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まだ見ぬ春に思う、大なる母の小なる社会的役割。あるいはNY駐妻の感傷。

東京では桜の話がウキウキした気持ちと共に交わされるこの頃に
ニューヨーク北部で、私は零下の気温で朝を迎えている。

寒い。

それでも季節の移り変わりは着実に進む。

真っ暗闇と無音に囲まれて起床していた日は遠く、
朝の薄明かりの中に小鳥の声が聞こえるようになっている。
もうすぐ、卵とウサギをシンボルとした、イースーターが来る。

3月は色々だった。
夫の就職も私の進学も、日々の努力の割に、まだ決まっていない。

しかし、その中でも、夏に日本(東京)に帰国するかもしれない、という観測が出てきて、にわかに気持ちがざわつくのだ。

東京に帰ったら私が思い出すのは何だろう

新生活をまたイチから整える慌ただしさの中で、
懐かしむでもなく、ふとニューヨークを思うとしたら何を思い返すだろう。
(ところでしかし、子どもを宥めすかしながら、
また生活ルーティンを定着させる労力は、考えるだけで嫌だったらない!)

2022年、歴史的ドル高円安。
人生で最大級に家計の心配をした。
1ドル110円時代に1000万円級の学費や生活費は、150円時代には大出血だ。
ゆえに、節約も兼ねて、パンを週2回、3回と自宅で焼いたこと。
フードパントリーから毎週食材をもらい(寄付された食材を無料で貰う)、
低所得者向けの公的な福祉サービスを利用してスーパーで買い物をした。

3人の子どもの学校生活。
特に2歳の子どもの保育園で時々起きる、
些細だがストレスフルなコミュニケーション。
いずれの子どもにも、それなりに心配事があり、
親として立ち回る必要はあったが、2歳の子のところが最大だった。
日本の保育園制度は完璧に程遠いとはいえ、現場は素晴らしい。

呪いのごとき車のトラブル。
「車がなくては生活できない」この田舎で、繰り返し起きる車の不具合。
それに伴う心配。そして出費。
いつまでも慣れずに、いつもハラハラしながら運転した、
ドライバーとしての車窓風景。
そして駐車で事故ったことも!

オアシスのような、日本人家族のつながり。
アジア系の中で少数派の日本人の中でも、家族連れは更に少ない。
それぞれの家族の持つ固有の眩しさを、私は大事に思い出とするだろう。

でも、ニューヨークにいる、今のこの日々に
最も強烈な印象を与えているものは、これらひとつひとつの事象ではない。

私をこの土地で常に取り巻く、とある感傷こそ、
最も強く日々を彩るものである。
しかし、東京に帰れば最も早く風化しそうなものでもある。

それは、身の置き場の無さ。
社会の中での自分の存在の軽さの自覚。

東京を離れてつながりの薄い場所で、
日本とニューヨーク州のいずれの社会制度の上でも半端者としてやっていく。

雪国で高層ビルの無い、田舎の大学街に流れるのは、
緩やかだけど厳かな上昇志向。

我もと「上」を目指して、もがいたり奮闘しようとしても
浮き足だってしまう、足場の不確かさばかりが身に染みた。

学生帯同ビザでは働けもせず、
1年だけしか居ないかもしれず、
ここでの私は、家族の中における母としての役割はより大きくなり、
反比例するように社会の中での役割は小さくなった。

子どもらよ、君らの守護神たる母は、億分の1の人間でしか無いのだ。

カジュアルに軽く、楽しいこの感じの反面にある、
吹けば飛ぶような存在としての自己認識。
それを結構、好きにも、嫌いにも思う。

あえて言えば、今の自分の心情や思考をあまり信じない。
淡い幻のように消えてしまいそうだからだ。
新しい土地に移ってもなお残るものを大事にしようと思う。

それまではしばし、来たる春を楽しみたい。
春とは、
陽光に煌めく湖面、リスや鳥、芝生を駆け回る子ども達なのだから。