深い海の底で息をする
自分を鼓舞して、
自分を奮い立たせて、
自分を突き動かすのは、
他でもない自分なのに。
頑張ってる途中で
たまーにポキって折れちゃって、
自分がほんとうになんの役にも立たない
どうしようもない奴に思えてしまって、
なんのために生きてるのとか、
思ってしまったりする夜もある。
1番近くにいる人に、
理解してもらえないと悲しい。
たとえ産みの親だって、
親が世界のすべてだった幼少期を超えて、
今のわたしの考えを、
全部理解してもらうのはたぶんきっと無理。
よく分からない物差しで人を測って
無理だとか、
現実を見ろとか、
そんな言葉を浴びせられると、
一気に気持ちが萎縮する。
否定のシャワーを浴びると、
ほんとうに心ってギュってなるんだね。
無意識のバリアが壊れて、
真っ裸にされたみたいに。
私はなにをもってる?
なにも持ってない。
この身ひとつでなにができる?
なにもできない。
そんなふうに思えて、
もうこんな堅苦しい世界を捨てて、
どうにでもなれって全速力で駆け出したい。
いつかのあんな映画を思いだす。
服を脱ぎ捨てながら走って、
息を切らしながら
全裸で屋上の柵にもたれかかる女の人。
でもそれほどに全力で、
生に向き合い、
全身全霊で生きてる人はどのくらいいるんだろう。
私もそんなふうには生きれていない。
流れに身を任せたり、
ダメと言われたらやめたり、
自分の意思がない行動だってある。
自分を認めてくれる、
そんな生きやすい環境で過ごすのはラクだね。
自分を否定してくる、
そんな生きづらい環境にいると息が詰まるね。
認めてもらえるように、
当たり障りなく生きることも出来るね。
否定を突っぱねて、
私だけの道を進むことも出来るね。
そのどれもを生きる私たちは、
どんなふうに生きるのが正解?
正解なんてないってわかっても、
それぞれが、それぞれの物差しで、
人を測るのはなぜ?
測るものでも、
測られるものでもないのに。
生きづらくしてるのはだれ?
それさえも他でもないわたしなの?
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