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レベッカ・ブラウン(2004)『体の贈り物』の読書感想文

レベッカ・ブラウンの『体の贈り物(原題:The Gifts of the body)』を再読した。新潮文庫から2004年9月に出されており、翻訳は柴田元幸さんである。

何度も読み返してきた本ではあるが、年を取ってから読むと、また違う味わいが出てきた。中年の入り口に読むのと、二十歳前後で読むのは、やはり全然読後感が違う。

(数年前、疲れ果てているときに読んだら、JRのホームでなぜか号泣してしまったこともある。冒頭のコーヒーとシナモンロールにやられてしまった)

二十歳前後で読んだときは、平易な文体による積み重ねのシンプルさに舌を巻いた。ゴテゴテと装飾などしなくとも、小説は成立するのだと感激したことを覚えている。そのシンプルさ、簡潔さに憧れた。他人をケアする描写は、単なる作業手順ではないのだけれど、生っぽさが削ぎ落され、不思議な印象を与える。

今、読んで思うことは、終末期医療のケアワーカーという仕事の複雑さである。大変で過酷だということはもちろんあるのだが、それだけではなく、見送ることを宿命づけられた仕事を受け止める当人の心の健康をどう維持するかという問題である。

主人公は仕事を続ける気かと問われ、辞めることを検討していると述べる。すると、以下のように返される。

「何かほかのことをするのもいいよね。また、やりたくなったら、いつでも戻ってきてペレニアルになればいいし」

レベッカ・ブラウン(2004)『体の贈り物』p.193

ペレニアルとは、ケアワーカーをやめてほかの仕事して、また戻ってきたりして、出入りを繰り返す人のことらしい。

日本でも対人援助職の離職率は高く、医療従事者も該当すると思うのだが、肉体的な疲労だけでなく、精神的な疲労も、徐々に蓄積されるであろうことは容易に想像できる。ケアをする人は、定期的なケアを受ける必要、あるいは仕事から離れる必要があるのだと思う。そうでないと、心がすり減って、ある日、ポキンと折れてしまう。人の死を目の当たりにすることに、ダメージがないわけないのである。

誰しもが行く道である。死なない人はいない。10年ぐらい前にピンピンコロリみたいな思想が流行ったが、人間の死に方はそうそう変わるものではない。迷惑をかけてしまうことだってある。

ただ、この本を読むと、当たり前にできていたことができなくなること、一人で死を迎えることがそれほど怖くなくなってくる。ケアすること、ケアされることに対する抵抗感も低減される。

それは本書の主人公のようなケアワーカーの存在を確認できたからなのだと思う。社会の制度、相互扶助というものを率直にありがたいと思わせてくれる一冊でもある。

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