読み出すなり躓いた「いずれの御時にか」って感覚に、だんだんなってきていた
ごきげんよう。素人は今日も源氏物語をゆっくりと読んでいます。いまはまだ花散里です。おっそい。
前に、「いずれの御時にか」って感じに時間を捉えること無いよ、って記事を書きました。だって「どの元号の頃か」とは思うけど「どちらの陛下の御世でしたか」とは思うような暮らしかたをしてない。
素人が源氏物語を読む~いずれの御時にか……ってどんな感覚なの?
https://note.com/genji_beginner/n/naf15b02ae475
で、花散里って巻を今は読んでるんだけど、そこには光源氏と花散里とのファーストコンタクトの頃の回想シーンが入るんですよ。
花散里の時点では、朱雀帝の御世なの。朱雀帝っていうのは光源氏のお兄ちゃん。朱雀帝のママは光源氏を嫌ってるみたい。お兄ちゃんは基本的には光源氏がお好きなんだけど、朱雀帝がママの意向をスルーしきれないことから、今は光源氏にとってはハードモードな時代なの。
で、朱雀帝の御世の前は桐壺帝っていう、朱雀帝や光源氏のパパの時代。パパはお兄ちゃんを東宮=次期帝にしたけど、光源氏のことをアンバランスなほど溺愛していたの。そのことが朱雀帝のママが光源氏を嫌いになった理由のひとつ。でも、ゴーイングマイウェイなところがある帝に溺愛される訳だから、桐壺帝の頃の光源氏は最強にキラキラの日々だった訳よ。
朱雀帝の御世の時点で、桐壺帝の御世の頃を思い出す。そこに対比がある。
源氏物語にえがかれる四つの御世を光源氏の人生と重ねると、こんな感じかなあ。
桐壺帝(父)の御世 → 眩しい青春
朱雀帝(兄)の御世 → 受難の頃
冷泉帝(秘密の実子) → 復活と繁栄
今上帝(娘の夫) → 栄光と老年
みたいな感じで、光源氏を語ろうとするとき、どの帝の御世なのか、っていうのは極めて直接的に影響してくる。
自分の人生の実感として、いずれの御時に、と思うときはないけど、光源氏のエピソードをライフヒストリーに位置付けて語ろうとすると便宜上 自然と「どの帝の時代だから」と思うようになってた。
わからないけど、わかる。なんだ、これ。はあ~、7月までの私に「そのうち、少しはわかるよ」と教えてあげたい。
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