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マイノリティでも何でもなかった少年愛の世界💦開国前の日本では普通に行われてきた男色 天照大神 空海

ジャニさんの事件から明らかにされつつある歪んだ性の実態ですが、

調べてみると、実は男色は太古の昔から行われてきたことだと分かりました。

少年愛は、古代アテナイでは暗黙に認められた市民の義務であった。戦士社会として厳格な文化や制度を持っていたスパルタにおいては、男性市民にとって法文化された義務であった。

古典ギリシアの少年愛においては、愛する年長の男性を「エラステース」(εραστης, erastēs)と呼び、愛され、アレテーを授けられる対象となる青少年を「エローメノス」(ερωμενος, erōmenos)、あるいは「パイディカ」(παιδικά, paidika)と呼んだ。

Wikipediaより抜粋

他にも、

ソクラテスは、数多くの青少年をくどき落とす達人であったので、「しびれエイ」との綽名を持っていた。


古代ローマの皇帝ネロは、16歳前後であったと考えられる絶世の美少年スポルスを見出し、これを去勢して女装させ、みずからの第三の妃に据えた。


五皇帝のハドリアヌスは、青年アンティノウスを愛したが、アンティノウスは理由不明なままみずから命を絶った。


イギリス、女王エリザベス1世の崩御によりイングランド王になったジェイムズ1世は、同性愛の嗜好があり、美青年であったジョージ・ヴィリアーズを寵臣として公爵位を彼に授けた。


などなど、権力を持つ存在などから好まれていた若い男子。



私たちの国、日本はと言いますと、

仏教や神道に男色を禁じる戒律がないことから、こちらも男色は当たり前のように流行していたというのです。


しかも、元々男性神とされている

天照大御神がそもそも男色であった

と井原西鶴が浮世絵草紙『男色大鏡』に記しているそうです。

まあ、神様の世界は近親婚などなんでもありですからね💦


中世において、男色は、女を排除していた武士や寺院では一般的なものであったことが知られており、『日本書記』『万葉集』『伊勢物語』また『源氏物語』など誰もが知る数々の有名書物に男色についての記載があり、男色が当たり前のように流行していたのです。

女色を禁じられた仏教僧侶と寺院に仕える僧侶見習いとも言える「稚児」とのあいだの少年愛関係が古くから存在した。

なんだか最近の聖職者の性虐待のニュースを思い起こさせます。

空海なんかは、稚児愛の祖なんだとか、、、

まるでダライラマ💦

因みにまた#ダライラマで検索をかけても私の下の記事が出てきません💦



そして、やはり能や歌舞伎の世界も当たり前のように男色。芸能人ってここから派生しているのでしょうから当然そうなる結末だったのですね、きっと。

Wikipediaより



挙げたらキリがないほど出てくる偉人たちの男色。

明治時代になっても、薩摩や会津などの士族出身の若者を中心に、男色の影響は残った。

こうやって、もうずっとずっと続いてきていました💦

ちなみに、

陰間茶屋のメッカは京都

江戸では陰間が一般で、更に、歌舞伎や芸能と関係なく、幕府公認の江戸の遊女街である吉原と並んで、芳町には男色専門の美少年を揃えた「陰間茶屋」が興隆した。京都では宮川町ないし宮川筋が「若衆茶屋」(陰間茶屋)のメッカとして広く知られた。

Wikipedia

たぞうです。記事元にした「少年愛」「男色」のWikipediaがどちらも貼り付けできません💦

拡散されないよう細工されています。

ですので詳しくは検索してみてくださいね。
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