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最終巻発売『adabana-徒花-』サスペンスの世界で真実は必ずしも人を救うわけではない

サスペンスの世界では真実こそ正義であり物語のゴール、読後を充実させてくれるもの。そう信じて疑わなかった私に衝撃を与えた作品がある。それが、今日最終巻となる下巻が発売されたNON先生の『adabana-徒花-』だ。

『adabana-徒花-』は昨年の8月に単行本の上巻が発売された。未読の方に向けて軽くあらすじを説明すると、小さな田舎町で起きた女子高生による猟奇的な殺人事件を容疑者や被害者それぞれの視点で描き、真相へと迫る物語だ。

今まで『ハレ婚』や『デリバリーシンデレラ』で男女、そして性の実像に切り込んできたNON先生が「何が起きたらあなたは人を殺しますか?」と帯のついた上巻の画像をTwitterにアップしていてすごく衝撃を受けたことを今でも覚えている。

上巻を読み、興奮冷めやらぬ私は当時noteにレビューを書いた。

主人公・ミヅキがしきりに「私 なんだってできるよ マコのためなら」と呟きながら猟奇的な殺人に手を染めていく様子はとても胸が痛んだ。そして、その時の私は本作を単なる女子高生殺人鬼のサスペンスではなく「自己犠牲の上に成り立つ愛」を描いた究極のラブストーリーだと解釈した。

そこから時は流れ、物語の雪景色や寒さがリンクする今年の1月に中巻が発売された。上巻では主人公・ミヅキの目線で事件の真相が描かれていたのに対し、中巻ではこの事件の被害者・マコの視点で事件の当日や前後の話が展開する。

マコの恵まれない家庭環境や性的虐待を受けていたという衝撃の真実が明かされた中巻。小さな田舎町や10代特有のコミュニティの狭さが生み出す孤立が描かれていて作中に漂う闇が一層深くなった。

*NON先生はアルが運営するクリエイターの作業風景が見られる動画配信サービス「00:00 Studio(フォーゼロスタジオ)」を使って『adabana-徒花-』の作業配信を定期的に行っていて、当時はたまたま配信を視聴する機会が重なり、思い切って中巻の見所について質問したことがあった。いつもファンサが神すぎるNON先生の回答はぜひこちらの記事を読んでほしい。

上巻で描かれるミヅキの物語、そして中巻で描かれるマコの物語を照らし合わせると辻褄の合わない空白が生まれた。

中巻を読んで以来とにかくその空白...言わば真実を知りたくなった。理由は冒頭で書いた通り単純に早くゴールを知ってスッキリとしたかったからだ。

そして、最初に『adabana-徒花-』という作品と出会ってから約1年経った今日、最終巻である下巻を読み待ち望んでいた真相を知った。

ミヅキがなぜこんな猟奇的な殺人事件の加害者になったのか、マコが死んだ本当の理由...。全てが明らかになって感じたのは、充実した読後感よりも、必ずしも真実が人を救うわけではないという新しい気付きだった。

事件の前、マコや彼女の取り巻く家庭環境の真実を知れば知るほど心を痛めてきたミヅキ。そんな彼女がマコのためにしたかったこと。それに辿り着くまでには、真実をねじ曲げることが絶対的に必要だったのだ。違和感を持った刑事や検察の大人たちは、真実こそが減刑という形でミヅキを救うと思い、必死になって真相解明に向かって動き出すのだが、それは実はミヅキが一番望んでいない、そして救うことと真逆の行為なのだ。真実こそ正義だと思っていた私にとってはこれが衝撃的だった。

彼女が具体的に何をねじ曲げたのか、そしてその先にある真の目的はぜひ下巻を読んで欲しいが、上巻でしきりにミヅキが呟いていた「私 なんだってできるよ マコのためなら」というセリフそのものだった。

最後に一つだけ。上巻を読んだ時の「自己犠牲の上に成り立つ愛」を描いた究極のラブストーリーという解釈は今でも変わらないが「犠牲」という言葉は誤りなのかもしれない。なら、ミヅキとマコのこの物語はなんと表現すれば良いのだろうか。


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