再生処理の現場 vol.6 大阪府済生会中津病院 平松治さん 『教育と啓蒙活動を通じた、滅菌技士(師)が活躍できる仕組みづくり』
再生処理の現場に立つ、さまざまな方の声を届ける「再生処理の現場」。vol.6の今回は、大阪府済生会中津病院の手術センターサプライ部で室長を務める、平松治さんにお話を伺いました。平松さんは、同病院への入職をきっかけに再生処理の現場に携わり、その後、スウェーデンの医療機器メーカー「ゲティンゲ」に転職され、2018年からは再び同病院にて、滅菌技士(師)が活躍できる仕組みづくりを実践されています。本記事では、営業職での経験を通じて感じられたという滅菌業界における教育の必要性や、現在平松さんが取り組んでいる啓蒙活動についてお話しいただきました。
手術室の支援業務から再生処理の現場へ
-平松さんが医療業界に入ったきっかけはなんでしたか?
新卒の時にはまったく違う仕事に就いていたのですが、いまで言うところのリファラル採用で大阪府済生会中津病院に就職し、医療業界に入ることになりました。当時は手術室の看護助手として入職し、手術室の準備や清掃を担当していました。
-その後、再生処理にはどのように関わることになったのでしょうか?
ある日、当時の上長に声をかけられて、「あなたはこの病院で何をしたいの?」と、直球の質問を投げかけられたことがあったんです。その頃は、男性の看護助手の数が少なかったですし、僕が将来このまま手術室の仕事を続ける姿が上長には想像できなかったようで、病院の中でやりたいこと探してきなさいと。その後、関心のあったサプライ部に人事異動させてもらうことになり、再生処理の現場に携わるようになりました。
-サプライ部のどのようなところに関心を持ったのですか?
当時、サプライ部で管理していた人工呼吸器に興味があったんですね。昔から車やバイクなどの機械が好きで、身の回りにある機械として人工呼吸器に関心があったんです。滅菌処理についてはサプライ部に異動してきてからはじめて知りました。こんな仕事があるんだなと思いましたね。
-当時のサプライ部の再生処理はどのように行われていたのでしょうか?
その頃のサプライ部では、再生処理のきちんとしたルールがあるわけではなく、「こんな時はこうすればいい」といった、ある種の言い伝えのように仕事の流れが決まっている状況でした。注射器も現在のように使い捨てのプラスチックではなくて、ガラス製が当たり前の時代でしたし、「このやり方でいいのかな…」と思いながら再生処理をやっていた部分もありましたね。手術室の仕事を通じて医療機器が使われている状況は理解していたので、これはちゃんと勉強しないとまずいなと、当時大阪中材業務及び滅菌技法研究会が開催していた再生処理の勉強会に通うようになり、さらに滅菌に興味を持つようになりました。
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