までも「まる子」がいて何かしてくれたわけではないのだから、これからも変わることは何もない。と頭ではわかっているはずなのに「定位置に座ってくれる人が居なくなった」ような気持ちになってしまった。

それでもやっぱり、そんな気持ちにも折り合いをつけてやっていくしかない。「まる子」に教えてもらった世界の見方はそうそう消えてなくなるものではないだろうし、「まる子」とは別の人生をもう結構歩んでしまっているからこそできる作品の愛し方もあるだろう。年代的には追い付いて、もう追い越してしまうしかないのでちょっと寂しい気もするが、これからもわたしの中で大切な本であり続けることには変わりないのだろうな、と思う。

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