馬と人のトイレ事情
夜は山が近いからか、フクロウの鳴く声が聞こえてくる。けっこうはっきりと「ほー、ほー」と鳴いている。何種類かカエルも鳴き始めた。田舎の夜は実は賑やかだけれど居心地の良い響きだ。
馬房がある離れの二階に住まわせて貰っている。馬が来れば馬の頭上で寝ることになる。馬はあまり熟睡しないから、みんなが寝静まった頃、どんな音が聞こえてくるのか、その息遣いや草を喰む音が聞こえるだろう環境にわくわくしている。
自分達がここに移り住むことに決めた大きな理由の一つに、この馬房がある。元々は馬や牛を飼っていたそうで、住居の中に馬や牛の生活が組み込まれている。というか、馬や牛に働いて貰い、糞を肥料として貰わなければ生きていけない状況が当たり前のようにあったのだろうし、その名残りが今も残っている。この馬房の中に謎の穴もその一つだと思う。尿が流れる為の傾斜があり、この穴に流れるようになっている。恐らく糞と尿を分離する為の仕組みだと思う。ここの上はミニチュアホースのエウロパちゃんが来る予定だからはまらないように埋めてしまうけれど、また使う日がくるかも知れない。
そして、この離れにはトイレがない。トイレの名残はあるのだけれど人が住まなくなり、使えなくなっていた。
だから、トイレを作ることになった。うんちを菌に分解してもらい堆肥化できるコンポストトイレ。これも糞尿分離式でやってみている。何故尿と糞を分けるかというと、尿も一緒に堆肥にしようとすると水分量が多くなりすぎて上手く発酵しない為だ。
中に入れる土はみんなが毎日飲むコーヒー殻とおがくずでやってみる。使用するたびに撹拌できるようにしてあり、空気を取り込んで分解を促す。けれど、実はそんなことをしなくても馬が来ればボロ(馬糞)が役に立つ。土壁にも出来たり、乾燥させて燃やせば虫除けにもなるらしいが、ボロが宝だと言われる1番の理由は、馬が食べた未消化の有機物がふんだんに残っていてすぐに発酵が始まる点ではないかと思っている。菌が生きている状態が長く続いて、そこに生ゴミなどの有機物を入れるとそのまま堆肥になって畑に撒くことができる。コンポストトイレの土にも使えるのではないだろうか。
大阪にいた時は便利さや速さを求めるあまり何もかもが面倒くさくなって、いつのまにか生きることも面倒になってしまっていた。何をやるにしてもその価値を誰かに決められていて、しかもそれは最大効率化されて大量生産されたものと常に比べられる。テレビやインターネットで比較対象が増えてさらに比べられるようになった自分の価値を上げ続けなければいけなかった。そうしなければ不安で仕方がなかった。
けれど今は相対的な評価にもう興味はない。比べる事でしかそのものの価値を測れなくなったら、本当の価値に気付けなくなる。そう気付いた。だから今は、遠くばかりをみて生きた心地のしない人生にならない為に目の前で起こっていることをただ純粋に受け取りたいと思っている。ありのままの価値を見る。そうしていると、面倒なことほど価値があることなのだと気付いていく。
365日大量に出るボロを子供も大人も協力して集めて、堆肥にし畑に撒く。それで野菜が出来る。それを人が食べる。小さな循環だけれど、その途切れることのない物語を生み出すお手伝いが出来れば良いなと思っている。
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