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拒絶を恐れずに生きる方法 その2

その1は、こちらです。

今年(2021年)の1月下旬から2月上旬にかけて、過労によってなのか、希死念慮に支配されていた。

「消えてしまいたい」というより、「無理やりにでも終わらせたい」という捨て鉢な状態であった。

そのとき、「感謝」と「詫び」をきちんと伝えられなかった人たちのことが頭に浮かんできた。死ぬ前に、彼らに伝えるべきことがある。しかし、普段から顔を合わせている人もいれば、連絡先もわからず、20年近く会っていない人もいる。どうしたものか、と考えていたら、嵐のような鬱は去っていき、平常運転できるようになった。

先日、ある人には、対面で話すことができ、手紙とプレゼントを渡すことができたので、ひとつの区切りにはなった。

そして、10月現在、失業することが決まり、一寸先は闇だなと改めて思う。(ただ、1月の落ち込みを考えると、仕事を辞めることは必然だったのかもしれない、という気もする。無自覚だったが、仕事に追い詰められていたのだ)

それに加え、感染症で誰がいつ亡くなるかもわからない。だから、伝えたいことはちゃんと言ったほうがいいのではないか。本心だ。もちろん、「いい人だと思われたい」という欲望は否定できない。それだけでなく「わたしとのことをいい思い出にしてほしい」とか、「区切りをつけたい」という欲望がある。どちらにせよ、欲望がベースなので、うまくいきそうにないが、「拒絶」を恐れることに足止めされていると、何も進まなくなってしまう。

わたしが「感謝」と「詫び」を伝えたいのは、その当時、本音で話すことができなかったためである。その人の訴えを理解していたのに、対応が難しく、うやむやにして誤魔化し、ひどく不誠実であった。あのときの状況と、心のうちで考えていたことを説明して詫びたい。でも、「弁解したい」「言い訳したい」というのある種の自己保身なので、やっぱりわたしは誠実ではなく、自分勝手であることは確かだ。

それもそのはずで、「拒絶」は、何らかの「要求」や「依頼」に対する反応(リアクション)のひとつである。「要求」や「依頼」の根源にあるのは、「欲求」だ。そして、「要求」や「依頼」をすることができない人、それをするのに抵抗感を持っている人は少なくない。しかしながら、ちゃっかり自分の要求を通している人もいるではないか。大体、そういう人たちは厚顔なので見習いたいとは思わない。

話を戻そう。わたしは、その人との出来事をぐるぐる考え続けている時間を疎ましく思っていた。「感謝」と「詫び」をしたいという気持ちに嘘はない。チャンスがほしい。

その人のメールアドレスは知っていたので、思い切って「えいや」とメールを送ってしまった。うだうだ考えたり、その人からふいに連絡が来ないかと期待する自分が嫌だったのだ。(書いてて思うが、結局、これも相手のためというより、自分のためで、自分本位で呆れてしまう)

案の定、返信はない。

やっぱり、嫌われていたのだ。

返信もしたくないぐらい、今でもわたしを憎んでいるのだろう。

こじれてしまった関係は修復できない。

もちろん、返信がないのは、さまざまな理由が考えられる。

今の人間関係が充実していて、わたしは「どうでもいい人」で返信する必要はないと判断された。あるいは、忙しくて、それどころではない。

単にメールをチェックしていない。メールが迷惑メールに振り分けられてしまっている、という可能性もなくはない。

でも、わたしは「うわ、なんで、こいつ連絡してきたんだ。キモい!」とスワイプで削除されてしまったと思っている。おそらく、これが正解だ。

正直に言えば、相手も厄介な人ではあったので、返信がなくて、どこか安堵している自分もいる。

今回、わたしは、たかがメール送信とはいえ、わがままな行動を取ったと思う。でも、後悔はしていない。何かを伝えたかった自分が、来年も生きているとは限らない。命の継続が保証されている人なんてこの世にはいない。

きちんと「拒絶」されることで、その人ときちんと縁を切る、ということも大事だと思っている。

「縁が切れた」「縁を切られた」と頭と心で理解をする。縁がなかったのだから仕方がない。

当然、「拒絶」は痛い。無視された自分が、ひどくちっぽけに、虫けらのように感じられ、心許なくなってくる。

でも、「これから3年ぐらい、もやもや考え続けていたら」と想像すると、この痛み程度で終わるのなら、ちょうどいいか、とさえ思う。

誰しも「拒絶」される可能性があると同時に「拒絶」する権利も持っている。その人を図らずも、先に「拒絶」したのは、わたしのほうなのだ

この痛みを甘受することはできないのだけれど、受け止めたい。

そして、タイミングが合わなければ、埋め合わせすらさせてもらえない。すべてが裏目裏目に展開していく。

「勇気」を出さずにいたら、単なる微妙な思い出として片付け、自分の加害者性を意識できなかっただろうから、これで良しとしよう。

ほかにも「拒絶」された経験はいくつかある。

10代の頃、文通していた親友から、突然手紙が届かなくなってしまったことがある。この「拒絶」は、半年ぐらい、わたしを落ち込ませた。きっと友人は、黙っていたが、わたしの話に傷ついたり、疲れたりしていたのだと思う。だから、返事をしないという手段を取ったのだと思う。切磋琢磨しているつもりでいたのだが、相手はそうでなかった。

数年前のことであるが、とある賞を取った友人に、ショールをプレゼントしてレストランでお祝いしたのだが、それ以降、音信不通になってしまった。その友人にとって、わたしは利用価値がなくなったのか、それとも何かほかの事情があったのか、理由はわからないが、縁が切られてしまった。

もちろん、わたしから「拒絶」を示したことも、たくさんある。当時の心境を考えると、そうせざるを得なかった。ただ、もっとほかにいい方法もあったのではないかと思ったりもする。一番いいのは、お互いにお互いを意識しないぐらい自然に離れていければいいのだが、そうもいかないのが現実である。そして、人間とは身勝手なもので、「拒絶した」記憶より、「拒絶された」記憶のほうがより鮮明である。被害者であることを強調したがる。お互い様だというのに。

わたしの家系はそれほど長生きではないので、わたしはすでに人生の折り返し地点を過ぎている。だからこそ、人とのすれ違いの多さに愕然とする。家族を作る理由もそこにあると思う。同じ舟に乗り、利害関係が一致していて、互いの面倒を見る義務を負う。そこが「安心」「安全」な場所であるとは限らないのだが、他人と出会っては別れてを繰り返すのは、ことのほか、疲れるものだ。

幸福な人の条件は、人間関係が豊かであることで所得は関係ない、という研究があった思う。しかし、よい人間関係を維持することは、金儲けよりずっと難しいのではないか。

ただ、「拒絶」も人生の一部として、受け容れる覚悟ができれば、もっといろいろなことに挑戦できるのではないだろうか。「拒絶」されることに麻痺するのではなく、慣れて、その都度、対処していく。自分の傷ついた心に絆創膏をぺたぺたと貼りながら、生きていく。

「拒絶」されることを素晴らしいと言えるほど、強くはないのだけれど、立ち止まってばかりいるのもよくない。そんなに人生、長くないから、手遅れだったとしても、今の自分にできることをやってもいい。そのような許可を自分に出してやりたい、と思っている。


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