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『Inspiration of…』

広尾駅から2kmの同心円状で生活すると飛行機の存在を身近に感じるようになる。羽田空港の都心上空ルートが真上に設定されていることで、日中は轟音とともに機場へと舞い戻る銀翼を容易に観察できるのは、実はあまり知られていない事実かもしれない。2024年4月2日午後4時すぎ、渋谷橋の歩道橋から羽田へ降下する全日空の中型機を仰ぎ見ていた私は、ほっと溜め息をつくと気づけば前方を通過するデルタ航空を見送っていた。いつからだろう。遮るもの、翼をへし折る障害物などないはずの大空を、いつも決まったルートで決まった方向へ移動する飛行物に不思議と自らの境遇と似たものを感じるのは。

幼少期から乗り物が好きだった私は、未就学児の頃には道を往き交う車の名前を言い当てていたらしく、そのことを少し誇らしげに母から何度も聞かされていた。私にとって自動車はハレの世界へ私を連れゆく魔法であった。東浦のイオンモールに名古屋のパルコ。私がワクワクする空間と私に連続性をもたせてくれたのは、親の運転する自家用車のおかげであった。

視界の遠くに浮かぶ船を眺めると、私はぼんやりと羨ましさを感じることがあった。実家から10分歩けばたどり着く豊浜漁港とその先に広がる伊勢湾の海は、閉塞感に満ちた頼りない街から私を知らない世界へと結んでくれている気がしていた。

伊勢湾の常滑沖に中部国際空港が開港したのは、愛・地球博の直前で私が小学校3年生のときであった。その頃から、私の興味に航空機が新たに加わり、空を眺めて航空機を観察する趣味が生まれた。私と世界を結ぶ拠点が近隣に誕生したことにワクワクし、飛行機に搭乗しないのに空港に赴くこともあった。中部国際空港の展望デッキは広くて航空機の観察にはうってつけで、開港当初のセントレアは多様な国籍のキャリアが集合していたことがさらに私の興味を刺激した。そんな自由で国際色豊かに見えるエアプレーンには、実は管制官の指示を受けてから動く受動性と、決められたルートを往来するだけといった単調性をもつ現実的な側面があることに気づいたのは、大人になってからかもしれない。

渋谷橋から眺める航空機に思いを馳せた私は、澄んだ空を直進する飛行物と27歳となった私自身によるキャリアの現状を重ね、自らの意思によって進みたい方向へ航路を修正しようともがきながら、今日も少しずつ目的地へ進んでいく。

目的地はまだわからない。


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