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#映画感想文194 『ミセス・ハリス、パリへ行く』(2022)

映画『ミセス・ハリス、パリへ行く(原題:Mrs Harris Goes to Paris)』を映画館で観てきた。

監督がアンソニー・ファビン、主演がレスリー・マンビル、脇役でイザベル・ユペールが出演している、何とも豪華な作品である。原作小説はポール・ギャリコの児童小説である。

2022年製作、116分のイギリス映画である。

主人公のエイダ・ハリスは、第2次世界大戦後のロンドンで夫の帰りを待っていた。しかし、夫が亡くなっていたことがわかり、ショックを受ける。悲嘆にくれるものの、労働者階級の彼女は働かなければならない。彼女は家政婦の仕事を掛け持ちして、生計を立てている。

ある日、勤め先のクローゼットに素晴らしいドレスを見つける。淡い紫色で、美しい刺繍が施されたそのドレスに彼女は一目惚れしてしまう。タグには、クリスチャン・ディオールとある。オートクチュールで、しかも500ポンドもする。でも、欲しい。彼女はクリスチャンディオールでドレスを作ってもらうことを目標に金策をスタートし、パリにまで行ってしまうのだ。

この物語は、とても清潔で、清々しい。

ミセス・ハリスは何かを得ては、何かを失う。期待して失敗して、がっかりしていると、楽しい出来事が出迎えてくれることもある。彼女は労働を提供して、その見返りをもらっているだけではない。笑顔と勇気で、人々とのつながりを作っていく。それは彼女が戦争寡婦になったことと無関係ではないのだろう。夫のように死んでしまうこともあるし、夫のいない世界で強く生きていく必要もあった。

ミセス・ハリスの前に立ちはだかるのは、クリスチャンディオールの支配人マダム・コルベール(イザベル・ユペール)である。支配人はクリスチャンディオールを守らんがために手厳しいことを言う。

労働者階級の家政婦がクリスチャンディオールのドレスをどこで着るのだ。ドレスは見せびらかすためにある。家で眺めるだけのドレスが必要なのか、と問う。つまり、クリスチャンディオールのドレスは、社交界に所属している、限られた人々のために存在していた。誰かに見せるためのドレス。しかし、そのような商売がうまくいかなくなることは目に見えている。今日では、多くのブランドが大衆化され、買いやすい価格帯のものを販売している。その先駆けを試みる戦略の話が終盤に出てくる。

ミセス・ハリスが抱いたわくわくは、初期衝動のようなもので、こういうものがなければ人生は面白くない。彼女は、美しいものにうっとりしたことから、冒険を始めるのだ。それを否定できる人なんていない。

そして、ミセス・ハリスは透明人間と言われ、自らをそのように解釈したりする。社会の中では見えない存在だ。でも、見えない存在である人の労働があるからこそ、人々の日常が成り立つのだ。その共通点から、マダム・コルベールと友情が築かれるところもよかった。

たまには夢を見たっていいじゃない。ときどき、無茶なことをしよう。そんな映画で、リアリティはないけれど、リアリティがある映画だからといって、良い作品とは言えないわけで。

サルトルの『存在と無』をミステリー小説と言ってしまうハリスさんは可愛かったし、フランスといえば実存主義ということで、それが何度も繰り返される児童書っぽさも、とてもよかった。

(イザベル・ユペールにまとわりつくセンシュアルな感じも、さっぱり抜けていた。ちょっと意地悪な組織の人間を演じる彼女もとても新鮮だった)



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