見出し画像

明日、夢が溢れる

「あけむさん、って読むのかな?」

「あ、えと、めいむ(明夢)です…。」

私が当時通っていた小学校には、数年上の学年に私と同じ漢字で明夢(あけむ)さんという方がいたらしく、小学校の頃はよく初めて私の名前を読む先生は私の名前をあけむさん、と呼んだ。

そうでなくても初見でめいむ(明夢)と読める人はほとんどいなかったし、未だ私は「明夢」と書いて「めいむ」と読む名前の人に会ったことがない。FacebookやTwitterなどで検索してみても、ペンネームみたいな方はいらっしゃることはあれど、本名で「明夢(めいむ)」という人に出くわしたことがないので、当時はまだ所謂キラキラネームも流行る前の時代だった中でうちの親は結構すごいなと思う。

そんな生まれて37年、あきるほどに向き合い続けてきた名前について、つい先日のとある友人のたった一行の言葉で、なんだか目からウロコが落ちるような新しい発見があった。

その時の気持ちをなんだか書き残しておきたくなって、突然夜中にこの日記を書いている。



ちゃんと読んでもらえないこの名前が嫌いだった

前述の通り、小学校時代は私はよく「あけむさん」と間違われた。今の時代だったら名簿に読み仮名がふってあるのは当たり前なのかなと思いつつ、当時は漢字でしか表記されていなかったので、別に誰が悪いわけでもなく、さらに偶然にも「明夢」と書いて「あけむ」さんがほんの数年前に同じ小学校に居たという偶然もありこれまた仕方がないことだった。が、小学校時代の自分にとってはやっぱりそれはもちろん気持ちの良いものではなく、なんども「めいむ、です」と訂正するのも面倒で、自分の名前を嫌に思っていた時代があった。

「私、自分の名前もっとかわいい名前だったらよかったのに。」

母にそう言っては「絶対、明夢(めいむ)の方がいいに決まってる!」と言われ、今では私もそう思うけれど、でも確かに当時はもっと別の名前が良かったと母にごねたりしていたこともあった。

私の名前は、私が女の子だったので母がつけた。(男の子だったら父がつけるはずだったそうだ。)その意味は、「いつまでも明るい夢を見続けられる子でありますように。」込められた意味は幼い自分にも理解できたが、小学校時代は友人関係に悩んでばかりいたし、みんなとなんだか違う名前(なんかカタカナで書きそうな音)であることはアイデンティティにはならず、引け目を感じるような、そんな名前だったし、なんだったら当時、ダサい。くらいに思っていた。

だいたい呼ばれるときにも「めいちゃん」と略されることも多く、「めい"む"」っていう響きに対して馴染みもそんなになかった。自分の名前を誇りに思うどころか違和感を持っていたことは今でもよく思い出せる。



「めっちゃいい名前だね!」

新しく出会う人出会う人にそう言ってもらえるようになってきたのは、大学から社会人になったくらいのことだった気がする。

「明夢?めっちゃいい名前だね!」
「一度聞いたらすぐ覚えられる!」
「明るい夢って、すごい素敵な意味」

母がくれたこの名前は、本当になかなかいなくて、大人になればなるほどその名前の恩恵を受ける機会が増えた。

・読み方がわからないからこそ、「何て読むの?」と聞いてくれる
・漢字と読み方のセットで名前を一発で覚えてもらいやすい
・意味も含めて、初対面の人でもちょっとした話題になりやすい

特に名刺を使うようになってから、その効果はさらに顕著になって、お仕事でご一緒させていただく方に名前を覚えてもらえるという、子供の頃には思いもよらない良い面を実感できるようになり、

「明夢、っていう名前も悪くなかったかも」

と、やっと前向きに捉えられるようになってきた。

が、自分の名前が好きかと言われたら、好きというか、まだまだこの頃は【悪くない】止まりだった。



「明るい夢を持ち続けられる人」ってめいちゃんにぴったり!

結婚を機に仕事を辞めて、夫についてアメリカ・テキサス州、デンマーク・コペンハーゲン、熊本、名古屋と移動する中で、今思い返すと本当に私は各地でがむしゃらに何かを成し遂げねばと必死にいろんなことをしてきた。


科学の楽しみや美しさを伝えるべくサイエンスワークショップをやってみたり、

生きづらさを抱えて毎日を過ごしている人たちをどうにか解放し、その人らしく自由に自分らしくいられるお手伝いができないかとハコミセラピーを学んだり、ワークショップを主催してみたり、

その人が次の一歩を進めていくための手伝いをしたくてコーチングの資格をとってみたり、

デンマークの教育について興味を持ち、あちこち訪問してインタビューしまくってみたり、

デンマークについてもっと知り学ぶために調査のお仕事に挑戦してみたり、

補習校で幼稚園の先生になり、日本文化を伝えるお手伝いをしてみたり、

日本-デンマークの国交150周年を記念した文化交流プロジェクトで国境を超えたお仕事に初めて従事してみたり、

日本に帰り、地域のまちおこしやまつり作りに足を踏み入れてみたり、

竹あかりに魅せられて全国をつなぐ祭りに参加してみたり、

友人とオンライン料理教室を主宰しまた全国と繋がってみたり、

全国のクリエイターと一緒に社会課題に向き合ってみたり。


書き出してみるとなんかもう私は何がしたかったんだか(笑) 本当に多分、私は人とのご縁に導かれながら必死に各地で自分の居場所を作ろうとしていただけ。何がしたいか、も大事だけど、【この人たちと一緒にいるために、この人たちの力になりたい】の方が私にとっては圧倒的に強い動機だった。

だから私がもし何かを夢見ていたとすれば、それはきっと

【誰かに必要とされる自分】
【自分がそこに居てもいい、そんな居場所を見つけること】

こんな、自分本位な夢だったと思う。


それでも、そんな私の動向を見ている友人たちから、ふと、

「明夢っていう名前は、めいちゃんにぴったりの名前だよね。」

そんな風に言ってもらえることが本当に増えてきて、自分ではそんな風には思えない部分はあるんだけど、それでも、なんだか自分が自分の名前に少し追いつくことができたような、今までなんか名前負けしてたようなそんな気持ちだったものが、やっと自分と自分の名前の持つ意味や、親が込めた願いみたいなものが近づいて、名と体が合わさっていくことができてきたような、そんな気持ちになることができてきていた。

でもそんなとき、友人がFacebookの投稿に、何気なくこんな一文を書いてくれて、私はなんだか泣きそうになった。



「谷本 明夢 さんは、明日の夢をつくるひとです。」

それはとってもとっても尊敬している友人のひとりで。

彼は本当に小さな魅力を100倍にも万倍にも増幅して表現してくれる人で、本当にさらっと、まるであたかもそれが常識で、真実かのように、いや、彼の中では真実だと思ってくれているんだろうけれども、本当にさらっと、めちゃくちゃいつも何をしても褒めてくれる。

時々うっかり錯覚してしまいそうになるくらい。自分が何か素敵な人にでもなれたみたいな気持ちになるくらい、本当に褒め上手だし、相手の魅力を見つけるのがとっても上手い人。

そんな彼が、Facebookで私を紹介してくれたときに、

「谷本 明夢 さんは、明日の夢をつくるひとです。」

と、サラッと、書いてくれていた。
しかもそれをTwitterでつぶやいたら、これまた別の尊敬する友人が、

全力で頷いてくれていたこともものすごく嬉しかった。

私、自分の名前はずっと「明るい夢」という意味だけだと思っていて、でも確かに「明日の夢」でも略したら「明夢」になる。もしかしたら、読んでいただいてる方にはなんてことのないことかもしれないけれど、本当に生まれてこのかた37年間、自分の名前の持つ意味は「明るい夢」という意味だけだと思い込んでいた私にとっては、同じ漢字からまた違う意味を見出してくれたことがものすごくものすごく、トンカチで頭を殴られたような衝撃だった。

親に与えられた名前、
親に与えられたその意味が、
自分の生き様を経て、
また尊敬できる人の手によって、
さらに違う意味を持つ瞬間がくる。

与えられたものを、自分の生き方で変えていくことができるっていうこと。

明るい夢、もすごく良い言葉だけど、
明日の夢、っていう、未来に向かった言葉もすごく素敵で
私はこの日、自分の名前を、やっと本当の意味で好きになることができた気がする。

氏名、と、使命、は同じ音を持っているのが
果たして偶然なのか、わからないけど
なんだかやっぱり自分の名前にふさわしい生き方をしていきたいよなとか
そんな風に思えた日。

私の人生、本当に思い返すと、幼い頃にどっかに落としてきちゃった自己肯定感のカケラを、長い時間をかけて少しずつ少しずつ拾い集める人生なんだけれど、でもその過程で本当に本当に素敵な人たちとの出会いがあり、そんな人たちにどう恩返ししていくのかというのもまた私の人生のテーマでもある。

私の名前に新しい命を吹き込んでくれた友人みたいに、私も周りの人たちの人生に、その人の素敵さのカケラを増幅して返していきたい。自分にできることは限られているからこそ、それに全力で。

また明日、みんなの夢が溢(あふ)れていきますように。


↓最後に、私の座右の銘をこっそり置いておこう。
明日もまた、誰かの夢に繋がれますように。

スライド49



*タイトルは、尊敬する某監督さんの作品からインスピレーションを得た、オマージュです。本当に、日々の出会いに感謝。

この記事が参加している募集

#名前の由来

7,884件

#眠れない夜に

69,281件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?