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いつかのザクロ



『ザクロかあ、もうあんまり食べなくなったなあ』

 弟からの返信は簡単なものだった。他愛ない雑談。
 なのに、ポツンとひとりきりになったような感覚が、ひどく胸に沁みたのを覚えている。

 秋深まるころ、祖母は毎年ひとつ大きなザクロを買ってくれた。
 そしてそれをいつも三つに割ってくれたものだった。
 赤い皮に包まれた果実の中には、すこしの隙間もないほどびっしりと真っ赤な実が詰まっている。私たち三きょうだいは白い薄皮をはぎ、ザクロを夢中で割りながら、自分のザクロがいかに赤い粒に満たされていて、すばらしいかを見せ合った。紅にすきとおるザクロの実はまるで宝石だった。
 ちょっと気取って中指に乗せればステキな指輪のようにも思えた。

「すごいね、ルビーみたいだね」

 ガーネットという概念がないころの私たちにとって、秋の日のザクロはルビーだった。三人で食べる、秋だけの宝石だった。

 私は一番上のおねえちゃんだった。えらぶっていて、鼻もちならないお姉ちゃんだったこともある。秘密基地の押入れに登るには、私に五十円払わなくてはならなかったし、妹の作文を読んでは、その拙さをあげつらったこともあったという。今となっては額をすりつけて謝りたい心持ちだが、幸いにしていまもきょうだい仲は悪くない。なにか珍事が起こればメッセージが飛んでくるし、会えばしゃべり通して時間が過ぎる。社会人になってもずっとそうだ。
 そんなある日、郷里を離れて暮らす弟から突然の連絡が入った。

「沖縄行こうぜ」

 急な提案に、地元に残る私と妹はまず驚いた。
 しかしながら、返事は早かった。

「「行こう!」」

 私と妹はふたつ返事で旅行を決めた。3人きりでいく旅行なんて10年ぶりだ。
 2泊3日の旅行は長姉である私のプロデュースと決まった。使う飛行機はLCC、1日目は離れ島のコテージに泊まって、2日目はダイビングなどがいいだろう。見知らぬ土地を調べに調べ、私は力の限りこの沖縄旅行を楽しいものにできるよう計画を練り上げた。

 結論からいうと、この旅は素晴らしいものだった。
 沖縄のありとあらゆるものを胸いっぱいに吸い込んだ。交代で運転手をして、道を間違っては騒ぎあい、夜のたびに沖縄に乾杯して、3日間写真を山ほど撮った。九月の沖縄で、肌寒いと言いながらプールに飛び込み、朝は夜明けすぐからビーチで貝がらを拾って見せ合った。うまれてはじめてのダイビングに大いに感激して、2日目の車内ではそのことばかり話したのを覚えている。

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        ▲ ※念のため、持ち帰っておりません

 いい年をした大人三人が、子犬のように転がりながら遊びまわったのだ。
 極め付けにおそろいのTシャツまで買い求めて、ポーズを決めて写真を撮るという、およそリゾート・ハイでしかできないことをやってのけたのだから、旅の楽しさは推して知るべしだ。

 そして、私は弟が静かに恋をはぐくんでいることを、この時知った。
 もしかしたら、そのことを打ち明けたいがゆえの旅だったのか、今となってはわからない。
 弟は、それからすぐに結婚が決まった。
 私は、よろこんで、よろこんで――。
 あんな旅に出ることがもうこの先ないだろうことを、不思議に予感した。 

 旅行から帰った私は、久しぶりにザクロをひとつ買い求めた。そのころSNS上ではザクロをきれいに剥く方法がもてはやされており、私も懐かしくなってひとつ買い求めてきたのだ。大きな実をひとりじめしながら、私はふと弟を思い出した。
 あの子が一番ザクロが好きだった。手を果汁だらけにして、ティッシュだって真っ赤にして。
 三人で遊んだあの日の沖縄の気持ちのまま、私は弟にメッセージを送った。

「こんなすごいザクロの食べかたあるんだよ。実がキレイに全部取れるの! 今食べてる。うまーい!」

 はしゃいだ私の写真付きメッセージに、弟はこう返した。

「ザクロかあ、もうあんまり食べなくなったなあ」

 なにげないひとことが、不意打ちみたいに私の胸を強くはたいた。
 ああ、私たちは「大人」になった。
「そっか」と返したのか、「たまには美味い!」と返したのかもう覚えていない。ひとりじめしたザクロは、おいしくて懐かしくて――。ちょっとさみしかった。私だって、ザクロは何年ぶりだったろう。
 でも、三つに割ったルビー色のザクロを、ずっとずっとおぼえている。
 甘くっておいしくって楽しかった秋の日を。
 もう一緒に、食べることはなくても――。

 やあ、君らはどうだい?

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