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「死にたい」の考察

退院して外の世界へ出たら…と考えたら他の人はどう考えるのだろう。
私は楽しみという部分もあるが「危ないことをせずにやっていけるか」という不安の方が強い。

実際、本当に死にたくなったときは歯止めが効かなくなる。衝動的に危ないことをしてしまう。誰かに止めてもらわないとやってしまう。

死にたいってなんだろうか。さらに言語化してみる。
死にたい、それはすなわち「辛くて自分一人では解決できない問題が多すぎる、この辛い環境から逃げ出したい、放棄したい」という気持ちを簡潔に表したものではないのだろか。それも残された人のことは考えずに自分一人で逃げ出そうとする。逃避行だ。

私はきっと「助けて」というのが下手なんだろう。SOSを出すころにはもう手遅れな状態であることが多い。それかSOSを出す相手を間違えてることが多い。
前者は自分が色んなことを一人で背負いすぎて頑張りすぎている状態。
後者は早めにSOSを出せたはいいものの思うような結果にならなかった状態。

私の中には「相談しなくてもダメだし、相談してもダメ。それなら頑張って一人で解決する。」という考えが備わっているのかもしれない。
救われた経験不足なんだろう。

もっと救われた経験をつまないとと思っている。そのためには、「早めに専門家に相談する」ことが大切なんだろう。

大学復学後は相談室を利用する予定だ。それ以降は…と考えるとまた負荷が増えるので、これは時期が近づたらカウセンラーさんや主治医と相談できればと思っている。

これを読んでいる読者の皆さんも「死にたい」の分析をしてみることをおすすめします。(本当に死にたいときにするのは難しいと思うので落ち着いてから考えましょう)

最後に「死にたい」の分析ができるサイトの死にトリ内にあるつらチェックのリンクを貼っておきます。今が辛い人はやってみてください。

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