8. 馴染みの場所

どうも、江原茗一です。

今年の双子座流星群は本当に凄かった。ここ数年、いや10年、都会で観察できる流れ星としては極上だったのではないでしょうか。私は天候が良い限りは毎度流星群の観察を欠かしていない。
観察していると、段々と流れ星と戦っているような気持ちになってくる。私が視線を向けていない場所から降ってきたり、ちっこいのを連続降らせておいて私が油断し切ったタイミングにどでかいのを降らしてきたり、おちょくられているような気持ちになり「そうきたか」と独り言ばかり言って、いくらでもそうしていられる。そうして夜空を眺めて続けていると、徐々に「私は一体何をしているんだろう」という気持ちになってくる(当たり前)。とにかくそれが、何故か良い。

さて、お知らせです。本日12月21日(水)、新作7インチの『ゲームオーバー/ピクチャー』が一般発売されました。多くの方にご予約購入いただけて、本当に嬉しい限りです。レーベル在庫が無くなってしまったそうで、追加プレスをしていただけることになりました。年明け以降またレコードショップ等へ再入荷されるそうです。なので慌てず、入手方法についてはご検討いただければ幸いです。詳しい詳細は、カクバリズムからのアナウンスをお待ち下さい。私からも分かり次第お知らせします。

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そして、B面の『ピクチャー』もサブスク等々にて配信が開始されました。こちらも何卒宜しくお願い致します。
A面『ゲームオーバー』の制作について以前お話したので、『ピクチャー』についても一応話しておこうかなと思います。誰が気にするかという話ですが。

『ピクチャー』は『SUPER GOOD TAPE』というカクバリズムのポップアップショップ限定のカセットテープ用に制作した曲のバンド新録版であることは、既にお話ししました。新曲扱いではありますが、『ゲームオーバー』より一年も前に作った曲ということになります。ライブでも今年春の野音から、形を模索しながら何度も演奏していました。だから新曲っていうか、という感じかもしれませんね。しかも冬にリリースなのに「夏」って思い切り歌詞にしているし。それはまあいっか。
当初は納期的な問題もあり、あせあせと制作したことを記憶しています。短納期でどんな曲を作ろうかと参加者を見てみると、ビデオさんにマコイチの別名義、モーリスさんという素晴らしい方しかいない状況だったので「これはまずい〜」と目の前が真っ暗になりかけたわけですが、幸い、この時はモチーフにできそうなことがあり助かりました。

こちらが『SUPER GOOD TAPE 』

曲を作る上でモチーフにしたのは『SUPER GOOD TAPE』のビジュアル(大原大次郎さん作)のムードと、私の友人、葬儀屋のギャルが話してくれた話でした。
この葬儀屋のギャルというのは、私が小学生の頃に特別に仲の良かった人で、数年に一回会うか会わないかという程度にも関わらず、なんやかんやで今も交流が続いている稀有な人物です。ピュアで明るく笑い上戸で、性格が本当に愛らしい。どのくらいピュアで愛らしいのかというと、私が小学生の時にあげたお土産のストラップを、破損しまくった状態で今でも携帯電話に付けているくらいのピュアさ。まあ、そこまでくるともはやピュアというよりめちゃくちゃな変わり者じゃないかとも思うのですが、彼女みたいな面白い人はなかなかいない。そんな彼女は今年の年始に娘を出産し、今はシングルマザーとして頑張っています。

ギャルは葬儀屋のなかなか高い地位で働いているのですが、日々粛々と葬儀行う中、予期せず訪れた流行病によって一変してしまった葬儀の悲しさはとても異様なものだったと、ある時話してくれました。改めて、あんなにも明るい人が凄い仕事をしている。その明るさは表面的なものなのか、明るいからこそできるのか、私にはわかりもしないけれど。
残された家族の要望に100%寄り添うことができなければ、葬儀を行う業者側も亡き人に対していつも通りの敬意を払うことが出来ないのだと話すいつも明るいギャルが、酷く疲れ果て暗い顔をしているし、私はこの話を聞いた後しばらくの間、人を失うことについて悶々と考え込んでおり、ちょうどそのタイミングで『ピクチャー』を作ることになったというわけです。

もし私にとても大切な人がいたとして、その人を死別に限定せず形はどうあれ失った時、どうして過ごすことになるのだろうかだとか、辛い出来事っていうのは、容赦無く次から次へと身に降りかかってくるのであって、それでも生活しなきゃならないし、どんなに悲しんでいてもこれが最後じゃないかもしれないと思い悩んだりした時にはどんな、だとか、そんなことを考えながら、ある意味でラブソングのようなものを作ろうと取り組みました。
傍にいない人(またはいられない人)を思い出しながら記憶に没入しては不在を実感して辛い気持ちになるも現実に戻ったりまた没入していったり、ただそういう時間を延々生活の中で繰り返す人という何の答えもない曲になってしまったのですが。一言にして仕舞えば「切ないな」の2分強です。
あれこれと熟考したわりに着地点がシンプル、あるいは放棄か諦めのようになってしまうのは私の悪い所かもしれない。書いていてそう思った。
ただ最近友人と話をしていて橋本治氏の著書『恋愛論』の話題が出たので、久しぶりに読み返していたところ「これだな」と思う記述があった。その話を書き始めたらはちゃめちゃに長くなってしまう気がするので割愛。プチ脱線。

私はいつも、一曲につき一本の映像を空想しながら曲を作っています。私にとって一曲に一本の映像を思い描いておくことは、今となってはバンドメンバーと楽曲を完成させる上でも必要不可欠なことで、大切な情報源でありコミュニケーション方法になっています。
『ピクチャー』の映像内容を考えていくにあたり、まずは大原さんが制作したあの綺麗な夕日のビジュアルが活きました。これで大体の時間帯が決まる。そして登場人物を決め、登場人物の状況や行動、心情を決め、舞台(こんな街中だとか)を決め、周りに色々なものを配置していくという考え方。自転車や通行人を登場人物周りに出現させてみたり、五時のチャイムを鳴らしてみたり、学校の吹奏楽部か住宅街のピアノ練習の音が微かに聞こえてくるとか、物事を考え込んでいる時の人の身体的な状態はどんな感じだとか。そうしてどんどん映像の詳細を決めていきます。
レコーディングエンジニアの中村督さんが色々と考慮してくれ、予定していなかった録音方法を取り入れることが出来たのも、こうして細かい情景を伝えられるよう準備していた甲斐があったのかもしれない。
しかし頭で考えた映像内容を映像化するわけでもしたいわけでもないので、結局それを口頭や文章で関係者へ伝えなければいけないわけで、映像を考えるイメージ共有方法で苦労することが無いわけではない。それだけははっきりさせておく。そして「聴いた方々の目にその映像が浮かび上がるように」とか伝わることを前提にアレンジを決めていっているわけでもない。聴いた方々の取り方はもう何でもござれ。何が言いたいかというと、ただただ完成までの道のり、進め方として一番は私がやり易いということですね。
音楽的な知識が私に十分あって、その知識で持って説明出来たのならもっと早いだろうし煩わすことも無いのは確かです。本当に。
ただ鳥居くんのギターをギリギリまで相談し合ったりするためにも、浜くんが面白いパーカッションを入れてくれたのも、ピアノのタッチにこだわって粘ることができたのも、これを事細か決めてみたことに何らか意味があったのではと思いたい。脚本が予想外でなくとも、物申すような美しい光や影とカメラワークが存在する映画を撮るような気持ちで。
『ゲームオーバー』にしても『ピクチャー』にしても、今回は特に、この事前に映像を考えて制作していく手法が奏功したように思っています。
でもさ、音楽的な知識もええ加減身に付けようぜ。
バンドメンバーとマコイチ、関わってくれた方々には本当に感謝しています。良いものを完成させてくれてどうもありがとうございます。
そんなわけで、楽しんで聴いていただければ幸いです。

今回のレコーディング、これしか撮ってなかった。しくじった。

先日、文藝誌『園』第三号の打ち合わせのため、共同主宰である実月ちゃんと三軒茶屋の喫茶店『セブン』に入った。セブンは私が池尻大橋に住んでいた頃から大好きな喫茶店だ。以前はしょっちゅう一人で行っては歌詞を考えたり何もしなかったりと過ごした場所だが、今では数ヶ月に一回という程度になってしまった。遠いからな。今回もかなり久しぶりだった。
いつからか喫煙席が無くなり、代わりに二階が喫煙室になった。自席で喫煙できないのは残念だけれど、この二階の喫煙室が昼でもいつでも薄暗くてシンとしているのでなかなか良い。やけに落ち着く。いつまでも存在していて欲しい。
そういえば渋谷の『羽當』も禁煙になってしまっていた。代わりに入り口付近に小さな喫煙ブースが設けられ、山盛りの珈琲カスに終わった吸い殻を刺していくスタイル。行く度に映画『七人の侍』の菊千代のあれを思い出す。

実月ちゃんと解散した後、真っ直ぐ帰るのも詰まらなく無意味に渋谷へ出てみた。109にデカデカと貼られているJO1を尻目に道玄坂方面へ上がって行き、こちらもかなりの久方ぶり、名曲喫茶『ライオン』へ向かった。大変ショックだったのだが、ライオンも禁煙になってしまっていた。ライオンだけはならないと思っていたんだけどな。しかも以前は閉店時間が22時くらいだったと思うのだが、20時に変わってしまっていた。
ライオンは東京で一番好きな喫茶店かもしれない。私語厳禁の店内で大音量のクラシックを聴きながら珈琲を啜り、ここでも歌詞を書いたり愚痴を書いたり、本を読んだり前の席の背もたれの裏に書かれた落書きを読んだり何もしなかったりと、いつまでも何時間でも一人ぼっちで過ごすのに最高の条件が揃っている。
喫煙できた頃は、死後行きの待合室か何かみたいな青薄暗い店内にぐらぐら立ち昇っていく煙を眺めていると、流れ星を観察している時同様「一体私は何をしているんだ?」というぽっかりとした気分に浸ることができた。まあその感覚は煙草抜きにしたって健在だったけれど、とにかくそういうのが良かった。「帰りたくないな」という気持ちにさせられる。たとえ一人で暮らす部屋にでも。一人ぼっちを一人ぼっちで体感するのにぴったりなのだ。お分かりいただけるだろうか。

一歩外に出れば飲み屋とラブホテルが立ち並ぶ欲望まみれの立地ではあるものの、だからこそ面白いことも起きた。
ライオンには定時コンサートという、毎日決まった時間にプログラムで予定されたレコードをかける時間がある。5〜6年前ある時の定時コンサート時、ゴン!ゴン!という鈍い音と共に店の外が騒がしくなり何事かと思っていると、酔っ払いが向かいのビルの窓から物をこちら側へ投げ続けているという珍事だった。店員がマイクを使いボソボソ声で「外に出ないようにお願いいたします」と言い、その場にいる私たちは酔っ払いの声やそれを制止する人の怒号を聴きながらソワソワ着席したままになっていたわけだが、予定通り定時コンサートが始まり、その時のプログラムがベートーヴェンの『運命』だった。BGMとしてぴったりで物騒なのにグッときてしまい、一人で笑いを堪えた。他の人もそうだったんじゃないかな。ライオン通いの中での一番の思い出。

この間DOMMUNEに出演した際にも渋谷の変わりようにはとても驚かされた。馴染みの場所がどんどんと変わっていっている。ジュンク丸善も無くなるらしいし。もうあまり体力がないので行っても渋谷に長居はしたくないが、ライオンだけはこれからもわざわざ行きたい。

まーた変な文章だろうとは思いつつ、〆ます。
では近々また。

江原


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