PERFECT DAYSで唯一不満だったこと
少し日が経ったが、PERFECT DAYSを観に行った。
音楽ファンとしては、ルー・リードやパティ・スミスの曲が使われてたりと注目ポイント満載で、感想を書かれている方もその手の音楽を嗜んでそうな拘りを感じる方ばかりな気がする。
大衆向けではなく、明らかに人を選ぶ作品なことは間違いない。
かなり賛否両論な作品となったようであり、平山フェアリー説など面白い論評が沢山流れている。
私はとても良い作品と感じた方で、機会があればまた観に行きたいと思っている。
が、一箇所だけ気に食わなかったところがある。
「こんなふうに生きていけたなら」という、一見控えめなコピー。
再生数が低いミニマリスト系YouTuberの動画タイトルにありそうと最初に思ったし、本作が平山の生活を手放しで賞賛しているわけではないので、非常に的外れな印象を持ってしまう。
平山を非実在サブカルおじさんとして批判する方がいるのも、そこが理由なのではないだろうか。
だってライフスタイルとして提案してしまってるんだし。それに対して「こんな奴いねえよ」とツッコむのは当然である。
平山のどの一面を見て「こんなふうに生きていけたなら」なのか。
トイレ清掃という仕事に対して責任を持ち、黙々と打ち込む姿か。
現代を極力排除し、読書に観葉植物、休憩時間にフィルムカメラで木漏れ日を撮影するなどのミニマルでサブカルな姿か。
あるいは、めちゃくちゃモテる姿か。
彼の背景の一部を見て覚える感情とは私は思えない。本作をこんな安易な文章で済ませていいとは思えない。
これから、"平山系おじさん"なる言葉が生み出され、メディアがブームを仕掛けるかもしれない。
お昼の情報番組とかで若いタレントがにこやかな笑顔で古いアパートを取材して、そこに棲む平山の表面を被った何者かを持ち上げ、やがては消費される。
彼らは真面目に平山になりきろうと努めており、コメンテーターはそんな彼らをダシに使う。
私は時々、そんな人たちを偶にメディアで見かけてはあの一文を思い出すだろう。そんなことはよくある話だけど。