坪内逍遥(1) 「細君」の意図についての考察

「細君」は明治二十一年一月の「国民之友」新年号の付録に掲載された作品である。内容は、新しい教育を受け、自我に目覚めた人妻が、離縁されるに至るまでの悲劇を描いたものである。

人間の不仕合わせは、無論其時の運不運、理屈を言えば、鬚の有無にて等差のあらう筈はなけれど、さうばかりにも言へぬが浮世。格別の気の毒なるは鬚なき人の身の上なり。誰か束髪と共に女の身方殖しといふや。同権論を書く主人も原稿料を得し後までも竟に持論を行はねば、細君はいつまでも頭の上る時はなし。誠に唐人のいひし通り、つまらぬ者は女なり。かよわい背中へ行路難を負されて、五十年が其間、殿さまの言い附け通り、右へ向け、左へ向け、束髪がよい、丸髷に限る、洋服を着な、紋付にせよ、こうせい、ああせいと無理難題。それをイヤといへば、曲事也、と大筆特書した七去の定め、三従の掟は廃れたれど、楽屋を窺へば、扨も扨もなり。(坪内逍遥 別冊一 八四一頁)

 この様な記載によって見ると、この作品は、人妻の置かれている不幸な位置に注目し、その不幸に義憤を感じながら、執筆したものと見られる。そこに、逍遥の女性観、或いはヒューマニティも予想されるのであるが、この作品が、それをどの程度に具現したものであり、また、彼の小説神髄の理論などと、どの様な関連を持つかという点は、再検討すべき余地を残している様に思う。今そのために、その悲劇の性格、意味を究明し、その人物形象を通じて、逍遥の意図や真意を探っていこうと思う。

先ず悲劇の主動力をなしていると見られるのは、夫、下河辺定夫である。これについては、

夫某と云ふは、当時才子、学者、洋行済、日の出の官使、評判よき著述家など云ふ資格にて、学問に名の聞こえし紳士なり。年齢はまだ三十一二。(八四二頁)

 と書かれている。ところが、この人物の陰の部分は、愚痴と頽廃に色取られている。女中の言として述べられているところによると、

旦那は浮気者で、色々のショイコミをして困りながら、其癖きれいに手を切ると云ふ器用な機転はなく、食べ散らかして歩くと云ふ事、先達ても茶屋女をどうにかして五十円切手をとられたと云ふ事、今も毛色の変わった囲いものが有るとの事(八二六頁)

 という状態であり、性格的に放縦なたちとして描かれている。そしてまた、思想の面では、新しい事を言うのであるが、上記の通り、「同権論を書く主人も原稿料を得て後までも竟に持論を行はねば、細君はいつまでも頭の上る時はなし。」という状態である。これは当時の進歩的な発言をする人士の陥りやすい一般的傾向を言っている様であるが、差し当たりこの主人について言っているものと見なければならない。つまり、この主人は思想と行動の一致しない不徳義男として描かれている。この夫の不埒な生活から、決定的に妻の不幸が生じてくるのである。細君お種は「身を徒らに巣守となし、空間に眠る事を嬉しと思はず」という事になったのである。さらに最後は、お種は家名を汚したという理由で、一方的に離縁されてしまうのである。

次に細君お種の不幸を招き寄せたものは、里の母親である。この母親は継母で、実子(お種の異母弟)の放蕩の尻拭いのために、しばしばお種に無心を言いに来る。一つには父親のお人好しが、それを見逃している様であるが、結局この無心が義理に絡んで、お種を窮地に陥れてしまうのである。

・もう一つのお種の不幸の原因は夫のことと関連することであるが、下河辺家の家計不如意にもある。

又、昔からの借金が嵩み、内輪は立派な火の車(八二六頁)
羽織袴一組にて社会に出でし若武者の習ひとて、今尚種々の負債多く、其催促、絶間無ければ、夫に代る細君の身は、間のわるき事も多かるべし(八四二頁)

 とある。この様なままならぬ家計故に、母の無心のために、密かに自分の着物を入質せざるを得なくなり、夫をおこらす事になってゆくのである。尤も、逍遥は「されど当世の紳士に連添ふものは、誰れかさる筋を細君の義務と観じ、浮世の習ひと諦めざらんや」と言って、この貧しさや、金のやりくりは、別に細君の不幸としては取り上げるほどのことではないという言い方をしている。問題は人的関係にあって、つまりこの場合は、例え貧しくても、夫が実直で親切であればこの様な悲劇は生じ得ないとするものの如くである。然し、この場合、この貧しさは、逍遥の理解にかかわらず、明らかにお種の不幸の一要因をなしているに間違いはない。つまり、夫はお種の申出でを承知できぬ程の財政状態にあって、それだから、お種は夫に無理が言えず、自分で自分の着物を入質する様になったのである。

 この様に見てくると、お種の不幸の原因は、夫定夫の人間的、経済的条件と、お種の母親にあるという事になる。特に夫の問題が決定条件になるわけだが、これは口では新しい事を言っていながら、実際の行動はそれに伴わないエセ近代知識人の実態を衝いたものと見られる。そして、そういう新しいはずの知識人が依然として封建的な横暴をする事に対して、逍遥が批判し、講義をしているものと認めることが出来る。

 もう一つの母親の存在は、これも封建的な圧力であって、家の制度の中での母親の権力の不当な行使が不幸を招来しているわけである。それに、継母という条件を附与しているところは、些か『浮雲』を彷彿とさせるし、義理人情的な葛藤を設定した事になり、戯作的な結構を匂わせるのであるが、この条件は一応家の制度の中での親の権威を純粋な形で拡大しているので、この場合、必ずしも必然性のないものではないと思われる。

 この様に、お種は、夫と母親の両面から痛めつけられ、直接には夫から悲痛を与えられる様に仕組まれている。然し、一方この女主人公であるお種がどの様な人物として描かれているかということも、明らかにしなければならない。時にはこの様な夫の仕打ちを受けても仕方のない様な女性であるかもしれないからである。そこに逍遥の描こうとした悲劇の様相も、意味も、変わってくることが予想されるからである。

 小間使のお園や、女中の口から語られることであるが、お種の風貌・性格は次の様に述べられている。

年は二十五六、中背にて姿はよけれど、痩がたと云ふよりは痩せすぎという爪はずれ、貌はやつれ、色は青白く、額高く見えて、目は少し凹み、眉も生際もいと薄く、不人相というではないけれど、愛嬌は微塵もない、何処かにありさうなと探しても眼尻は少し釣上り、小さい口もとは緊くしまり、額の上の青筋のみ只ありありと目について、どう見直しても、意地の悪さうな無気味な陰気な、勢のない......

 これでは、殆ど、いや全くと言っていいほど、取り柄のない女で、随分無慈悲な描き方だと言わねばならない。又学校時代の評判にしても、「負惜しみの強いのと愛嬌の乏しいので人に知られ(中略)何を言っても、学問の外に取所のない人」と言わせている。この様な、女としての潤いを全くと言っていい程に持たないお種が、さらに学問をして、一層女としての愛情の美しさを発揮できぬ様になってしまったらしい書き振りが見える。前に引用した「身を徒らに巣守となし云々」の述懐のところにも「学校に在りし時とは違ひ同権又は愛情と云ふことを雛形通りには思はねども」と在り、そこには学問・新知識の面からくる無意識の抵抗らしいものも見える。又里の近所の細君の言葉や、夫の言葉などにも、その学問の生半可な害を語らせているところがある。

教育の学問のと申しても、女の学問は知れたもの、学問で台所は出来ませぬ。生中チットばかし見識があると、高くとまるのが、女の持前、権利だの同権だのと歯の浮く事を言はれると、余ッ程の美人でも二度と見る気は出ぬものと、此間も宿のが言はれました。と意気な細君の聞えよがし。(八五九頁)
生意気に少しばかり権利だとか財産だとか、間違つたことを聞きがぢつて自分の財産だと思ふだらうが(八五九頁)

 前者は里の近所の細君の言葉であり後者は夫の言葉である。これらは逍遥によって積極的に肯定されているものでなく、又直接、細君お種の持つている欠陥とは称し難いが、これらの一般的な見解をかなり傍観的に肯定的に描いている様に見える。

 結局、逍遥は、あまりお種に好感を持って描いていないという事になる。もし逍遥が、新しい女性としてのお種に好感を持ち、肯定的であるのならば、周囲からこの様に見られてはいるが、実際そうではないのだという所を、書き出さねばならないはずである。只些か、小間使お園の気持ちを述べたところで、「此やうな情ぶかいお人」とか「家中の人々一人として情深くない人はなし」とか「人情の深い内......お園は是より又一層婦人を慕ひ敬ひぬ」とか言っているところがあるばかりである。この点に関しては、お園の前の給仕場が余りに人情の無い場所で、現在の使える内が良く見えたに過ぎないと考えられる。この様に見てくると、逍遥は、お種を不美人に作り上げ、その思想や学問をも、お種にとってマイナスになるものとして描いていて、この不幸、この悲劇の原因の一つを、他ならぬお種自身にも負わせていると見なければならない。意地悪い読者ならば、こんな女なら、夫が家を開けても仕方はあるまいという様に言うかもしれない。

 こう言う事になってくると、片岡良一氏の「半ば目覚めた自我が不当に陵虐されると言うこの期一般の悲劇的主題」と言う言い方が、間違っていると思われる。つまり、それならそれで、お種の思想以外に、容貌や性格にまで言及して、しかもそれを愛されない様なものに仕立てる必要がどこにあったかと言う事である。思想とか自我とかが、少しも肯定的に描かれずに、さらに、それを支える人間を愛されない様な人間にしてしまっていることは何か意味があったとしか考えようがない。したがって、片岡氏の言う「不当に陵虐される」と言う見方、それはつまりこの作品のテーマになるもので、重要なものであるはずだが以上の様に見てくると、そのテーマが凡そはっきり正しく無いと言う事にならないか。

 これがテーマとするならば、時代の本質と結びつき、悲劇を醸し出す要素は、やはりこの場合、お種の新しい思想でなければならない。それが、只如上の様に、近所の評判や噂として語られているだけで、お種の行為の上では、別に具体的には何にも描かれていないと言って良い。先ず言えば先掲の意気な細君の聞こえよがしの言葉を聞いて、「それや此れやを聞くたびに、見事、立派に片附いて鼻をあかしてみせようと十六七までは我を張りぬ。」と言う所や、「一層のことこちらから離縁を言ひ出して、教員でもして食つてゆかう」と思うくらいの事である。それに、例え仕えやすい人であるにしても、姑にはよく仕えているし、実家の父を安心させるために、涙をのんで、離婚を思い止まってもいる。「女気の洋学も遂に儒学に勝りたれしか、此身はどのやうにならうとも、父上に安心させたし、我慢しようと心に定め、夫人は其晩打萎れ、冠りし頭巾の裏を濡らして夫の家に帰りたり」と書かれているのである。新しい思想に立脚しての行為はほとんど語られていないと言っていい。

 あるいは、こうした我を屈した態度であったにもかかわらず、お種は悲劇に追い込まれるのであるから、夫と、継母との悪玉ぶりが生きてくるとも言える。それにしても、やはりお種の人間的な冷たさや、醜さは必然性のないものと言わねばならない。

 この辺りで一応の解釈を下すならば、逍遥の意図は新しい知識人の裏面の醜さを否定し、批判する事にあり、同時に、新しい女性の半可通の学問がもたらす物をも否定し、批判するところにあったのでは無いかと思われる。いわば、新しい女性が「不当に陵虐され」る事に重点を置き、そこに義憤を表したものではなく、むしろ、圧迫されたり、陵虐されるのにふさわしい女性として、お種の様な新しい女性を登場させたのでは無いかと思われる。

 と言うことは、お種の置かれた状態をあってはならないとして描いていると言うよりも、あり得る状態として描いていると言う事である。つまり、そのテーマは何らかの理想を設定して、その上に組み上げられた物ではなく、一つの風俗的現象として発見された一つのケースであるに過ぎないと言う事になる。いわば、対象は風俗的に突き放されているのである。こう見てくると、夫定夫の醜聞も、横暴も共に否定的な形象ながら、風俗的傍観の態度を濃厚にしているのではないかと言う疑惑が持たれる。ここに、テーマあるいは問題意識がぼやけざるを得なかったのである。

 ここで、この「細君」と言う作品が、彼逍遥の理論——「小説神髄」の写実主義的理論の忠実な実践であったと言うことが、はっきり認められると思う。「小説神髄」の写実主義が結局は文学主体の希薄な、即物的風俗的な、写実のための写実の理論であったことはすでに明らかである。この理論が、いわば心理描写、性格描写に些かの深まりを見せて現れたのがこの「細君」であったのである。「妹と背かがみ」や、あるいはそれ以後の「此処やかしこ」「松のうち」等の中に、些かながら、青年の生活に取材して、その生き方を追求した主体的なものが、この「細君」には殆ど失われていると言って良い。いわば、「書生気質」へ逆行したと言うべき要素が、その根底に流れているのである。つまり逍遥の無目的な、又没主観の写実主義が此処に具体化されたのである。

 この様に見てくると、この「細君」は突き放した悲劇の傍観であって、最後にお園を殺してしまったのも頷けると思う。お園を殺す必要はなかったのでは無いか、と言う疑問は、先述の様な自我に目覚めた人妻の悲劇としてテーマを仮定して見たところから起こるもので、没主観の風俗描写と見るならば、お園が井戸に投身すると言うことも、悲劇に輪を掛けることで全体の風俗的な暗さを一層深めるものとして、効果が期待されていたのであろう。

 この作品が、逍遥にしては珍しく長時間を費やして書かれたと言われているが、その様な苦労をしなければならなかったのは、この作品が彼の持ち前とみられる啓蒙化の情熱に支えられた作品でなかったからだと思われる。つまり、「小説神髄」そのものも警世や啓蒙の情熱によって綴られたものであったが、「妹と背かがみ」以後の諸作は比較的この情熱のままに書かれた物であった。ところが、「小説神髄」の主張は、彼が学びとった強引なまでの人情世態風俗の写実主義であった。この警世や啓蒙の情熱と、写実至上主義的な写実とは、一致し難いものであった。事に、「妹と背かがみ」以後の「此処やかしこ」「松のうち」などの書生風俗の様に、彼の体験によって語り得る性質のものでなく、中流家庭の内部の風俗となると、多くの経験を持たず、素材自身にも写実し難いものを存していたと思われる。別して、逍遥の細君は遊女であって、女主人公お種とは全く裏腹の女性であった。逍遥は、自分の妻が教育はなかったが、愛くるしく、明るい暖かい心の持ち主である事に、ある程度満たされていたらしい。そう言う彼の好みからして、容易に想像されることは、お種の様な女性を忌み嫌っていたであろう事である。そう言う、彼の私的な好悪が、図らずも新しい時代の女性を批判する下地を作り、それを悲劇にまで落として見せる事にもなったと言えよう。「妹と背かがみ」の女主人公お辻が無教養の故に、悲劇的な結末を見せたのと全く反対の結果を示しているわけで、この点にも人生探究の作品と風俗描写の作品との相違を発見できると思う。

 以上の様に「細君」は、当時の風俗の悲劇的な面を写実したもので、時代の新しい問題であった婦人問題に取材しながら、積極的にその問題に回答を与えることができず、只男の側の醜さを描くに止まったものであった。したがってこの作品のテーマを女性の立場の弱さに、集中することが出来ずに、逆にこの様な悲劇を荒しめ得るものとして、半可通の新女性を冷酷に描き進める事になってしまったのである。

 それにしてもこの作品の良さは、やはり当時の時代の新しいタイプの男女をかなり真実にちかく表現している事にあると思う。つまり彼の写実主義理論を実践に移したものとして、注目されるべき点は依然として失われていない。尤も第三回で、不幸と言う事について論じたところの直叙形式などは、写実の立場から見て、完璧とは言えないが、第二回の実家での会話、第四回のお園が質屋に行くあたりのお種の心情などは、かなり良くかけていると思われる。この風俗描写の点で、些か優れたものと認めることができるだろう。

 なおこの作品は、二葉亭の「浮雲」に刺激されて書かれたとも言われ、又彼自身、発表までに二葉亭に読み聞かせたりしているが、二葉亭が文三の中に自己を発見した文学主体を、結局逍遥は成長させることが出来なかったもののようである。そして、自己の打ち立てた写実主義理論に縛られ、風俗描写の枠に自らを閉じ込めて、その限界に見切りを付けたのである。彼はこの作品以後本格的な小説の筆をとることを辞めている。


参考資料:和田繁二郎『逍遥「細君」試論」

     坪内逍遥『細君』

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