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萎れた心は大陸に焦がれて

人の心とは不思議なもので、ちょっと健康になってきたと思ったら文章を書きたい欲求はしゅわしゅわとソーダの二酸化炭素みたいに空気中に消えていきます。元気になってくると自分の心の中のどうでもいいことをつらつらと書くよりも、ちゃんと読む人に満足してもらえる文章を書かなきゃ、みたいな責任感に似て似つかないどろんとした薄暗い気持ちが心のどこかに芽生えてしまうからかもしれない。
それは本当におこがましい話で、わたしのようななるべく人目を避けるようにして人と関わりを長く保たず薄っぺらな人生を歩んできた人間が、誰かのためになるステキな文章なんて書ける訳がないのです。わたしの言葉で明日は明るくならないし、わたしはあなたの人生をときめかせる片付けの魔法を唱えることもできません。だけどわたしはここでひたすら自分が思う自分の心の奥底から沸いて出てきた言葉を書き残していかなければならないのです。なんでかってそれは誰かのためではなくて自分のために。

今までずっと自分の気持ちを無視してきたら、結果的に人間にもなれず山犬にもなりきれない、なんだかちぐはぐな人生を生きてきました。絵を描くことが好きなのに好きじゃないふりをしてみたり、コミュ力が決定的に欠けているのに語学を学んでみたり。

例えば、北海道の田舎中学から大阪の私立高校に進学した結果周りの人間関係が一新されたのですが、NARUTOのイルカ先生が好きすぎる・ハンター試験時代のポックルが好き(再登場したとき嬉しかったのに)、みたいなコアなオタクがバレるのが怖くて週刊少年ジャンプの存在を知らないふりをしていました。逆に怪しい。

大学時代は中国語を専攻していました。それこそもう10年経ったから言いますけど、中国語を専攻したのは三国志に興味があった訳でも共産主義に傾倒していた訳でも近年急速に発展する中国経済を見通した先見の明があった訳でもなんでもなくて、ただただ週刊少年マガジンの熱血料理漫画『真・中華一番!』が小学生の頃から酔狂的に好きだっただけでした。小学校のお泊りキャンプでおこげ料理を作ろうとしたのもその影響です。きっと調理師学校か周富徳に弟子入りした方がまだベクトルは正しかった。でも、当時は漫画が好きだから中国に興味を持ったなんて誰にも言えませんでした。アニメとか漫画とか、そういうサブカルチャーが今より遥かに虐げられていた時代でしたし、人一倍の反骨精神は胸に秘めているくせに、好きなことを好きだと堂々と言う勇気もなく、わたしは中国の悠久の歴史に興味があるんだ!と自分自身に言い聞かせて本当はろくすっぽ興味もない内容で卒論を書きました(唐代のシルクロード研究だったと思う、それはそれで面白かったのだけど)。最終的に教授から「中身が薄いのを文章力でカバーしていますね。」という貶されたのか褒められたのかよく分からない評価を頂いたことは、卒論提出から約8年が経過した今でも昨日のことのように思い出すことができます。卒論に文章力も何もないだろう。

語学の方は血が滲むほど勉強しました。中国語をちょっとかじったことのある人ならご存知だと思いますが、あのマーマーマママー(?)の発音です。音程がわからなくてピアノを使って泣きながら練習をして、舌の構造から学んで口の周りが筋肉痛になって、お陰で中国で「你好」とか「謝謝」とか、ちょっと喋ったくらいでは日本人だとばれませんでした(まあ見た目も重要)。それでも、心から語学を愛する人には追いつけませんでした。

でも結果的に必死で身につけた中国語は、空港の仕事でも出張先の工場でもアパレルの接客でも、どこにいってもわたしを助けてくれています。これからもこの先も、きっと一生そうだと思う。本気で継続して身につけたものは、自分を裏切りません。

2009年、大学三年生の時に一年間だけ留学で大陸に滞在したことがあります。広大な中国大陸に住まうあの人間の量とそこから溢れ出るエネルギーを一身に浴びて過ごしました。留学中はほとんど一ヶ月かけて大陸を列車で旅をしたこともありました。実際のところ旅行期間も含めて留学中の大半は、頭がおかしいんじゃないかというほど泣いて泣いて周りに迷惑ばかりかけていて未だに口に出すのもはばかられるほどなのですが、それでもあの一ヶ月の旅で見た景色や人々の姿は10年経った今も鮮烈にわたしの脳裏に焼き付いていて離れず、これぞ人生の原点ともいうべきものかもしれません。

結局何が言いたいかというと、10年経った今、この黒とも黄金ともつかない自分の歴史を、少し文章にまとめてしまおうと思った次第です。上手く書けるかもしれないし、恥ずかしさに耐えかねて挫折するかもしれません。記憶が曖昧な部分は曖昧なままかもしれないし、ちゃんと書こうとするあまりにしょうもない自分の人生に改めて絶望して何も書けなくなるかもしれない。そしてこの薄っぺらで悲観的な性格が災いして多分大して面白くありません。エピソードのどれもこれも大抵泣いて終わり。でもここで少しトライしてみてもいいんじゃないかなとも思うのです。きっと海外生活とか言う割に地味な内容ばかりだし、数字もちゃんと覚えていないから、なんの資料にもなりません。1万円が800元だったことすら今や600元だったような気もしてきてはっきりしません。逆だったかもしれません。ノンフィクションのはずなのに数字だけがフィクション。それでもちょっとやってみたいと思うのです。きっと順序もばらばら。内容も支離滅裂。それでもやらなくてはいけないのは、このまま「何もしない」を、続ける訳にはいかないからです。そして当たり前のことですが、始めないと、何も始まりません。

あれだけ塗り固めた嘘の専攻理由でも、わたしはたしかに中国大陸に恋い焦がれていて、願わくば再び足を踏み入れたいと思っている。本当に残念なことに在学中あんなに勉強したのに政治も経済も歴史についてもわたしはろくに理解ができなくて、それなのにただ貪欲に中国の景色を、人を、料理を恋しがっていて、そのエネルギーを欲している。
そんな気持ちをなんとかしなければいけません。これからしばらく、過去の記憶にぶつけていきたいと思います。未来のことも難しいことも考えるのは、もう少し先。

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