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シマハイエナ好きが紹介する日本のシマハイエナ史&唯一愛称がわかるシマハイエナ「ヨーコ」の徹底紹介

ハイエナと言えばブチハイエナが有名だが、ハイエナ科には全部で4種がいる。その中で、最も研究が進んでいないのがシマハイエナだ。―

ナショナルジオグラフィックより

近い将来、日本で見られなくなる可能性が高い「シマハイエナ」

まだ会える今だからこそ、その魅力を存分に伝えたい!

今回は、最も謎が多いハイエナとされている「シマハイエナ」の魅力と、かつて日本で生きたシマハイエナたちの歴史について紹介していきます。




①羽村市動物公園(ヒノトントンZOO)のシマハイエナ「ヨーコ」

2023年10月29日撮影

現在、日本では2つの動物園でシマハイエナを飼育しています。そのうち個体の愛称の分かるシマハイエナはたった1頭。

それは「羽村市動物公園(ヒノトントンZOO)」(東京都羽村市羽 4122)の「ヨーコ」ちゃんです。

ヨーコは2007年、オランダ生まれの女の子。後述の「ダンキチ」のお嫁さんとして、2009年12月にはるばるヒノトントンZOOへと来園しました。

2023年11月現在、ヨーコは16歳。ですが年齢を全く感じさせない美しさと豊かな表情が魅力的です。

優しい目をしたヨーコ
毛並みが良いヨーコ

「シマハイエナ」の名の通り、脚と背中のしま模様が美しいですね。

ヨーコの展示場の近くにはシマウマの展示場があるので、しま具合(?)を見比べてみると面白いですよ。どちらのしま模様も、草原の中でカモフラージュの役割を果たしています。

2021年1月28日から2月3日までCATV多摩ケーブルネットワークで放送された「あっぷではむらZOO!!」のコーナーでは、ヨーコも紹介されました。

▼当時の映像

ヨーコは大人しい子で普段寝ていることが多いですが、飼育員さんが近くに来たり、飼育員さんが遠くにいる音が聞こえたらすぐに反応します。お腹が空くとたまに「アウーン」と鳴くこともありますよ。

ヨーコの寝顔はちょっと笑顔です。

かつてはヨーコに毎週お肉をあげるイベントが開催されていましたが、現在は、ヨーコの年齢等を考慮して毎週開催のイベントはありません。

そんな中でも、飼育員さんたちはヨーコにさまざまなものをプレゼントして、生活の刺激になるように工夫しています(「採食エンリッチメント」といいます)。

例えば…


▼屠体給餌イベント(毎年数回不定期で開催)

2023年10月29日撮影

「屠体給餌」とは、害獣として駆除された動物を殺菌処理して、動物園の動物に与えることです。加工肉とは異なり骨や皮がついているため、動物本来の採食行動を引き出すことができる取組として全国の動物園に拡大しています。

ヒノトントンZOOでもこれまで、屠体給餌は何度か行われてきました。ヨーコに屠体をプレゼントするのは今回が2回目。

このイベントはヨーコの生き生きした姿が見られるとても良い機会です。
普段は穏やかなヨーコが、興奮した様子で鹿肉にかぶりついていました。

ヨーコの興奮度合は、背中のたてがみの「立ち具合」で分かります。ブワァ!と一瞬で立ち上がるたてがみは、迫力があり、シマハイエナはハイエナの中で小型の種だということを忘れさせます。


▼ほかにも、暑い夏には氷をあげたり…
(このツイートによって、シマハイエナの認知が少し広まりました)

氷に興味津々のヨーコ、とても可愛いです。たてがみの立ち上がりに加えて、尻尾も上がっていることからテンションMAXであることがわかります。

最終的に水たまりに落としてもっと涼しくなったヨーコです。頭いい!


▼そして、「雑食」という食性に合わせてキャベツをあげたり…


▼竹をおもちゃとしてあげたり…

私が来園するときも、ヨーコはよく竹をかじっています。

こんな感じで…

竹を食べているわけではないようです。歯に挟まった肉を取り除いたり、単に遊びの道具として利用したりしているのだと思います。

ヒノトントンZOOに訪れるたびに、ヨーコの新しい一面を見ることができてとても楽しいですよ♪


知られざるヨーコの生い立ち

実は、2007年生まれのヨーコについて、詳しい生い立ちなどがわかる資料はありませんでした。ヨーコが幼いころは、シマハイエナの血統の管理が杜撰だったためではないでしょうか。

そこで、少し時間をかけて調査してみようと思います(まだしてないんかい)

・2007年のいつ生まれたのか
・オランダのどこの動物園で生まれたのか
・オランダでの愛称はあったのか
・2009年12月、なぜ日本に来ることになったのか
・昔のエピソード

可能な限り調べて、追記する予定です。


2012年6月16日のヨーコ

ヒノトントンZOO公式ブログに上がっていた、2012年6月16日のヨーコの写真。11年以上経つのに、現在もヨーコの見た目はあまり変わっていないように見えます。

このころのヒノトントンZOOは「ハイエナスポットガイド」というイベントを毎週開催していました。土日祝日の11時45分から、ハイエナ舎前で飼育員さんの説明を聞いたりヨーコが骨を食べているところを観察できたイベントです。

果物や野菜もたくさんあげていたみたいです。
来園者も、1回100円でお肉をあげることができました。


羽村市動物公園で飼育していたシマハイエナ

ヒノトントンZOOには、ヨーコの他にも何頭かシマハイエナを飼育していました。そのうち、愛称や当時のようすがわかる個体を2頭紹介します。


●ダンキチ

羽村市動物公園公式ブログより

「ダンキチ」は、ヨーコよりも前の2005年(来園時推定1~2歳)からヒノトントンZOOで生活していたオスのシマハイエナ。お誕生日は4月20日だったそう。

臆病な性格のビビりさんで、展示場の奥にいることが多かったようです。天気の良い日は、来園者の近くで舟をこぎながら眠る可愛い一面もありました。お肉タイムのときはいつでも大喜びだったそうですよ(ダンキチがいたころはシマハイエナにエサやりができるイベントもありました)。

羽村市動物公園公式ブログより、ダンキチとヨーコ

ヨーコが3歳でヒノトントンZOOへやってきたとき、ダンキチは推定7~8歳。年上の旦那さんとして、ヨーコを歓迎してくれました。

2頭はすぐに本格的な同居を始め、朝別々の寝室から展示場に出ると何度もじゃれ合う姿が見られました。2015年頃までの約5年間、2頭が同居していたという情報がSNSで確認できました。

羽村市動物公園公式ブログより、ダンキチとヨーコ

現在はヨーコ1頭だけで暮らしているので、ダンキチと過ごしていたころのさまざまな姿を見ると、胸にこみあげるものがあります。

こちらの動画は、2011年4月14日のダンキチとヨーコです。ダンキチが寝たらヨーコが起きて、ヨーコが寝たらダンキチが起きて…結局どちらも起きました。
ブチハイエナはメスが強いことが知られていますが、シマハイエナもそうなのでしょうか。体はヨーコの方が少し大きかったようです。


実はヒノトントンZOOは、1983年に日本で初めてシマハイエナの繁殖に成功した動物園。繁殖賞の受賞歴もあります。

当時のシマハイエナの飼育員さんは「ハイエナは悪いイメージが先行しがちだが、一般的に知られるブチハイエナと違い、シマハイエナは毛並みもきれいで可愛い。ぜひ子供も産んでほしい」と、ダンキチとヨーコの繁殖にも期待を寄せていました。

2頭は長い間仲睦まじく暮らしましたが、残念ながら子どもを授かることはありませんでした。ダンキチは2019年5月16日に亡くなりました。

顔はキリっとかっこよく、垂れ耳が可愛かったダンキチ。長い間ヒノトントンZOOの人気者でした。

晩年は足腰が悪かったのですが、今頃は天国で走り回りながら、ヨーコを見守ってくれているかもしれません。ヨーコは今も、ダンキチのことを覚えているでしょうか。

実はダンキチ、ヨーコの来園以前、別の「お嫁さん」と生活していました(不穏)。それについては後述。


●シマコ

「シマコ」は、ダンキチよりもさらに前からヒノトントンZOOで暮らしていたと思われる「メスだと思われていた」シマハイエナです(不穏)。

小顔で目がぱっちりとした、美・シマハイエナでした。


▼2009年11月のシマコと思われる写真が載っているブログ

このブログに載っているシマハイエナは、おそらくシマコではないかと思われます。少し幼くて女の子らしい顔つきをしているように見えます。
この1か月後、ヨーコと入れ替わりで別の施設へ移動します。


シマコはヨーコの来園前、繁殖を目指してダンキチと同居していました。

しかし…2頭はけんかばかり。2007年になると、シマコにオスの特徴が現れ始めました。そこでヒノトントンZOOは、納入業者に別のメスとの交換を依頼したそうです。シマハイエナは繁殖適齢期になるまで外見上での性別の判別が難しく、当時は血液などでの確認もできなかったといいます。

こうしてシマコはのちにオスであったことが判明。

でも…シマコがオスだったことを知らなかったのは私たち人間だけで、シマコ本人もダンキチも、シマハイエナとしての本能からシマコがオスであることはわかっていた、という可能性もありますね。

彼らは「なんでオレたちオス同士なのに同居させられてるんだろう…」と思っていたかもしれません。

「はむらZOOトピックス」2007年7月号より、ダンキチ(手前)とシマコ(奥)


「シマハイエナの同居開始!!!」
皆さん、シマハイエナ舎が少し変わったのにお気づきになりましたか?そうなんです!! ハイエナの同居を開始したのです。今回で3回目となる同居でついに成功しました。最初は、シマコがダンキチに恐がって興奮してしまい、うまくダンキチと接触が出来ずに終わってしまいました。
今回は、同居に立ち会う人員を減らし、獣舎から離れて同居を行いました。すると、最初は興奮していたシマコも徐々に落ち着き、ダンキチとも接触はありましたが、けんかもなかったため、その日から毎日同居を行っています。 現在は、ダンキチ、シマコともに落ち着いていて、少しけんか?をすることもありますが、 特に問題はありませんのでこのまま同居を続けていきます。 今後はシマハイエナの赤ちゃんが見られるかもしれませんので期待してくださいね!!

「はむらZOOトピックス」2007年7月号より

当時から少し不穏な空気はありましたが、飼育員さんはダンキチとシマコの繁殖成功を心から望んでいたことがわかります。

シマコはヨーコと入れ替えで他の施設へ移動したのですが、どこに移動したのか、その後どんな生活を送ったのか、資料がどこにもありませんでした。海外の動物園へ旅立ったのでしょうか。


ちなみに、ダンキチやシマコがいたころは、隣の展示場にはシンリンオオカミの「オーク」(オス)と「ブランカ」(メス)がいました。ブランカが2009年に、オークが2013年に亡くなるまで、ヒノトントンZOOのシマハイエナたちはオオカミの様子を観察しながら生活していたのです。

現在オオカミたちがいた展示場は、ヨーコが一頭で使っています。


②シマハイエナという動物

ほかのハイエナとの違いは?

動物紹介とヨーコ

さて、シマハイエナという動物について、少し紹介します。

Wikipediaより

シマハイエナは「食肉目ハイエナ科」に属し、その中でさらに「シマハイエナ科」という分類に位置します。

同じハイエナ科には、シマハイエナ含め4種が現存しています(アードウルフ、ブチハイエナ、シマハイエナ、カッショクハイエナ)。

それら4種の違いを表にまとめてみました。

▼画像だと見づらいため、Excelでご覧ください

▼PDFはこちら


シマハイエナの魅力は?

他のハイエナ科の種と比較してみると、シマハイエナはハイエナ科の中で最大でもなく、最小でもなく、中間的な位置に属しているのですが…唯一無二の特徴がいくつか。それは…

  • ハイエナ科の中で唯一、ユーラシア大陸にも生息していること

  • 地域ごとに個体の特徴に大きく差があること

  • 「国獣」という肩書があること(レバノン)

です。

悲しいことにハイエナは、昔から悪いイメージを「押し付けられた」動物です。腐肉を漁るというイメージから、貪欲の象徴とされてきました。
そんな中でもシマハイエナは国獣に指定されていたり、地域ごとにさまざまな姿を見せてくれたりと、ハイエナの悪いイメージを払拭する特徴を持っています。

なお、記事冒頭で紹介したナショナルジオグラフィックの文章ですが、ここにはシマハイエナの外見についても詳しい記載があります。

シマハイエナの見た目はイヌに似ている。
鼻口部は黒く長く、耳は大きくて先がとがっており、優れた聴覚をもっている。体毛は黄金色か茶色がかった灰色をしており、全身の黒い縞模様は背の高い草むらの中でカムフラージュの役割を果たす。
また首から尾にかけては、まるでモヒカンカットを施したようなふさふさとしたたてがみがある。危険を感じた時はこのたてがみを逆立てて体を大きく見せ、相手を威嚇する。
ブチハイエナと同様に前脚は後ろ脚より長く、ゆっくりと歩く。これは餌を求めて長距離を移動する際、エネルギーの節約になる。

ナショナルジオグラフィックより

シマハイエナの外見はほかのどの動物とも異なっていて、とても魅力的です。

ヒノトントンZOOのシマハイエナ「ヨーコ」

下の動画は私が撮影しました。ヨーコのふさふさのたてがみが、ブワッと立ったり、戻ったりします。


ほかのハイエナ科3種については、ナショナルジオグラフィックが面白いYouTube動画をアップしています。


③シマハイエナを飼育している動物園(2023年11月時点)

シマハイエナを飼育しているのは、2023年11月時点で2園。

◆羽村市動物公園(ヒノトントンZOO)

前述したように、ヒノトントンZOOは日本で初めてシマハイエナの自然繁殖に成功した動物園です。

それは昭和53年の開園から4年後のことでした(ちなみに最初の展示はキツネだったそう)。


◆富士サファリパーク(静岡県)

富士サファリパークは現在、シマハイエナを複数頭飼育している唯一の動物園です。

ヒノトントンZOOのシマハイエナ舎はコンクリート造りですが、富士サファリパークのシマハイエナ舎は自然の環境に近い、土や植物がある造りとなっています。

2014年の情報では5頭を飼育していたそうですが、今も変わりないのでしょうか。5頭の名前を知りたいですが、富士サファリパークは動物の個体名を公表していないため、知るすべはありません。

富士サファリでは、2008年からシマハイエナの飼育を始めました。

そして2014年の夏、シマハイエナのペアの繁殖行動を確認し、10月中旬頃から出産に備えていたところ、10月25日にオスの赤ちゃん1頭が誕生。

日本国内で生まれたシマハイエナの赤ちゃんの資料は、富士サファリパークのものしか確認できないくらい貴重です。

シマハイエナに限らず、ハイエナの出産は困難を極めます。出生率は極めて低く、第一子の60%は死産、もしくはまもなく死亡し、母親も20%の確率で命を落とすと言われています。

富士サファリパークはシマハイエナの赤ちゃんの成長記録をたくさん残してくれています。ブログは削除されてしまっていますが、当時のニュース記事には詳細が残っています。

現在はたまに、公式Xでシマハイエナたちのようすを見ることができます。


④かつてシマハイエナを飼育していた動物園~日本のシマハイエナ史~


驚くことに、昔はたくさんの動物園で、シマハイエナが飼育されていました。当時はブチハイエナの方が貴重だったほど。

ですが、2009年の時点では、すでにシマハイエナを飼育している園は3園に減ってしまっていました。現在も飼育している上記2園と、「名古屋市東山動植物園」です。

これからシマハイエナの飼育記録が残っている動物園と、当時の情報を紹介します。たくさんの園が登場しますが、ほとんどの園は2009年より前にはシマハイエナの飼育を終了しています。

※シマハイエナを飼育していたという資料が残っている園のみ記載しています。追加がある場合は写真や資料のURLを添えてコメントをお願いします(写真は記事に掲載してよいもののみ)。


◆上野動物園(東京都台東区)

上野動物園は、シマハイエナの繁殖実績(人工)で1965年に「繁殖賞」を受賞した動物園です。

『世界の動物 分類と飼育(2)食肉目』という書籍によると、上野動物園は明治35年(1902年)から、種が不明のハイエナ1頭(オス)の飼育を開始したといいます。1902年から翌03年にかけて自転車による世界一周無銭旅行を成し遂げた中村春吉氏という人物がおり、なんと旅の途中で生け捕りにしたハイエナを大使館経由で上野動物園に寄贈した記録があるのです。

ほかにも昭和9年3月、ジョホール(現在のマレーシアの一部)からマレーグマとシマハイエナが1頭ずつ、上野動物園へ贈られたという記録も残っています。

上野動物園のシマハイエナは、戦争によって処分された動物たちのうちの一種です。下記の資料に詳細が載っています。

また、2007年の「東京ズーネット」ズーマガジンには、フランスのセルザ動物園が国内初のシマハイエナ繁殖に成功した、というニュースが掲載されています。

上野動物園のシマハイエナに関する資料には、以下のようなものがあります。

・『どうぶつと動物園 Vol.17 No.3』( (財)東京動物園協会 1965年)
・『どうぶつと動物園 Vol.34 No.9』( (財)東京動物園協会 1982年)
→シマハイエナの人工哺育について
・『世界の動物 分類と飼育2 食肉目』(今泉吉典 監修, (財)東京動物園協会 1991年)
→ハイエナ科の分類について
『うんちくいっぱい 動物のうんち図鑑 (小学館クリエイティブ)』
→「シマハイエナの黄金うんち」というページに上野動物園のシマハイエナが紹介されている


資料を読んだら、情報を追記していきます。


◆多摩動物公園(東京都日野市)

多摩動物公園も、シマハイエナの繁殖賞の実績がある動物園。1964年8月9日に人工繁殖が成功したようです。

それ以上の情報は分かりませんでした。




◆東北サファリパーク(福島県)

こちらのブログには、岐阜県瑞穂市の「PLANT-6 瑞穂店」の駐車場で開催されていた「東北サファリパーク出張動物園」というイベントで会うことができた、シマハイエナの様子が写真付きで残されています。

少しシマコに似た顔つきの個体です。

こちらのサイトには、東北サファリで会える動物の中に「シマハイエナ」という記述があります。


◆秋田市大森山動物園(秋田県)

情報誌『コミュニケーション』No.86 2013年9月1日号 P20より

秋田市大森山動物園は、1990年11月6日からシマハイエナの飼育を開始しました(日付まで残っているのがすごいですね)。

情報誌『コミュニケーション』No.86(2013年9月1日)には、飼育個体の写真も掲載されています。


◆仙台市動物園(宮城県 ※現在の仙台市八木山動物公園)

仙台市動物園は、1936年(昭和11年)4月に開園した、東北地方初の動物園です。1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で園は焼失してしまい、そのまま再建されませんでした。
それから10年以上経った後、小さな子ども動物園として再開した動物園が、のちの仙台市八木山動物公園になっていきます。

そんな仙台市動物園でも、シマハイエナの飼育記録があります。上の資料には次のような文章が残されています。

昭和11年の仙台市動物園設備完成までに、87種200点余りの動物を各方面から購入した。例えばフタコブラクダ、ロバ、シマハイエナ、ヤマアラシ、ヌクテ、ヒクイドリ、エミュー、ニシキヘビ、オガサワラオオコウモリなど。

資料仙台人名大辞書 より

シマハイエナは、仙台市動物園の開園時からいた動物だったのですね。
上野動物園のシマハイエナのように、戦争によって亡くなってしまった個体もいたかもしれません。




◆日立市かみね動物園(茨城県)

『ZOOかみね』20号(1992年)「動物園ニュース」より

日立市かみね動物園には、1992年にシマハイエナが来園しました。
宇都宮動物園(栃木県)から3頭(オス1頭、メス2頭)が寄贈されたようです。

2007年頃までは飼育されていた可能性があります。




◆東山動植物園(愛知県名古屋市)

東山動植物園公式ブログより オスの個体
東山動植物園公式ブログより メスの個体

かつて飼育していた園の中では最も最近まで飼育記録がある、東山動植物園。

2012年と2013年に少しだけ、ブログに登場したオスとメスの個体です。

1992年10月に来園したという情報も確認できました。愛称は不明でしたが、SNSの情報では「シマオ」「シマコ」という仮称で呼ばれていたとありました。

シマオとシマコは、20年以上も東山動植物園で一緒に暮らしました。

シマオは、2013年6月14日に亡くなりました。
公式ブログには、「来園時の年齢や誕生日が分からないため、正確な年齢は不明ですが、20才以上のおじいちゃんハイエナでした。」とあります。お客さんからも親しまれていたこのハイエナは果物が大好きで、夏はスイカをぺろっと食べたり、ロープで綱引きして遊んだりしました。

10日の日は朝から呼吸が苦しそうで、寝たきりになってから水は私達が補助して飲ませていたのですが、とうとう水も飲まなくなり、覚悟はしていました。不思議な事に、格子扉一枚で隣の部屋にいる20年一緒に過ごしてきたメスが、この日は外に出て行かずに部屋にいて、何度も何度もオスの様子を覗きにきていました。きっとお別れの瞬間が近付いているのを理解していたのでしょう。

半日交代で1頭づつ外にいたため、うちにはハイエナが1頭しかいないと思われてますが、メスがこれからもいます。この子も同じく高齢で弱ってきてるので、静かに見てあげて下さいね。

その半年後、シマコも2013年11月30日に亡くなりました。
シマコは元気な頃は、ロープなどオモチャで遊んだり、日向ぼっこする時は仰向けで寝たり、とても愛嬌があった個体でした。
シマオと同じように、リンゴなどの果物が好きだったそうです。

東山動植物園公式ブログより

シマコはシマオが亡くなったことがわかったのでしょうか。とても優しい個体だったのだと思います。
今頃は天国で一緒に走り回っていてくれたらいいな、と思老います。




◆京都市動物園(京都府京都市)

京都市動物園で飼育されていたシマハイエナは、現在管理事務所があるあたりに存在していた「第一小獣舎」で飼育されていましたが、戦争によって別の動物園へと引っ越しました。
少し長いですが、京都市動物園公式サイトに掲載されているこちらの文章をぜひ読んでみてください。

昭和16(1941)年12月に、日本は太平洋戦争に突入しましたが、戦争が始まっても、京都市動物園は開園していて、昭和17(1942)年までは春季夜間開園も行われていました。「日本は戦争に勝っているから大丈夫。」という感覚が市民の中にあったのかもしれません。

しかし、その翌年から日本各地で閉園する動物園が出始めました。食糧不足も深刻になり、職員たちは動物の餌を確保するために動物園内の空き地で野菜をすでに栽培していましたが、新たに昭和18(1943)年9月からは京都市北区紫野大徳寺町の土地を借り、竹藪を開墾して畑づくりを始めました。

動物たちを餓死させまいと尽力する一方で、他の動物園の状況を見ながら対応を検討していた矢先の昭和19(1944)年3月12日、ついに軍より猛獣類を処分するよう命令が下ります。その時園を訪れた第16師団の参謀長は、皮肉にも以前動物園に動物を寄贈した人でもありました。

せめて1日待ってほしいとの園側の懇願で、翌日から処分の作業が始められました。
3月13日にヒグマの親子。
3月15日にホッキョクグマなど3頭。
以後、ライオン、ツキノワグマ、トラ、ヒョウなど14頭を銃殺・絞殺・薬殺などで処分、最後に残ったメスのヒョウとオスのシマハイエナは香川県の栗林動物園に引き取られることになりました。

京都市動物園公式サイトより

シマハイエナやヒョウ以外の猛獣は、ほぼ全頭「処分」されました。様々な方法で。動物を死なせまいと必死だった職員さんたちはどんなに心を痛めたことか、はかり知れません。

そんな中でなぜヒョウとシマハイエナだけ生き残ったのか、なぜ香川の動物園が引き取ることは可能だったのかは不明ですが、処分できなかった何らかの理由があったのかもしれません。


◆天王寺動物園(大阪府大阪市)

王子動物園広報誌『はばたき』35号より

天王寺動物園には、たくさんのシマハイエナの飼育記録が残っています。
その歴史は長く、なんと開園年である1915年(大正4年)から飼育歴があります。

○お目見え動物 「シマハイエナ」

今回のシマハイエナの導入については、前のプチハイエナが老齢でなくなったこと(飼育年数24年3ヶ月で日本で最も長寿であった)、ブチハイエナは数少なく入手困難であることと、やはりネコ科とイヌ科の比較展示はなくてはならぬものという考えから、今回の若い個体の導入となりました。

シマハイエナの導入は12年振りのことで、75年の当図の歴史の中で5回目のことです。最も古いものでは開園時、(大正4年)の動物リストにその名前を見ています。

さで、今回のシマハイエナは若く、被毛も艶やかで、タテガミも長くて美しい個体ですが、仲々好奇心も強く、早速、寝室のゴムの緩衝材や放飼場の戸当り、アクリルボード等を食ぃ破って、いたずらぶりを発揮しています。このシマハイエナを真近に見ていますと何かひょうきんな顔付きにも見えるのですが、反面やはり不気味なところも持ちあわせており、仲々油断は禁物というところです。

広報紙『なきごえ』1990年【VOL.26】6月号より

このシマハイエナの紹介、とても面白いですよね。ハイエナはジャコウネコに近いとしておきながらも「ネコ科とイヌ科の比較展示はなくてはならぬ」としていたり、導入個体のひょうきんさと不気味さを端的に紹介していたりと、当時シマハイエナがどんな印象だったが分かり、興味深いです。

さらにこのあと、「新しいオオカミ舎とオオカミの仲間たち」というページで、シマハイエナがチュウゴクオオカミ、コヨーテ、セグロジャッカルとともに紹介されていることからも、シマハイエナがイヌ科だと思われていたのでは、と思ってしまいます。

『なきごえ』1965年【VOL.01】6月号より。はっきり「おおかみ」と説明されていますね(笑)


『なきごえ』1990年【VOL.26】9月号では、「ひょうきんで不気味な」この子が表紙を飾りました。


天王寺動物園公式サイトより

そして時は過ぎ、2017年。天王寺動物園で開催された企画展「戦時中の動物展」にて、シマハイエナの剥製が展示されました。

驚くことに、この剥製の修復時に、体内から詰め物と一緒に「新聞」が出てきたそう!剥製をつくった当時の様子がわかったかもしれません。

ただ、こちらのブログを読むと、飼育していたブチハイエナの体内からも新聞が出てきたようです。


『なきごえ』1965年【VOL.01】6月号より

そう、当時の天王寺動物園では、シマハイエナとブチハイエナ、両方飼育していたんです。

広報紙『なきごえ』1970年8月号にはこんな文章が。

シマハイエナがとなりのプチハイエナとけんかをして前足の爪を噛み切られましたので治療しています。

ハイエナのあごの力の強さがよくわかります。またこのブチハイエナは、ヨーロッパオオカミの脚も噛んでしまったことがあります。同じ展示場で展示していたのでしょうか…。


◆王子動物園(兵庫県神戸市)

2016年07月12日に王子動物園で開催された特別展「はく製たちとふりかえろう!~王子の歩みと国際交流~」では、シマハイエナの剥製もあったそうです。

ただ、シマハイエナの飼育当時の写真などはまだ発見できていません。情報が確定し次第、追記します。



◆池田動物園(岡山県)

「ZOO 21st~21世紀の動物園~シマハイエナ Striped Hyaena」より

池田動物園では、2005年9月時点でシマハイエナを飼育していたという情報があります。


◆安佐動物公園(広島県広島市)

『動物園 世界の動物Ⅰ』(山下論一)より

安佐動物公園では、かつてシマハイエナを飼育するとともに、その性別判定についての研究も行っていました。

その研究は『2例のシマハイエナの染色体による性別判定』(尾村嘉昭 動物園水族館雑誌 1972年)という論文に掲載されています。


また、「飼育係の安佐ZOOブログ!『50周年だョ! 動物園 byキリン舎』」(2021年9月17日)によると…

出来たてほやほやのキリン舎と、奥にはゾウの展示場があります。
キリン舎の右側は花壇と、開園当時にはジャッカルやシマハイエナを飼育し、ここ最近はハイラックスとヤマアラシを飼育していた獣舎がちょこっと見えています。現在は新しくマルミミゾウ舎を建設中のエリアですね。

「飼育係の安佐ZOOブログ!」より

安佐動物公園も、開園時からシマハイエナを飼育していたということが分かります。


◆周南市徳山動物園(山口県)

「ZOO 21st~21世紀の動物園~シマハイエナ Striped Hyaena」より

周南市徳山動物園で飼育されていたシマハイエナたちは、愛称がわかっているようです。

こちらのブログによると、飼育されていたのは1995年7月5日生まれの「シマ」君と、1993年5月22日生まれの「エナ」ちゃん。

1998年12月時点では飼育が継続されていたようですが、その後の情報は見つけられませんでした。


◆秋吉台サファリランド(山口県)

秋吉台サファリランドでも、シマハイエナを飼育していた可能性があります。というのも2020年に公式Twitter(X)アカウントが、シマハイエナの飼育歴があるかも…というような投稿をしていたからです。

またこちらのブログによると、秋吉台サファリでは開園当初、アフリカに生息する動物を多く飼育していたようです。
その動物の中にシマハイエナがいたということです。ただ、掲載写真は図鑑のものなので、定かではありません。




◆とべ動物園(愛媛県)

企画展「想い出はいつまでも!記憶に生きる仲間たち」(2020年)園内掲示より

とべ動物園は、四国に初めてシマハイエナがやってきた場所です。開園年の1988年(昭和63年)から約18年間、飼育していた記録があります。

『愛媛県立とべ動物園ガイドブック』(2004年)より

2004年発行のガイドブックにも飼育個体の写真があります。驚くことに、飼育個体全頭の愛称もわかっています。

とべ動物園開園後、四国初上陸という形でシマハイエナが5頭やってきました。5頭の名前はボン・ピアス・ペニ・ミシリ・スネ、であります。やがて子どもが3頭生まれましたが、初産という事もありうまく育てられず、2頭が人工哺育で育ちました。母親のスネの愛情を覚えておいてほしいという願いから、2頭には「ワス」「レルナ」(忘れるな)という名前を付けました。
※飼育年数:昭和63年(1988)~平成18年(2006)

「復元ZOO」開催時、園内掲示より

なかなか衝撃的というか、斬新な名前ですよね。

「復元ZOO」というのは、とべ動物園が不定期で開催しているイベント。開催中は過去に飼育していた動物たちの写真パネルが、かつて暮らしていた展示場の近くに掲示されます。

ここには書かれていませんが、おそらくとべで生まれたシマハイエナ3頭のうちの1頭は、生まれてすぐ亡くなったのだと思われます。「忘れるな」の意味には、長く生きられなかったもう1頭のことも覚えておいてほしい、という意味があるのではないでしょうか。

また、「肉食するスズメに関する調査報告(中村一恵・長瀬健二郎)」という論文にも、とべ動物園のシマハイエナのことがほんの少し書かれています。

横浜市立野毛山動物園のカニクイアライグマ舎や愛媛県立とベ動物園のシマハイエナ舎でも肉食するスズメが観察されたが、これらの場合はオープン・ケージで…

肉食するスズメに関する調査報告(中村一恵・長瀬健二郎)より


◆栗林公園動物園(香川県 ※現在は閉園)

『動物園 世界の動物Ⅰ』(山下論一)より

京都市動物園で殺処分を逃れたシマハイエナが引き取られた先が、栗林公園動物園です。

栗林公園動物園は、1930年(昭和5年)1月に開園した私営の動物園です。利用者減による飼育環境の悪化で2002年9月に閉園したものの、その後も動物の飼育と事実上の公開は続けられました。しかし、香川県に土地を返還するため2004年3月、施設が完全に撤去されました。

京都市動物園からシマハイエナを受け入れることができたのは、民間の動物園だったからではないでしょうか。




◆福岡市動物園(福岡県福岡市)

福岡市動物園では、開園30年だった1983年(昭和58年)5月31日、初めてシマハイエナの繁殖に成功しました。これは多摩動物公園、羽村市動物公園(ヒノトントンZOO)に次ぐ、国内3例目のことでした。

生まれたのはメスの赤ちゃん1頭。
のちに「ジャニー」と名付けられます。

広報誌『動植物園だより』VOL.25(昭和58年9月号)には、そのとき生まれた赤ちゃんの人工哺育のようすが、大変詳細に記載されています。

8月末現在まで、発熱1回と下痢をしただけで順調に育ってくれました。
園内を散歩させる際も、姿が見えなくても口笛を吹き、「ジャニー」と名前を呼ぶとかけ寄ってくるほどなついていますが、成長してから両親と一緒に生活できるか等、これから先のことを考えると、わが娘のように心配しています。

飼育員さんたちが初めてのシマハイエナの子育てを、とても熱心に行っていたことがわかります。

また、両親についての情報からは、ジャニーが人工哺育で育てられた理由が分かります。
・両親は昭和54年8月22日に来園(年齢不詳)。夫婦仲はよいが、飼育員には馴れず唸り声をあげていた。
・最初に生まれた子は、両親の興奮により死亡。2頭目の子も同様になる可能性があり、人工哺育へ切り替え。


『動植物園だより』VOL.21(昭和57年9月号)で紹介されているシマハイエナが、おそらくジャニーの両親だと思われます。


福岡市動物園公式ブログより

それから30年後。
福岡市動物園では開園60周年を迎えた2013年に「祝!60周年。記念パネル展」を開催。

そこではシマハイエナの写真展示もありました。

拡大写真

彼女の両親の写真と比べると少し幼い気がするので、これは立派に育ってくれた「ジャニー」かもしれません。



◆到津の森公園(福岡県北九州市 ※旧到津遊園)

「気がつけば猛獣の飼育員」
文:到津の森公園 飼育展示係 中上安紀

いま私はライオンの飼育を担当しています。かれこれ十数年働いていますが、思えば旧到津遊園で働き始めた時は、オタリア(アシカの仲間)やアザラシ、オオカミ、シマハイエナを担当し、到津の森公園では、トラやライオンを中心にキリンやシマウマと、比較的大きな動物を担当しています。

北九州市広報誌『ひろば北九州』2010年12月号「ZOOっとそばに到津の森」より

到津の森公園の前身である「到津遊園」では、シマハイエナの飼育歴があります。1990年台~2000年頃は確実にいたのではないかと思われます。

飼育されていたシマハイエナは、亡くなった後北九州にある「いのちのたび博物館」で剥製となって展示されたようです。

こちらの方のツイートでは、シマハイエナの剥製が2019年には展示されていたようですが、

こちらの方の動画(2023年8月)の同じ場所(ライオンのはく製の上の段)を見ると、シマハイエナの剥製は無くなっています。ときどき収蔵庫で保管しているのかもしれません。



2023年11月現在、調査できたのはここまでとなります。
随時情報を追加していく予定です。



⑤おわりに

ヒノトントンZOOのシマハイエナ「ヨーコ」

今回は現在日本で会うことができるシマハイエナと、かつて日本で生きていたシマハイエナを紹介しました。皆顔が違っていて、個性がありましたよね。

昔の個体だと、大正時代初期から飼育されていたという事実にはとても驚きました。そして、シマハイエナが姿を消していった原因の一つに「戦争」があるということも、まざまざと実感させられました。

また、天王寺動物園やとべ動物園、福岡市動物園などの動物園は、シマハイエナの資料を数多く残しており、シマハイエナの成長過程や当時の飼育環境、飼育員さんたちの思いなど、貴重な情報をお伝えすることができたと思います。


私がシマハイエナのためにできることは本当に少ないですが、一つは、ヒノトントンZOOの「ヨーコ」の生涯を見届けたいです。頻繁に足を運べるので、ヨーコがどんな風に生きているのか、しっかりこの目に焼き付けて、多くの人に伝える活動をしていきたいと思います。

また富士サファリパークのシマハイエナたちにも、時間が許す限り会いに行って、複数頭での生活というものもいつか見てみたいと思います。

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