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素人が源氏物語を読む~賢木04~ :落ち目の季節の過ごし方(2)

桐壺院崩御ののち、右大臣が権勢を握るようになり、桐壺院に護られていたひとたちは思うにまかせなかったり不安で頭がいっぱいになったりしました。

人生における不遇の季節を、源氏物語の賢木の巻の登場人物たちはどう過ごしたのか?

今回は朱雀帝・光源氏・藤壺中宮という、桐壺院とごく近しい(息子・妻)ひとたちのコーピングを見ていきます。

◆朱雀帝の場合

桐壺院ご存命の頃は桐壺院の意向を汲んだことでしょう。院が崩御されたあと、院の遺言も守りつつも、右大臣や弘徽殿大后のパワーには対抗できず、政をコントロールするようになりませんでした。

こう、帝なんだけど、尊重されてるようには見えないです。

彼のコーピングは、五壇の御修法と言って、仏教の儀式をしてもらうことでした。国家や帝の危機のときにする修法をしてもらいます。けれども国家としては取り立てて効果があったようには見えず、また、まさにその修法の期間中に、帝のお気に入りの女性である朧月夜が間夫として光源氏を通わせたりします。なんの霊験のあったものやらです。

◆◆なぜ朧月夜は朱雀帝と光源氏に愛されたのか?

ちょっと脱線。朧月夜が光源氏を通わせる案件について考えてみます。光源氏が藤壺のとこに忍び込むのには物狂おしくならなければいけなかったし、帝のお気に入りに手をつけちゃった、という焦りや恐怖を感じていました。でも、今回は「いや~、政敵のとこに忍び込むのは」とは思うものの「この女は帝のお気に入りだから、ばれたらヤバい」みたいなのは無いです。帝公認の間夫です。帝のこの情けなさ、「帝ぞ。」の一言があれば少なくとも大っぴらにはできないでしょうに。

というか、この帝公認の間夫、という自体が既にオカシイ。この帝って、セルフエスティームが低そうに見えて、母性本能くすぐる系の魅力ある。残念な東宮というような扱いをされて育ってきたのかなあ。それを示す具体的な描写は無いけど。

ただ、朱雀帝は、光源氏が好きか嫌いかって言ったら好きなんです。『花宴』のときもプログラムにない光源氏の舞をご所望なさったし、朧月夜とのことも「光源氏が相手なら仕方がない」とお思いでいらっしゃる。

だから、あるいは朧月夜が特別だったのは、彼女が光源氏との関係を続けてるからこそ、だったのかなあ。そんな妄想もしてしまいます。そう見立てると、身代わりがテーマの源氏物語のなかで、朧月夜は朱雀帝にとって、光源氏の身代わりだったみたいに見えてきて、紫式部センセイの計算に頬がゆるみます。


◆光源氏の場合

光源氏は、桐壺院が薨去されたあとの正月には物憂くて家に籠りがちでした。左大臣邸に出掛けて若君を可愛がったりします。新年なのに女たちのもとへ忍び歩くことも減っています。

先ずは、下がってるときに、家に籠ったり、親しい人と過ごしたりというコーピングが示されます。でも、じっとしてると、退屈なんでしょう。朧月夜から誘われてフラフラ出掛けていきます。

その後、フラ~っと、義母で喪中の藤壺のところへ出掛けて「心まどひして」強引に迫ろうとします。藤壺は頑なに拒みます。それで光源氏は動揺します。

この時のコーピングは
・藤壺に手紙を出さない
・御所にも東宮御所にも行かない
・家に籠る
などです。

これは藤壺との距離を保つことで心の平静を得るためではなく、藤壺のせいでこれほど傷付いたという消極的なアピールです。光源氏は出家したくもなっているのですが、紫上がいるのでしない、との結論に至ります。

次のコーピングは、紅葉の頃、実母=桐壺更衣の兄のいる雲林院に出掛けます。藤壺・東宮というラインから離れ、実母・実母の兄というラインへずれます。そうしてお経を六十巻読んで必要なときには講義を受けました。

ステイする場所を変える、安心できるひとといる、学問に励む、などのコーピングが示されます。今でも効果的なことでしょう。

しかし、雲林院から朝顔の斎院や紫上に手紙を出したり、ここの紅葉の枝を藤壺に送ったりします。

ここは、あえて日常でやってることを絶って過ごすことでリフレッシュ効果が最大になったでしょうに……。

山籠りってまあ、和泉式部日記なんかを読んでも「これはリッチな気分転換なのか、1度したら気付きがあって、そのことでは2度と悩まないとかは、無いんだ」という感じだったので、まあリラクゼーション的な贅沢だったんですかねえ。

◆◆運気が落ちるとなぁ……

桐壺院なきあとの世界では、朱雀帝が国家の平安を祈るような修法をしてもこれと言った結果は得られません。光源氏が山へ出掛けても、「若紫」巻では病気平癒という具体的な結果が得られたのに、今回はリフレッシュ休暇みたいに、サッパリしたけどすぐに生活の垢にまみれてしまいそう。

祈ってもダメだし、山へ行ってもただそれだけ。桐壺院なき世界では桐壺院に近しいひとたちは「見えざるパワー」を使えなくなってしまったのでしょうか。桐壺院は後々の巻で死霊として須磨と都を駆け巡りますんで、院ご自身に不可思議なパワーが宿っている、という可能性はあります。桐壺更衣が生きる頃にはなくて、その後の長期に渡る煌びやかで安定した御代には発揮されていた。最愛の女性を喪い闇のなかを漂ううちに身に付けたマジカルパワーと威光とで桐壺院は皆を守っていた……、なんてね。

◆藤壺の場合

彼女の場合、右大臣の権勢、ひいては桐壺院から気に入られてたことで前々から妻だった弘徽殿大后からの恨みを恐れます。

彼女は、桐壺帝が退位してから帝とともに内裏のそとで暮らしていました。そして、桐壺院が亡くなられたあと同じ場所に暮らすわけにも行かず、三条あたりの実家に戻りますが、もはや他人の家みたい。そんな彼女と光源氏とで東宮を支えなくてはならない……、

筈な️のですが、藤壺からしたら内裏は弘徽殿大后が怖くて行きにくいし、光源氏が仕事がてら小まめに見てくれたらいいんですけど、彼も家にこもりがちだったりして、そうでもないんです。

この辺が、光源氏の「わきまえてない」ところだなあ、と私は思います。もう、光源氏のことは全部素敵みたいに話は続いていきますけど、それは紫式部先生か時代かが、そうにしか伝えられなかっただけなんじゃないのかなあ。永遠の美男のように描かれているけど、こんなのが理想の男じゃやってらんない、ってとこ結構ある。

藤壺のコーピングは入道することでした。入道は仏道に入ることで、出家入道と在家入道があります。彼女は今回、在家入道を選びました。

彼女がもっとも回避したかったのは、光源氏の狂った恋心(バカにしてる訳じゃなくて物狂いして迫るとか書いてあるので)と、2人の関係の世間バレです。

押し切られたら流されるのが当たり前の世界で性愛市場からの撤退を許される立場を獲得するには入道です。お金はかかるようですが、皇女として生まれ帝のキサキとなった藤壺ですから、しっかりと貯め込んでいたことでしょう。帝の一周忌のタイミングでサッと髪を切ってしまいました。で、まだ東宮との距離を隔てすぎないように在家なんでしょうね。

この場面の前に、光源氏も藤壺も出家したくなっちゃった場面があるんだけど、いざ髪を下ろされると「マジか…」ってなりました。

だって、この世界の人たちって、辛くなると大抵「出家したい」って言うんですよ。でも色々事情ーーおもに子どもの存在ーーがあって出来ない、って。藤壺だって、子どもがいるじゃん。大方のパターンなら無いって思うじゃん。それを、とりあえず入道ですよ。一息に鮮やかに色を変えるんじゃなくて、半歩進んでみる感覚。彼女は葛藤して譲歩して自分の進みたいほうへ確実に進んだんだなあ。

◆◆自分が変えられる要素って何だ?

光源氏って好きな女はいつか自分の気持ちを解ってくれる、というパターン続いてるなあ。

最初は葵上ですよね。つれない正妻だけど、時間が経てばいつか解ってくれるよね、と思ってるうちに相手は死んじゃった。

藤壺にだって、解ってもらいたい、そして憐れみでもいいから気持ちを向けてほしい、と思っています。

紫上にだって、大人の関係、大人の男の愛し方を彼女は受け入れなくてはいけない、というようなことを言います。

基本、自分は正しくて、望ましい成長をするべきだ、とお考えでいらっしゃるようで、こういうお方が身近にいたら息苦しそうです。

で、相手が変わるのを待ってるので、ゆらゆら浮沈する事態に身を任せてるだけでもある。この頃の光源氏は煌めく海面を美しく漂うだけの何かみたいだ。


藤壺も、光源氏にたいして「あんなふうに変な思いをしないでほしいのに」とは思いました。でも、思っても変わんなかったのよ。自分が「いやーね」とか査定しても、その査定には何の影響力もない。

どうにかして、自分が状況を変えることは出来ないか、って考えたときに「あ、嫌なことがあるとすぐ出家したいって、流行語かってくらい言ってたけど、アレ真面目に考えたら使えるんじゃね?」ってなったんじゃないかなあ。

だからある場面で光源氏と藤壺が「出家したい」って同時に思ったとしても、その内容は全然違ってたのかもしれない。はあ~、面白いなあ、紫式部先生、素敵な書き手さんだなあ。

さて、書きたい小ネタは残っていますが、賢木で一番書こうと思ったことについては触れたので、おしまい!次は癒し系レディって言えばこのお人、花散里の巻ですぜ。

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