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高校の友人と5年ぶりに旅に出て「大丈夫」だと思えた話

高校時代の友人たちと5年ぶりに旅行に行った。
友人の一人が地方で結婚式を挙げることになったからだ。
旅行が決まったとき、私は正直楽しめるかどうか不安だった。

高校時代は毎日のように一緒にお昼を食べ、放課後はロッテリアで永遠にどうでもいい話をしていた友人たちだ。
高校を卒業して10年以上が経った今、どうでもいい話をするためにわざわざ時間を作って集まることなんて、もうとっくにしなくなっていた。
おまけに私たちは友人のくせして、服装や仕事、好きなものや価値観も全く違う人間たちの集まりだった。部活もみんなバラバラだ。
こんなにも何もかも違うのに、あの時どうして仲良くなったんだろうと誰もその理由を思い出せないくらいに。

高校生の頃はどうでもいい話しかしていなかったから、価値観の違いなんて気にする機会すらなかった。みんなで永遠に笑い転げていられればそれでよかった。
そんな私たちも30代になって、結婚したりしなかったり、バリキャリだったりそうじゃなかったり、東京に住んだり大阪に住んだり、仕事を辞めたり辞めなかったり。それはもう見事にバラバラな道を歩んでいる。

私はそんな友人たちと、5年ぶりの旅行で笑い合えるのかとても不安だったのだ。
彼女たちのまぶしさに目が眩まないか、大人になった私と彼女たちがつまらないことですれ違わないか、少しのズレを隠して作り笑いをしてしまわないか。

結果的に、全てが杞憂だった。
特別なことをしたわけではないし、真新しい場所に行ったわけでもないのに、彼女たちとの旅行はずっと楽しくて仕方がなかった。

スマートフォンもなかった高校時代、家を飛び出して彼女たちと会えば目に映るすべてが面白く思えたことを思い出す。
その記憶は霞んでなんかいなくて、今の私たちにも同じ空気がずっと循環して流れ続けているんだろう。
自分が吐き出す二酸化炭素にまみれた部屋にこもり続けると、そんなことにも気付けなくなってしまう。

家から出て彼女たちと顔を合わせたら、あの頃と同じように目に映るすべてが鮮やかに見えた。
毎日TikTokを見てなんとなく満足していた日々が、どうでもよくなってしまった。

私は高校時代の頃のままの私ではないし、彼女たちも変わった。
歩んでいる道もバラバラだし、それはきっとこれからもどんどん離れていくのだろうと思う。
それでもあの頃の空気がまだ私たちには流れているのだとわかったら、思い切って自分の人生を歩いていっても大丈夫だと、なぜだかそう思えたのだ。

そうして今日筆をとっている。私はやっぱり書くことが好きらしい。

健やかに文章を綴るためにアイスクリームを買いたいです。読んでくれて本当にありがとう。