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「もう、やけ食いはしない」と何度思ったことか

金曜日の夜は、不思議な解放感がある。たった二日の休みとはいえ、一度リセットされるような感覚がある。

ただ、ここのところ、気温上昇と梅雨のせいか、まったく自炊をしたくない。そして、今週末公開される新作映画にも食指を動かされるものがない。早く家に帰ったところで、何か楽しいことが待っているわけではない。

そんなわけで、「そうだ! 思う存分、食べよう」みたいなことを思いつく。正直、金曜日の就業中はずっと何を食べるかについて考えていた。(これは現実逃避なんだそう)

無性に某ハンバーグチェーン店のハンバーグが食べたくなり、わざわざ電車に乗って店に行った。ハンバーグのセットとパフェを食べ、満足する。さて、このあと、どうすべきか。ポテト、ケバブ、パスタなども食べたい。暴飲暴食することが自己目的化しているので、我ながら恐ろしい。

そういえば、よく男性が話題にしている某野菜大盛系ラーメンを食べたことがなかった。もうどうにでもなれ、という気分だったので行ってみた。すでに行列があり、迷ったが、おとなしく並ぶ。30分ぐらい待って、やっとこさ席に着く。席に着いてからも10分ぐらい待って、ようやくラーメンにありつけた。

もやしも、チャーシューも難なく食べられる。「うまい、うまい」と順調に食していたのだが、麺が重い。あまりに重い。油とニンニクが麺を重くしているのだろう。急に箸が止まる。咀嚼できないどころか、戻してしまいそうだった。あと、三分の一ぐらい麺が残っている。これは店主に激怒されるパターンではないか。でも、リバースするよりは怒られて、頭を下げて帰った方がいいのではないか。そのような葛藤をしつつ、混雑に乗じて、「ごちそうさまでした」と逃げるようにして店を出た。

とぼとぼ歩きながら、食べ物を粗末にして良くないことをしたと思いつつも、お腹が膨張しはじめ、どんどん苦しくなっていく。気持ち悪い。後悔先立たず、とはよく言ったもので、「食べたい」という欲望に駆られているときは、自分の食欲を過大評価してしまう。

実は、加齢で食べられなくなったという話ではなく、わたしは幼少時から小食で胃腸が弱いので、そもそも量を食べられない人間なのだ。そのことは知っているのになぜ食べたくなるのか。食べようとするのか。

まあ、おそらく、いろいろ人生に不安を感じていて、それを食べることで埋めようとしているのだろう。芥川龍之介だって令和に生きていたら、ぼんやりとした不安をラーメンで埋めようとしたはずだ、多分。

これからの外食は、ちょっとずついろんなものを食べるようにしたい。体重も増えてきて、二重あごが気になる。あと3キロ痩せれば、それが解消されることは経験上、わかっている。日没後にウォーキングしよう。運動はやったあとは気持ちがいいんだから。あと、湯舟に浸かって、冷房で狂ってしまう自律神経も整えなければ。

運動をして野菜中心の食生活に切り換え、自炊をしよう、という当たり前の結論に達する。もうやけ食いはしない。自暴自棄な気分になっていると、ヴィーガンっぽい食生活にしよう、という決意もすぐにどこかに飛んで行ってしまう。

この記事を書きながら、まだお腹が張っていて、気持ちが悪いので、今日は断食である。こういう極端な生活が、本当に良くないのだろうな、と思う。いやはや、わたしは賢くならない。ただ、「感情」によって、食欲や睡眠欲が大きく左右されるのはわたしだけの問題ではなかろう。

明日の自分に優しくする。それが「食べ過ぎない」ということなのだが、意外と難しい。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!