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明治初期の作家

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明治初期の作家です。坪内、二葉亭、鴎外、紅葉、露伴
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2022年3月の記事一覧

二葉亭四迷(2) 二葉亭四迷の言文一致観

 日本国の言文一致運動は文壇の大きなうねりであった。殊に二葉亭四迷の浮雲は言文一致の進行に大いに貢献したと言われている。坪内を驚かせた本格的西洋文学理解をもとに、「日本最初の近代的小説」と評される『浮雲』は書かれた。森鴎外は二葉亭の追悼文集に寄せた文章で語る。

「あんな月並の名を署して著述をする時であるのに、あんなものを書かれたのだ。(......)『浮雲、二葉亭四迷』という八字は珍しい矛盾、

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二葉亭四迷(3) 社会批判としての「浮雲」

 前回の記事にあたる『二葉亭四迷(2) 二葉亭四迷の言文一致』では、彼の言文一致観に関して少々説明した。それを踏まえて「浮雲」を考えていくために、ここで少し前回を短く纏ると、二葉亭四迷の言文一致の観念とはつまり、日常語を文学的言語に昇華させた新たな特権的文体を作り出す事だった。「談話」と「文章」との呼応とは、二葉亭の目指す完全形であり、ロシア文学者のヴィゴツキーの言う様に「純粋思惟」の表出を目的と

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坪内逍遥(1) 「細君」の意図についての考察

「細君」は明治二十一年一月の「国民之友」新年号の付録に掲載された作品である。内容は、新しい教育を受け、自我に目覚めた人妻が、離縁されるに至るまでの悲劇を描いたものである。

人間の不仕合わせは、無論其時の運不運、理屈を言えば、鬚の有無にて等差のあらう筈はなけれど、さうばかりにも言へぬが浮世。格別の気の毒なるは鬚なき人の身の上なり。誰か束髪と共に女の身方殖しといふや。同権論を書く主人も原稿料を得し後

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二葉亭四迷(1) 長谷川辰之助の人生総覧1/4

この記事は長谷川辰之助(二葉亭四迷)の人生のポイントを抑えてまとめた記事である。また、参考資料は『二葉亭四迷:くたばってしまえ(ミネルヴァ日本評伝選)』としている。

<第一章 長谷川辰之助の誕生>

・出生

 二葉亭四迷こと長谷川辰之助は元治元年(1864)二月二十八日、江戸市ヶ谷合羽坂尾張藩上屋敷で生まれた。この1864年は歴史の丁度転換点辺りであり、池田屋事件、禁門の変、第一次長州征伐な

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