挫折ではなく夢破れたかった

最近わかったことがある。自分の夢は叶わなかったなあと漠然と、何度も何度も思ってしまうことについて。

私の夢はバレリーナだった。4歳の頃から始めて、小学校4年生の頃有名なダンサーが所属する、とても活気のあるスタジオに移った。そこで素晴らしい先生、仲間に出会い私の人生は一変した。上手くなりたい、努力すればするほど成果が出る、コンクールにも挑戦したい、とどんどん欲が出てきた。気が付いたら田舎町の小さな支部から本部へと呼ばれ、全国至る所で行われるコンクールに出ては、上位入賞するようにまでなっていた。スタジオの公演でも大きな役をもらい、親にも期待され、それに応える自分に誇りを持っていた。とにかく練習した。365日、スタジオが休みでも特別に鍵を借り一人で自習した。自分の本質として、とても弱いことを知っていたから、練習量を増やしていくことでしか本番での恐怖を拭えなかったのだと思う。誰よりも練習しているから大丈夫、と言い聞かせないと恐ろしくて舞台に上がれなかった。そんな弱い心を抱えながらも、周りからも期待されるようになり、貴方はいつか大舞台で花束をもらうようになる人だ、と恩師から言われたこともあった。自分もそれを信じていた。

変わり始めたのは中学校3年生の頃。腰が痛むようになった。整体に行ったり鍼治療をしたりしつつ踊っていたが、原因がはっきりした高2の時にはもう手遅れの状態になっていた。私の腰は手術をしてももう元通りにならないと言われた。練習をしすぎると頭まで貫かれるような痛みが走る時があり、今までのように練習できなくなった。リスクは大きいが手術を受けて、少し可動域を狭くして続けていくか、痛みを胡麻化しながら続けるかの二択だった。どちらにしても私はもう今までのような分量で練習をして舞台に上がれないということだった。

悩みながらもなんとか続けていたが、高3の夏、父が突然亡くなった。私の中でその時になにか折れてしまったように思う。日本でバレエを続けるにはお金がかかる。海外留学はできそうにない、母は今までのようには私をサポートできない、私の腰は爆弾で、もう元通りにはならない。そんな色んな外的要因を羅列して夢をあきらめようとしていた。バレエが大好き、踊ることが幸せ、という想いが薄れていた。

その年の国内コンクールで、私はバレエ人生で初めて予選落ちを経験した。中途半端な想い、中途半端な練習、管理の行き届いていない体、自分はもうだめだと思った。バレリーナになると決めていたため進学は考えていなかったが、慌てて塾に通いなんとか入れる大学に入った。そこで、バレエ以上に夢中になれるものを見つけるのだと思っていた。元来いろんな事に興味があり、好きなことも多かった。音楽も絵を描くことも物を作るのも好きだった。色んなことをやってみたけれど、35歳になった今も私にはバレエ以上のものが見つかっていない。結婚をして、子供がいてとても幸せだ。なのに私は今もまだ、どこかで何者かになりたいと思っている。なりたい、というよりならなければいけないのだという気持ちがまとわりついている。バレエを失ってからずっと、自分が何も持っていない人間だと感じるようになった。そして月に何度も、舞台で失敗する悪夢を見る。

私がずっと一緒に舞台に立ち、コンクールを回り、切磋琢磨してきた友人達の多くがプロになり、活躍している。しかし私は彼女たちの踊りを見ることが出来ず、避けて通ってきた。ずっとこんな風に引きずっているのはなぜなのか、考えていた。最近ふと、その答えがでたのだ。

きっかけは、プロになった友人の舞台がネット公開され、十数年ぶりに彼女の踊りをしっかりと見届けたことだった。感激し、彼女のインタビューなども読み漁った。彼女の苦悩、努力、舞台への情熱、まざまざと感じて涙が溢れた。どこかで私は、自分のことをプロになれる素質があったのに夢破れた可哀そうな人だと思い込んでいたのかもしれない。けれど違った。18歳の私はとても中途半端に夢を終わらせたただの根性なしだった。夢破れるという言葉があるけれど、それを使えるのは限界までやって散っていった一握りの人達だけだ。もしくは成果を得られなくてもそれでも、それでもと続けて続けて続け抜いた人たちのことだ。バレリーナになれないかもしれないという可能性に恐れおののいて、努力することを諦めた人間には使う資格のない言葉だった。

私は夢破れたなんて言えない。挫折したんだ。思うように練習できず恐ろしくなって舞台で踊ることから逃げただけではなく、バレエを想い続けることに挫折した。バレリーナになることが叶わなかったとしても、夢破れたんだと言える人になりたかった。けれど私の夢はもう破れない。破れる前に手放してしまった。これからも私は引きずり続けるだろうと思う。友人の舞台を観ては、素敵だなあ羨ましいなあ、もし私があそこに立っていたらと想いを馳せるに違いない。けれどもう、前のように驕って考えたりしない。もしかしたら私もああなれなかもしれないのに、なんて考えたりはしない。

けれど私は往生際が悪いので、今もまだ次の夢を探している。次もし追及したいものに出会えたら、しがみつこうと思っている。ぶんぶん振り落とされそうになってもしがみついて、自分からは手を放さずにいたい。結果がどうであれ。夢を叶えるか、しっかり破れるかのどちらかにしたい。くそー!めっちゃ頑張ったけど全然だめだったー!と言って死にたい。もしかしたらそれが私の夢なのかもしれない。

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