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【休職日記】0日目

しばらくの間、仕事をお休みすることになった。

「ストレス性のうつ状態」だそうだ。

本当は、休職は最終手段にしたかった。
悩みまくって決めたこの「休職」という選択が、吉と出るか凶と出るか。
正直全然わからないし、自信もない。

でも悩んだ末に、「今は何か少しでも環境を変えることが必要なんだ」という考えに辿り着いたから、そのための大きな一歩を踏み出したんだと思っている。

一旦社会から離れることで、焦りや不安が倍増してしまう可能性だってある。実際に、そんな記事を書いている人を山ほど見た。

それでもいつか、自分の足でなんとか立ち上がらなければならない。

不安は尽きないが、この道を進むと決めた以上、考えていても仕方ない。
とにかくまずは、病気を少しでも改善させること。ただそれだけを目標とする。


とりあえず、ひとつだけ休職期間にやることを決めておく。
自分の気持ちの浮き沈みを客観的に捉えるために、毎日noteに日記を書くこと。

毎日と宣言したものの、書けない日があれば、それはそれでいい。書けないほど気持ちに余裕がなかったんだと思えばいい。

今日は、0日目。
明日から会社をお休みする。
とりあえず休職に至った経緯を残しておこうかなと思っている。

いつか未来の自分がこの日記を読み返して、笑える日が来ますように。

*****

異変を感じ始めたのは、今年の3月下旬〜4月ごろ。
休みの日でも仕事のことを考えると勝手に涙が流れる日が幾度かあった。

ちょうど年度替わりで、担当業務が変わったり、同期が異動したり、自分も周りも環境が大きく変わったタイミングのことだった。

今の会社には中途採用で入社し、2年半ほどになる。
なんとか今日までやってきたが、ずっと馴染めないと感じていたのも事実。

だからといって「やっとの思いで取り戻した正社員という環境を簡単に手放すわけにはいかない」と踏ん張った結果、ジリジリと蓄積していた不満や迷いが、環境が変わったこのタイミングで爆発してしまった、というところだろう。

ちなみに私は、新卒で入った会社でも環境に馴染めず、たったの4ヶ月で逃げるように辞めたという情けない記録がある。
「やっとの思いで取り戻した正社員という環境」というのは、そういう意味だ。
(その時の話はこちらの記事に書いたのでよければついでにどうぞ)

4月1日 人生で初めてメンタルクリニックに行った。

「ストレス性のうつ状態」と診断された。
よくわからないが、先生曰くうつ病とはまた別の病気らしい。

先生は、「療養してみませんか」と言った。
つまり、「診断書を書くから会社を休みなさい」ということだ。

「あなたは自分で思ってる以上に、もう限界状態を超えているんですよ」

そう言われた。
なんか、ボロボロ泣いた。

でもその日は理由をつけて休むことを拒否し、薬だけもらって家に帰った。
最初にも書いたが、どうしても、休職は最終手段にしたかったから。


翌日からもとりあえず普通に出勤して、今まで通りの日々を送った。
会社には病気のことは話さなかった。

当然、治療も何もしてないわけだから、苦しい状態は変わらない。

4月はずっとそんな感じだった。
自分は今まで通り。ただ我慢して、働く毎日。

ところがいつからか、周りから声をかけられることが多くなった。

「元気か?」

「全く生気を感じないけど大丈夫?」

「なんかあった?心配なるわ!」

周りの人たちは、毎日のように声をかけてくれたり、お菓子を渡してくれたり、どうにかして私を元気づけようとしてくれた。
でも当時は、そんなに元気がないつもりもなかったし、「何もないですよ〜大丈夫ですよ〜」とお決まりの愛想笑いでごまかすことすら面倒で、「頼むから私のことは放っておいてくれ…」としか思えなかった。

自分では、あくまでいつも通りのつもりだったということと、それに反して病気はどんどん悪化してたということが、こうして文章にしてみるとよくわかる。

自分では気づけなかったが、周りから見れば、明らかに普通じゃない雰囲気が漂っていたんだと思う。


私は元々メンタルがかなり弱いほうだ。
HSP(繊細さん)の気質もあり、気を遣いすぎたり、気にしすぎたり、周りの影響を良くも悪くも受けやすいところがある。

さらに、内向型な性格で、普段から人と関わるのは苦手でなるべく避けたいと思っている。テンションも、声も低い。自己主張も苦手。

昔からずっと「年齢の割に落ち着いてるね」と言われるし、今の職場でも「落ち着いてるから入社してからもっと経つと思った」とか言われる。
みんなはいいようにそう言ってくれるけど、本当の自分はそんないいもんではない。

ただ、気にしいで小心者だからこそ、「周りが期待している自分」を演じることは自然と得意になった。
なんというか、相手の正解を見抜いてしまって、その通りにしか動けなくなるという感じ。
(HSPあるある?特殊能力なのか、なんなのか。)

こんなやつでもいろんな人が心配してくれたのは、そのおかげだったのかもしれない。周りの人たちは、私のことを、上に書いたような人間だとは思っていないと思う。

でも、そうやって背伸びして違う自分を演じることで、日々少しずつ自分の首を絞めていたことも事実。

いいのやら、悪いのやら。
でも、自分にはそうやって生きるしかなかったんだよね。


病院には2週間に1回ぐらいのペースで通った。
病気になったことは認められなかったのに、病院にはちゃんと予約日時に向かった。無意識に、助けを求めていたのかもしれない。

何度診察を受けても、先生は療養について考えたかという質問をし、頑なに拒否する私を受け入れて、同じ薬を処方して終わる。それだけだった。


5月に入ってから、少しずつ状況が動き出した。

会社で定期的に行われる上司との面談で、病気について打ち明けた。
私は正直、この会社の人に対してなんの期待もしていなかったのだが、面談をした上司3人ともが、意外とあっさり受け入れてくれたことに驚いた。

ましてや、「仕事のことはいいから、まずはあなたが元気でいられるように、一緒に考えていきましょう」という感じのことを言ってくれた。

ただ、その時点でも自分はまだそんなにひどい状態じゃないと思っていたから、休職は最終手段にしたいということを伝え、薬を飲みながらこれまでどおり働くと伝えた。

面談で打ち明けたのは、「病気である」と言う盾を見せつけて、自分を守りたかったからなのかもしれない。
期待されてる自分を演じられなくなった時の、保険。


ただ、一度言ってしまったことで、どこか張り詰めていた糸が切れてしまったのか、それから病状は少しずつ悪化していった。

今までできていたことが、少しずつできなくなった。

・元気の出し方がわからない
・好きだったものに興味が湧かない
・愛想笑いができない
・話が右から左に流れていく
・倒れそうなぐらい眠い
・世間話ができない
・人の目を見れない

何より、あんなに得意だった「期待される自分を演じること」ができなくなった。


そんなある日のこと。
社員食堂で去年までお世話になっていた上司に声をかけられた。

「え…大丈夫?なんか痩せた?どした?」

第一声が、それだった。
私の姿を見て、驚きを隠せない様子だった。
こっちがびっくりした。

「元気か?…元気じゃないんやな?何かあったらいつでも連絡してきてよ?」

そう言って私の背中をさすり、上司は去っていった。


なんかその日、突然不意に自覚した。

あぁ、私って、変わってしまったんだ。
もう今までの自分とは違うんだ。
頭がおかしくなってしまったんだ。

そう思って、悲しくて、泣いた。


私が休職を最終手段にしたいと思っていた理由。
それは、一人暮らしを続けたかったから。

休職の制度はよく知らなかったけど、休むのだから確実に給料が減る。
働いてる今でさえ、初任給レベルの給料で補助なしの中、無理矢理一人暮らしをしている状態だから、休職すると一人暮らしは諦めるしかないと思っていた。

これはもう詳しく書かないが、家族関係がなんやかんやこじれていて、私には帰る家がない。あるけど、ない。実家に帰ると言う選択肢は、どうしても持てない。


ようやく手に入れた自分だけの場所を手放したくなくて、なんとか働きながら病気と向き合う方法を、何度も何度も考えた。

でも、見つけられなかった。

先生は、「薬は治療のメインではない」と言う。
これは勝手な解釈だけど、ストレス性のうつ状態ということは、治療法としてはストレスを取り除くことしかないのだろう。
先生はきっと、私自身が休むしかないことに気付いて、その気になるまで待っていたのだと思う。


こうして私は、変わってしまった自分をようやく認め、休むことを決心した。

長かった。
苦しかった。
何度もわからなくなった。
何度も泣いた。
自分の病気のこと以外にも、悪い時には悪いことが重なるもので、あっちもこっちも八方塞がり。
時に、私に手を差し伸べてくれる人たちに悲しい思いをさせてしまうこともあった。

出口の見えない暗いトンネル。
ようやく消えかけの電気がチカチカしだした程度で、出口はまだまだ見えそうにない。

でも、たくさん悩んで、やっとスタート地点に立ったと思う。


これから先、どうなっていくのか。
どうか助けて、神様。

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