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2乳幼児ワーママ南アに来た【第4週/10】キリンとアパルトヘイトとちっぽけな私

最後の週末でバタバタっと最後ビザや航空チケットが整い、あっという間にNow I am in South Africa!!

アヴェンジャーズ!

世界中から集まった16人が南アの経済首都・プレトリアに集合。週末はチームビルディングのため、アパルトヘイト博物館とサファリへ。

プレトリアのシェラトン・ホテルに次々到着する誰しも、これまではウェブ会議の画面越しでしか会えてなかったので、遂に対面できて嬉しい。

E姉さん(フィンランド)とMオジさん(ブラジル)、S姉貴(インド系米)など、パーティを明るい話題で引っ張ってくれる人がいてとても助かる。面倒見の良いNちゃん(ベトナム系米)も素敵!

野生のキリンの綺麗さに心打たれる

ピラネスバーグ国立公園にて、In to the wildなサファリツアーに出掛ける。
シマウマとキリンに沢山会えて、大興奮。息子にもいつか野生の彼らを見せたいと思う。

キリンは、草原を走っているとなんて綺麗なんだろうとびっくりした。
ゆったり歩いているか佇んでいるかしかしていない動物園では、特異な背の高さばかり印象に残るが、
走っているときの、あの独特の四肢のバランスをリズミカルに駆る躍動感が忘れられない。
サファリの中では特異な身体つきがなんと自然なことか。言葉にする前にもう、美しさに感動させられた。

他に水牛。カバ。サイ。ライオンにも会う。

アパルトヘイト博物館で失われた命の多さ圧倒される

アパルトヘイトは、ホロコーストのように殺人(民族浄化)を直接の目的にこそしていないものの、期間の長さ(1948-1994年)が重い。
一気に迫害した、のではなく「何十年も掛けて人為的に社会全体のメカニズムとして、あらゆる社会制度に差別を組み込んでいった」という種類の迫害も、同様に恐ろしいものだと知った。

アパルトヘイトが終わりに向かうキッカケは、国内の抵抗運動だけでなく、国際社会の南ア不買運動の力も大きかったらしい。ジャーナリズムと外圧は大事だ。

1万km彼方の家族を想う

最後に家を出発する時は、呆気ない門出だった。ドラマチックさもなく。
子ども達は実はまだよく事態が本当には分かっていないから、という事もある。

これまでの経験上、夫と私と、二人親で本当に救われる、と私がいつも思う瞬間は【娘ギャン泣き+息子ギャン泣き+親イライラ】の三重奏の時。大人がもう1人いるだけで阿鼻叫喚の場が収まる。
こういう時って、子は、家の外10mでも聞こえるくらい泣いているもの。
一歳になる前の娘も、どこにそんなエネルギーが?と思う声量で泣く。泣き続ける。

今頃に夫がそんな事に1人で対応しているのだろうか。出発の朝「バイバイ」を言った息子はちゃんと夜寝れたんだろうか。娘はご機嫌だったろうか。

独りになって知る「ワタシ」の儚さ

それにしても、実に4年ぶりに、初めて私は24時間以上1人である。それが当たり前だった頃の感覚が思い出せない程に、もうずっと夫か子どもかと一緒に居る。

結婚する前の、自分に対する、あの、心許なさ。居たたまれなさ。

そうした感覚から遠く離れて、私は毎日何者かとして立ち回っている。ツマとか。オヤとか。トモとか。

世間と私を繋ぎ止めてくれているものは、かくも少ない関係性であったかも知れない。
幼な子にとって圧倒的なハハという立場を得た後、その事をしばらく忘れていたようだ。

久しぶりに見知らぬ所への一人旅となって、我が身の存在の脆さに戸惑う。

「世界は、お前なんてどうでもいい」ってね。吹けば飛ぶような価値しかない!

あぁ、そうでした。そうでした!

その事実からまた一歩。
前へ。

サファリで見た湖越しの夕日
ライオンやっぱりカッコいい

※この記事は2019年6月の日記の転載です。