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ノーギャラなのに、どうして「梅仕事」というの?

「梅仕事」は概ね家庭で行われる、梅の実を加工して梅干しや梅酒をつくる一連の作業のことをいう語です。わたくし、いわゆる梅仕事はするのですが、「梅仕事」という語には違和感を覚えます。理由は2つ。まず、梅仕事の主語となるのは梅農家や梅加工業者ではなく概ね家庭や個人です。そして、梅仕事に取り組む家庭/個人は、梅の加工を業務としてではなく趣味や余暇としておこなっています。

「梅仕事」の語釈(言葉の意味の説明)ってどうなってるんだろう? ジャパンナレッジ(オンラインで複数の辞書を検索できるサービス)で検索してみると、冒頭の認識と大きくはずれていないようです。

それならば「仕事」についての理解が不適当なのかも? 再度、ジャパンナレッジで「仕事」を検索してみます。

はい、ビンゴ! 仕事を「生活の糧をゲットするための活動」と認識しているのが理解不足でした。物理的な「仕事」は別としても、単に「すること」「したこと」「作業」なども「仕事」という語が表現する場合があるようです。他の語釈もありますが、「梅仕事」の「仕事」は「すること」「したこと」「作業」で妥当と思われます。

そうかぁ。「すること」「したこと」「作業」は「仕事」のうちなのか。

ここnoteでだったら「書くことを仕事にしたい」とか、ちょっと古いけどYoutubeで「好きを仕事に」とか、仕事イコール稼げること、というのは複数の世代にまたがる共通認識のように思えます。「すること」「作業」が仕事でよければ、noteやYoutubeで表現すること自体が「仕事」になるので、わざわざそれを「仕事にしたい」とならないのです。

どこかで、仕事=作業または稼ぎ、から、仕事=稼ぎ、に変わったのでしょう。

実は、「すること」「したこと」「作業」が「仕事」だというのには心当たりがあって、小学生の頃には、読んだ作品中のみならず、実生活でも、そのように「仕事」という語を使っていた記憶があります。「黒板消しをキレイにするのはハナちゃんの仕事ね」みたいな感じで。こういう記憶を共感してくださる方、どれくらいいらっしゃるんだろう、不安です。

とにかく、そういう意味で「梅仕事」は、ノーギャラだけど、間違いなく「仕事」なのでしょう。

以前は知っていた語の理解が知らないうちに抜け落ちているのを、「梅仕事」という言い方への違和感から知ることができました。

あと、「仕事」って言われると「高品質を目指すべき!」みたいなプレッシャーを感じるのも苦手なところです。これも、もしかしたら、労働人口が増えたことで、仕事がより効率を求められるようになって、という変化を「仕事」の中に感じ取っているのかもしれません。

梅仕事、どんな言葉だったら、今にもっとフィットしてるのかなあ。

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