新しい世界への祈り

「祈り」なんて書くと、宗教的な匂いがすると思われるかもしれない。だけど、本投稿における私の意図は、全く違う。

祈ることは、沈黙することだ。祈ることは、人に押し付けないことだ。祈ることは、ささやかな行動を始めることだ。祈ることは、ぎりぎりのところで人に失望しないことだ。つまるところ、自分の耳を塞がないことだ。

どんなに野蛮な人間にひどい仕打ちを受けたとしても、外を向き続けたいと思うことは、愚かだろうか?

2020年現在の世界において、1年前には全く想像しなかった困難が日々の生活を襲う。日々の生活は、生まれてこの方、平和であった。2011年には震災があり、2016年はヨーロッパでテロを恐れた。中には、「平和なんて言えるのは、お前だけだ」と思う方もいるかと思う。その通りである。

私は、日本に籍を置いていなかった期間を除いて、ずっと東京にいるし、東京を退屈な場所と考えてきた。便利すぎて退屈、自然が少ない、だからロマンが生まれない、匿名すぎる、人と深く関われない。そんなことを思いつけること自体、恵まれている。平和は人を鈍感にする効果があるらしい。ドイツ語では、これを皮肉って、Friedhofsruhe(お墓の静けさ)なんて表現する。

ところで、私の祖父母はとっくに他界しているが、私と随分年齢が離れていたので、18〜22歳ごろのえらく多感な時期に、ひどい戦争を経験していた。双方の祖父に関していえば海軍に属し、いつ死んでもおかしくない場所にいた。一人の祖父に限っては3歳の頃、関東大震災すら経験し、戦地では首に弾丸をかすった。商人の家系とはいえ、貧しかった。戦後の豊かさは、東京における不動産価格の高騰によってもたらされた。

私は間接的に苦難な時代を知っているはずなのだ。それなのにいざ、苦難を前にすると、人間は無力であると感じられる。誰のせいにもできない疫病。今この状況で私にできることは、人々がどういう志を持てば、どんな立場の人間に対しても寛容で生き易い社会になりうるのか、筆の力を借りて、言葉にすることである。理想論でも、頭の中のぼんやりとしたイメージから、記号にすることが、近道になると信じている。

多分そんな社会は到来しないーそれは十分に考えられる。でも絶望はしたくないから、願掛け程度に、「祈り」程度に、「こうなってほしい」社会を"ほのめかしたい"と考える。

・子は宝だ。教育に子供に投資してほしい。英語とかプログラミングとか本質でない学ではなく。

・知は国家の礎だ。基礎研究を重視してほしい。その予算を少なくとも削らないでほしい。「急がば回れ」は、知に関して的を得た言葉だ。

・公共性を感じてくれたら嬉しい。(例えば電車に乗っている)今の自分は、自分の大事な人に見られて平気な態度をとっているのか、問いかけてほしい。周りを見てほしい。周りを見るということは、心の余裕云々ではなく、自分の中の一カ所を"Ready"にしておくことだ。

・コンセプトを持って、建設計画を立ててほしい。特に建物の高さの統一性について。自分の都市を、どんな都市であるのか定義した上で、取り壊すのか残すのか改修するのか考えてくれたら嬉しい。

・「自分だけが絶景を見たい」そんな悲しいことを思わないでくれると嬉しい。「自分だけ」が肥大化した結果、どうなっているのか、一度想像してほしい。

・日本語こそしっかりと学んでほしい。私は英語を使うが、日本語の基礎があるからこその英語である。思考が空疎な英語は、空疎な日本語と同じくらい悲惨だ。

・人間を信じずとも、完全には絶望しないでくれたら嬉しい。「好きな人としか働きたくない」なんて言わずに、辛抱強く、人と向き合ってほしい。たくさんぶつかってほしい。

・地球を大事にしてくれると嬉しい。実際私もまだまだ大事にできていない。もっと大事にしないと終わりが近くなる。地球を労わることは、自然本来の力を信じ、見つめ、人工物から手を引いていくことである。

・故人を軽視しないでくれると嬉しい。古典は示唆に富み、迷った道を抜け出す手立てになる。仕事の個別具体的な方法について、誰も教えてくれないが、古典はそっと導いてくれる。

・そして何より、本質を見る力が一番嬉しい。本質を見るためには、一つのことにじっくり集中して、速さを諦めることだと思う。つい安さに、手軽さに心は動くが、なぜ動いてしまうのか、考えてほしい。

これらの切なる「理想論」なるものは、少数派であろう。ここで長く暮らしてきたのだから、なんとなく悟っている。それでも構わない。言葉の力は偉大だと信じているから。

疫病が収束したのち、多くの人が一段階違う人間になっていてほしい。前が悪いとか言っているんじゃありませんよ。良いとか悪いとかの意識ではなくて、想像するかしないかの違いだと思う。

こんな社会の到来を夢見たい。理想でも構わないから。そうすれば、より長く社会は持続すると思う。言葉にするには勇気がいる。だけど、これ以上失望したくないし、人間の力というものを信じるしか、道はないと知っているのだ。

愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛に対する信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。

※私は上記著作を読了して、頭を殴られたような衝撃を受けました。なんで今までそんな簡単なことに気づくことができなかったのかー「単純だな」といえばそこまでですが、別途言及したいと思いました。

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