息子が野球を職業にするまでの話③

息子、野球を職業にして2年目を迎えます。
親にとっては、良くも悪くもまさかすぎる息子の人生。
いわゆる王道ではなく、注目されたこともない極々普通の道を歩んできた息子が野球を職業に選んだお話です。

続き

上級生が引退。いよいよ少年野球ラストイヤー。
冬練でアピールしてレギュラー取りへ頑張ってました。
勝手に早出して自主練したあと、チーム練習。
体力作りの持久走。持久力はあるほうなんで、これでしか1番取れないぞーとはっぱをかけながら走り込み。
ノックは内野、サードとかやってましたが、スローイングが安定せず外野ノック班に転向。
遠投で80mくらい投れたので外野、ライトに入ってました。ただ、外野はやってこなかったので、捕球がままならず。
そして背番号渡の日。まあ、何番かなぁと思ってましたが、なんとか9番貰えました。

練習試合解禁後、スタメンで出てましたが、途中で、
「はい、お前は出番おわり」
と言われて途中交代要員でした。なもんで、毎晩素振りと早出自主練は欠かさずやってました。

そうこうしてる間に新人戦開幕。8番ライトでスタメンでしたが、準々決勝までは途中交代。
チームは勝ち進み準決勝。初めてフル出場。
そして決勝。見事に優勝。でも目立つ活躍もないまま。

リーグ戦開幕。打撃も上向いてきてフル出場が増えてき、打順も6番を打つようになりました。

リーグの合間の大会は、なかなか結果が出ず、よもやの初戦敗退も経験。前半は試練の時期でした。

夏のとある大会。守備でセンターとの呼吸が合わずに2回頭上を抜かれ、カミナリが落ち久々の途中交代。次の試合から控えに…

控えから代打の試合が2試合あり、代打でホームランを打ちスタメンに復帰。その後はバカ当たりして守備もライトゴロを捌くなと上達。夏の大会では見事に優勝。全国選抜では準優勝。夏男の由縁はこのあたりからでした。

祖母が見にきた大会は全打席出塁、10打数10安打4ホームラン。監督いわく、代打を出そうとしたとこでコールドとなるホームランを打ち、余計なホームラン打ちやがってと怒ってましたが…苦笑

まあ、安定感がでたとこで、途中からサードに入ったりしてうまく捌けるようになりました。

秋から冬にかけてはチームは下降線。結果が出ない中、5番を打つようになりました。

ただ、息子がやりたかったのはピッチャー。

相変わらず早練してましたが、こっそりピッチングしてるのを知ったのか、連盟の選抜チームとの練習試合でなんと先発。ストライクが入らず1回が終わるとクビを宣告されて交代…息子は悔しくてちょっと泣いてたかな。

そんなこんなで卒部を迎えました。まあ、相変わらず平々凡々な状況でした。

来年に向け、1つ上のキャプテンが所属するクラブチームの体験に来いと言われて行きましたが、まあ、みんな上手い。息子も迷ってましたが、みんなと一緒に部活したらと言って部活を選択。その後も息子を可愛がってくれたキャプテンから、部活に入ってもクラブチームへ熱烈のお誘いを受けましたが、とりあえず部活でスタートを切ることに。

…続く

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