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は?(脅威)まじで?(懐疑)つら(喪失)から始まる他者への目線



海士小学校の道徳の授業を見学してきました。
幼少期パキスタンに住んでいたななこちゃん(島前高校生)が自身の経験をもとに、「相手の気持ちになって考える」というテーマで時間を創りあげていました。

見学しながら、「わたし、道徳の授業好きだったなあ」と朧げに思いました。
算数はきらい
体育は服を着替えるのがめんどくさいのできらい
図工も教室移動するのがだるいのできらい

でも社会はだいすき
学活とか道徳とか桃の里(地元、飯山町は桃が有名であったので地域の活動はこのように名付けられていたと記憶)は好きだったな、と。

そこからいろんな経験をして変わったように思うも、やはり人間は地続きなのだと思う。今でも社会系や人文学系の類の記事に惹き寄せられてしまう。

それはさておき、パキスタンで過ごした学校生活と日本の学校生活が「違う」ことで、すこし辛い思いをしたななこちゃん。どんな気持ちだっただろう?どうやって乗り越えたんだろう?とみんなで考えました。

どんな気持ちだっただろう?という問いに対して

👦🏻「どうしてちがうとあそべない?」
👦🏻「なかまはずれいやだ」
👧🏻「なぜつめたくされるの」
👧🏻「なんで違ってはいけないの?」


どうやって乗り越えたのだろうか?という問いに対して
👧🏻「自分から「なんで!」と伝える」
👧🏻「おいしいものを食べる」
👧🏻「みんなと同じように生活する」
👧🏻「中学校まで学校が変わるのを待つ」
👦🏻「自分から友達や先生や親に相談する」

たくさん意見が出ました。小さな小学校だからこそ、みんな発表しているのも印象的でした。




授業を見学しながら考えていたこと

島の教育っておもしろいと思った。
地域全体で子どもを育てるという意識というか。協働を掲げていて、学校内だけで完結せず他のセクターが入る余地があるというか。生徒でも先生でもない人々の割合がすこぶる多い。大人の島留学生もそうだし、今回は高校生が入って授業を行うみたいな。
「小さい島だからこそできることだよね」という意見もあるけど、そこで思考をストップさせてしまうのはもったいないと思う。



子どもってある意味、無慈悲だなと思う。
嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好き。
「ちがう」というのは大きな違和感として存在して、どうしようもならないものなんだろうな、と自分の経験も踏まえて思う。できるだけ、誰も取りこぼさないように動くようにしてたけど、そこにはやっぱり勇気を必要とする。

「ちがう」を理解するというのはとても難しいことだと思う。口に出すのは簡単だけれど、のみこむでもなく排除するわけでもなく、わたしとは違うあなたを理解するのはとっても高尚な作業だ。


つらかったとき、どんな気持ちだっただろう?と他者の気持ちになって考える。

そこで出てきたみんなの意見を聞きながら「驚異と懐疑と喪失の意識」を思い出した。
人は、びっくりしたり辛いことがあったりすると「なんで?」と問いかける。「は?(脅異)マジで?(懐疑)つら(喪失)」から哲学は始まるのだ。
(永井玲衣さんの「水中の哲学者たち」より)


また、どうやって乗り越えたんだろう?という問いに対する子どもたちの回答がおもしろかった。
おもしろかった、というのは、対処法は子どもでも大人でも変わらないなということだ。

みんなの意見を共通項で分類すると、
【越境・逃亡・相談・迎合】なんじゃないだろうかと思った。(詳しく分けようと思うともっと分類できると思う)

越境とは自分から他者に働きかけること。具体的には「なんで!(仲間はずれにするの!)」と自分から動く行為だと思う。

逃亡とはその環境から自分を遠ざけること、中学校になるのを待つというのもそうだし、美味しいものを食べるとか好きなことをするのも今の自分の環境に一旦目を瞑って黙認する行為だよね。

相談、これはそのまま親しい誰かに相談して自分の仲間を作るという行為だ。人は、孤独を恐れる、だからこそ自分の味方である巨大な勢力を作りたいと願う。

迎合、それは人と「ちがう」と認識したわたしが、ふつうに合わせようとする行為だ。

言葉の難易度は変わるけれども、どれも変わらない。変わらないというのは子どもであってもおとなであっても変わらないということだ。
仮に私が同じような環境下に今置かれても、同じような行動をするだろうと思う。
おとなになっても変わらない、大事なものは変わらない。そんなことを気付かせてくれた授業でした。





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