2020/03/04; 家族は他人?

温泉から帰り、引越しのために家の荷物を両親の車に積み込んだ。両親は私を温泉に連れて行ってくれるし、引越しの手伝いもしてくれる。給料も出ないのに。

ありがたいけど、疑問でもある。何で他人の私にこんなに尽くしてくれるのか?

積み込みながら、両親は喧嘩を始めた。両親はしょっちゅう喧嘩する。相手を慮らず剥き出しの自分の意見を言うし、それに対して剥き出しの怒りで対抗するのだから、喧嘩して当然である。私は、なぜ相手を思いやって言葉を選ばないのだろう…?とずっと感じていた。争いなんてない方が絶対幸せなのに、なぜあえて喧嘩するのだろう?

そんなとき、ふと気づいた。「あ、家族だから喧嘩するんだ。」

「家族だから。」何でもそう言ってしまえばおしまいだ。そんな論理はナンセンスだと思っていた。しかし両親が喧嘩する姿を見て初めて、「世界には自分か他人しかいない、家族すらも他人だ」と言ってしまうことが、寂しくて、それこそナンセンスなことのように感じた。

私は「家族は他人だ」と思って過ごしてきたから、嫌なことがあってもあまり怒らなかったし、喧嘩も少なかった。思えば、私は両親と本当の意味での「家族」になれていなかったのかも。今日だってあんなに手伝ってもらったのに、ちゃんとお礼言えなかったし…。

これから就職して、両親と過ごす時間は本当に少なくなってしまう。いきなり感情を剥き出しにするなんて無理だし、節度は保ちたいけれど、せめて「他人」じゃなくなるくらい感情を表現してみようかな…。

そう思った1日でした。

明日はもっと明るい話題がいいなぁ。

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